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24.プロポーズされ……てはいないような
「となると、同じ部署というわけには、いかなくなるのかなと」
また、間。
心臓がばくばく言っている。一秒一秒が痛い。この種の間はもっと痛い。
「……なあ、それ?」
やがて、緒方が言った。
「はい?」
「話って、それ? プライベートでもパートナーになること?」
「……はい。個人的なことで、すみません」
おあ~~~~~
夜中に遠方から聞こえる猫の鳴き声にも似た声を発して、緒方がぐにゃりと崩れた。亜紀は「こんなに渋い男からこんなに奇妙な音が出てくるのか」というところで驚いた。コーヒーは大きく波打ったが、ぎりぎり零れなかったようだ。
「そんなことかよおおお……いや、大事よ? そんなことってのは失礼な言い方だけどさ」
「え、え、」
「そりゃもう自由にしろよ。おふたりで幸せになってください」
「えええ? ありがとうございます?」
「俺はさ、もうさ、ちょっとやりすぎた自覚があったモンだから。おまえらがセットで早々に辞めちまうのかと……!」
「ああ……! そっち? 違います違います。たぶん」
「たぶんとか言うなよ。ああ、心臓が痛ぇ」
緒方が胸を押さえて言った。どうやら本気で退職話だと思い込んでいたらしい。車を停めたのも、ちゃんと話を聞くためというよりは、運転どころではなかったからだろう。
見たことのない緒方の姿に、亜紀の緊張も消え去る勢いだ。
「ああ……よかった。いまおまえら規模の戦力を一気に失ったらマズいのよ」
「いや、あはは」
「さっき、うちの社長とロベルトに散々脅されてね」
「ロベルトって……杉山社長のことですか」
「そ。ここだけの話、剣持はあのじいさんの肝入りでさ。じいさん曰く、あの種の男にとって会社なんてただの箱だと。ただの箱にこだわりはないから、飽きればうなぎみたいにぬるっと抜けてく。そのつもりでなんとか捕まえておけってさ。俺、あのひとにはデカすぎる借りがあって、頭が上がらねえの」
「……知らなかった」
「知るわけないだろ。誰が言うかよ、カッコよくもない借りを」
緒方は本当にリラックスしたようで、窓を開けてから煙草に火を点けた。深く吸って、長く吐く。亜紀にも「すごく美味そうだな~」と思えるくらいに。煙を吐き出しきってから、まだ緒方の話は続く。興奮しているようにも見える。
「杉山さんはうちの家業が倒産してどうしょもないときに拾ってくれたひとでね。俺はここに移るまで杉山さんのところにいたんだわ。ただ、まさかうちの社と繋がるとは、ってくらい距離感があったから、剣持が話を決めたのは単純にあいつの実力だけどな」
春彦が「じいさんの古い友達」と言っていた社長だ。世間は狭い、とはまさにこのこと……と、亜紀は思ったが、もちろん黙っておく。
緒方は「ったく、ロベルトめ……杉山なんていう静岡で3番目に多い苗字のくせに」とか、あまり嫌味にならない文句をぶつぶつ言っている。世話になった感謝はあっても、感謝だけではないというところなのだろう。親子みたいなものだ。
「というわけ。だから安心したわ」と、煙草を灰皿に突っ込みながら緒方が言った。「んで? 俺の世界の平和は保たれた。ほかになんら問題はない気がするが」
「いや……なので、そういう関係の者が仕事で組むのは、マズいかなと」
それが、亜紀にとっての本題だ。
「いや?」と緒方は首を振る。「俺は問題ないと思うが? そういう決まりはない。結婚しても同じ部署で働けるぐらいだし。本人たちが別々の部署に希望を出すケースが多いというだけだな。おまえらは別に支障なくできるタイプだろ」
「……たぶん……いやどうかな、どうなんでしょ……」
思いきりプライべートを重視した部屋割りなどは、カウントしなくていのかどうか。
「しかし、付き合ってても黙ってる奴らがほとんどなのに、おまえは本当に正直者だね?」
俺はそういうおまえが気に入っているけどね、と緒方が愉快そうに言う。
「えっと、覚悟のついでに?」
「それで『心は』か。なるほどね。プロポーズされた、と」
「──あ、プロポーズというわけでは……」
そうだ、別にプロポーズではなかった。となると、上司に「付き合っています報告」は原則いらない。自分がそのくらい重く受け止めてしまっていただけだ。「絆された」わけではないという証明をしたかったというのが大きいが、だいぶ浮かれてしまっていたというか。
俺はあの男のことがちゃんと好きなのだ、など、改めて思う。
「違うのかよ。じゃあ余計黙ってりゃいいものを」
「そっか、俺、ちょっと暴走しました……?」
「そうかもしれんが、そうなるのも理解できる。あれだけ熱っぽい告白を見せつけられた身としては。あの場で巧くまとめた俺を褒めてほしかった」
休憩のときのあれだ。亜紀は真剣に聞いていたものの、実は「こいつ、上司の前でもカッコよ」と思って見ていた。
「あんなのをプライベートで連発されたらなァ……暴走も致し方ない。おまえ、仕事ができる上に可愛いとこがあるから、あいつの好みにドンピシャなんだろ。俺にはわかる」
「えええ……?」
「まあ、とにかくよかった。辞めないでくれたらなんでもいい。ケンカしたらぜひ教えろ」
「ケンカしたらなんですか?」
「当たり前だ、ラブラブ報告は不要。おい、安心したら腹が減った。飯だ。スマホで探して予約しといてくれるか。ホテルのレストランがいい、あいつに変な誤解をさせよう」
そんなわけで、亜紀は「高いとこにしろ」と大騒ぎするおじさんの隣で、いいレストランのあるいいホテルの検索を続けた。しかしながら、そういったものが手ごろな場所になかったため、結局は立川の四つ星ホテル・ソラノホテルで、高級なコースをご馳走になった。運転するのでせっかくのフレンチもアルコールなしだが、緒方はソムリエに勧められた「ホワイトティー・スパークリング」を満足そうに飲み、至極楽しそうだった。
皿の上の小さなオブジェのようなものを食べながら、亜紀は緒方について「ちょっと春彦に似てるかも」と思った。社会的立場があるだけにプライドは高いしカッコつけだが、話すとじわじわ愛らしい面が滲み出てくるタイプだ。なんでもさらりと器用にこなすように見えて、実はそうでもない。
己をさらけ出すほうが、心寧さんともきっとうまくいく。相性はよさそうだ、と思う。
──そうだ、心寧さんにも言わなくちゃ
まだ、春彦に気持ちが揺れている心寧さん。彼女には、いずれきちんと話をしなくちゃいけない。友人として。
レストランは閉店が早く、さらには車で送ってもらえたので、夜10時すぎにはアパートに着いた。コートとスーツをハンガーに掛け、シャワーを浴び、スーツケースから衣類を出して洗濯かごに放り込み、歯を磨きながらスマホを見る。
10時57分。春彦からの連絡はない。
本気で「変に誤解」されようとしたわけではないが、単純に報告として「緒方さんの車で帰ることにした」と連絡してあったのに、「既読」があるだけで返信はなかった。
少し考える。
彼が自分になんと言ったか。
襲わないとは言えない、と言われた。でも。
「……俺、あいつに『会いたくない』とは言われてないよね」
改めて会話を思い出してみる。
うん、言われていない。
「それなら、会いに行く権利はある」
なにせ、合鍵だって貰ってあるし。
亜紀は歯磨きを終えると、クローゼットから大きなスポーツバッグを取り出した。そこに、着替えと一通りのお泊まりセットを入れ、さらに、さっき着たばかりのパジャマも脱いで詰め込んだ。パジャマは「どんだけそのシリーズがお気に入りなのか」とか言われそうだが、言われてもいいので(だって、実際気に入っている)、胸にリトルミイがいるブラウンのやつである。
亜紀はパーカーとジーンズにダッフルコートを着て、家を出た。
金曜日。立川駅から上り電車の終電発車時刻は23時44分。
余裕で間に合う。
「だって、俺は会いたいもん」
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