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10.スナフキンのパジャマに見る友人の色気について

──研修1日目の夜/春彦視点    1日目の研修プログラムはすべて終了した。社員たちは食堂で夕食を済ませ、各自の部屋に戻っていく。 春彦は講師たちと夕食を摂りつつ、長い一日だった、と思った。隙あらば亜紀のことばかり考えてしまう。講義中は集中しているぶんまだマシだが、講義が終わった途端にダメになるのだ。ほかの講師の担当分まで奪ってしまおうかとさえ思ったが、それぞれ念入りな準備をしてきているわけで、ぐっと堪えた。その代わり、トイレで通算3回ほど顔を洗った。 居合わせた宮島に「さすがにここの冷水で3回は多すぎです。これ塗っといてください」と小さなチューブを渡された。グループ会社のサンプル品だった。 「ハンドクリームですからハンド用ですが、ないよりいいでしょ」 「なんでもいい。家でも適当なのを使ってる」 姉のマナが「私の肌には合わなかったから、春彦が使って」とシーズンごとに基礎化粧品を持ってくるからである。そのため、固定で使っているものもない。 「それでそのお肌をキープできてりゃ嫌味すぎますね」 春彦は受け答え自体が面倒になり、宮島に言われた通りに塗ってみた。確かに突っ張った感じは消えてくれた。 「……ところで、なぜ3回目だと知っている?」 はたと思い立って訊いてみる。 宮島はハーフアップにした髪と髭(両方、たいした手入れを必要としてないように見える)を指先で整えつつ、「全部たまたま見ていました。本当に、たまたま」と答えた。 「…………たまたま? …………へえ」 「……怪しまないでよ。プライベートまで部長を追う意味はないし。なにかあったんです?」 「なにもない」 「なにもないのに3回も洗顔を」 「そんなことはどうでもいいとして、……亜紀のほうはなにか……」 亜紀についてこの男に尋ねるのは癪だが、情報屋としてはひどく便利なのでしかたない。 「なにか? なにも。少なくともトイレで顔は洗っていなかった。1度も」 「……講義のほうだよ」 「順調です。俺、亜紀さんの講義は全部覗きましたけど」 「なぜ全部覗く」 「いや、参考になる講義を見るのはいいことでしょ。部長の講義だって全部見てる」 それはそうだが、なんか気に障る。 「俺、あのひとのファンですから。俺以外にもご新規ファンが発生してたようですけど。いいことですよね」と言うと、宮島は礼儀正しく会釈して去っていった。 ……といったようなことがあったが、特に実りがあったとも思えなかった。     † 「部長、私たちはお先に失礼しますね」 「──あ、ああ。お疲れさまでした」 「ありがとうございました」と、それぞれが言って去っていく。 売店や自動販売機で買った酒を飲むのは自由だが、酒盛りを続けるような場でもないので、気付けば周囲にひとはいない。 ──もう、部屋に行けば亜紀が待っている。 そう考えるとどうしても冷静になれない。春彦は飲み物のカウンターでコーヒーをカップに注ぎ、勢いよく飲み干してから部屋に向かった。コーヒーポットの底に残っていた最後のコーヒーだったので、すごく苦かったけれどちょうどよかった。 途中、ジャージ姿の社員たちとすれ違う。スーツ姿のときとは違う表情と声、リラックスした雰囲気。みんなビールとツマミをかかえ、ぺこりと会釈をしてきた。亜紀もそんな感じの格好をしているに違いない。 つい、思い出してしまう、昼間のこと。 自分の性欲さえうまく処理し続ければ、なんとかなると思っていた。しかし、それはとても甘い考えだったようだ。今夜を乗り切れる自信はほとんどないが、なんとかするしかない。 ──期待は……していないとは言えない、が。 亜紀は「ちゃんと話そう」と言ったのだ。話すことが重要で、イヤらしいことはナシだ。 いや? ナシと決めつける必要はまったくもってないけど、後回しにしないと。 ……なあ、この思考、マジでどうにかならんのか。問いかけるが、当然誰も答えてくれない。誰に訊いているかもわからないわけで。 ドアの前で深呼吸をする。カードキーは持っているが、一応ノック。 「どーぞ!」 ドアの向こうから、亜紀が大きな声で応えてくれた。ステンレスのドアノブを回す。 「亜紀……、おまえ……なんて格好を……」 「なにが」 亜紀はベッドの上にたくさんのプリントを広げ、あぐらをかいていた。脚の上にはノートPC。あのスナフキンのパジャマを着ている。 「なんて格好もなにも、パジャマだけど。春彦、前にも見たことあるやつだよ」 「パジャマ……、そうか」 確かに、春彦のマンションにいたときも着ていた紺色のパジャマだ。 「みんなジャージみたいね。でも俺はこれがいいもん。もう部屋から出ないし、いいでしょ」 「絶対出るな」 「そんなに? 研修のしおりに『お好みの寝間着』って書いたの君じゃん」 「とにかくおとなしくしていてくれ……外に用事があったら俺が行く」 「はいはい」 亜紀には「またおまえ特有のなにかが始まってるな」という顔をされたが、いまさら彼の前で格好などつける気はなかったので、それでよかった。 ぐるりと回り、ベッドに乗る。彼のすぐ隣。 「それで、亜紀。話を……」 「うん?」 すぐに亜紀が見上げてくれる。   ──なぜそんなきゅるっとした眼で見るんだ? どうにも慣れないその姿。首元が広く開いている。くっきりと浮き出ている鎖骨。なぜか、自分のすぐ隣にいるといつもより小さく見えてしまう。遠近法的にはちょっとくらい大きくなってもいいものなのに。

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