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岡本(攻)♡ カズヤ(受) 

 あの日から、俺の中の何かが軋み続けていた。隣で眠るヨウコウから漂う、あの苦いタバコの匂い。俺が誘ったゲームを「疲れた」と断りながら、あの男の隣で夜を明かしてきたという事実。  これ以上、あの子を好き勝手にさせておくわけにはいかない。俺はあいつの同居人で、一番の親友なのだから。  水曜日の夜。俺は仕事を早めに切り上げ、気づけば岡本さんのバーへと向かっていた。開店準備中の札がかかった重いドアを、ためらいつつも押し開ける。 「いらっしゃい。……おや、ヨウコウ君のルームメイトさんじゃないか、アイツならまだ来てないけど」  カウンターの奥でグラスを磨いていた岡本さんが、ふと顔を上げた。薄暗い店内でも際立つ、仕立ての良いシャツと、余裕を孕んだ流し目。同性の俺から見ても、敗北感を覚えるような大人の色気があった。 「岡本さん、単刀直入に言います。ヨウコウを、あまり振り回さないでください。……アイツは流されやすいだけで、あんたが思っているような、その、遊び相手にはなりません。親友として、これ以上は見過ごせない」  俺は精一杯の虚勢を張って、岡本さんを真っ直ぐに睨みつけた。しかし、岡本さんはグラスを置くと、ふふっ、と面白そうに喉の奥で笑った。 「なるほどね。……ねえ、君、ヨウコウ君のなんなの?」 「……は? 俺とあいつはただの友達、一番仲の良い親友なだけです」  語気を強めて答える俺を、岡本さんはカウンターに肘をつき、値踏みするように見つめた。 「ふーん? ただの友達ねぇ……。じゃあ、なんでそんなにヤキモチ焼いてるの?」  心臓を、冷たい手で直接鷲掴みにされたような気がした。 「いいんだよ、隠さなくても。だって、君も俺と同じなんだろう?」  岡本さんの静かな声が、店内に響く。 「彼の特別になりたかった。でも、君は『親友』っていう安全な席から一歩も動けなかった。……俺が、あの子をちゃんと喜ばせてあげるまで、ずーっとね」 「言葉なんてどうとでも言えるさ。ねえ、教えてあげようか?」  岡本さんはカウンターから出てくると、俺の耳元に顔を寄せ、悪魔のように囁いた。 「彼さ、俺といる時、どんな顔をしてるか。……本当は、それが一番知りたいんだろ?」  気づけば、俺はバーの奥にあるストックルームの、押し入れの中に押し込まれていた。 「もうすぐあの子が来るから、そこで大人しく見てなよ」  抵抗する間もなく閉じ込められ、襖の隙間からリビングが見える。暗闇の中で息を殺していると、やがてドアが開き、聞き慣れた声が響いた。 「岡本さーん、お待たせ。コンビニでアイス買ってきました」 「うっすサンキュー。じゃあ、昨日の続き、やろうか」  二人が座ったのは、俺の視界のど真ん中だった。岡本さんが起動したのは、昨日俺が誘って断られた、あの**『鉄拳』の新作**だった。  二人の肩がぴったりと触れ合い、ヨウコウが慣れた手つきでコントローラーを握る。岡本さんが横からアドバイスを送りながらヨウコウの肩を抱くと、ヨウコウは、俺が今まで一度も見たことがない、甘えるような、熱っぽい瞳で岡本さんを見つめ返した。 「あはは、岡本さん強すぎ! 待って、今のは反則!」 「ヨウコウ君のガードが甘いんだよ。……ほら、お仕置きだ」  ヨウコウが岡本さんの腕の中にわざと倒れ込み、楽しそうに笑う。それは、俺と過ごしていた「日常」と同じはずなのに、決定的に違っていた。  つい昨日、俺が誘った時は「疲れちゃって、もう寝るわ」と一蹴したのに。ここではこんなにも幸せそうに、一人の男として熱中している。二人の間には、俺が入る隙間など一ミリもない。  押し入れの暗闇の中で、俺は奥歯を噛み締め、震える拳を膝に押し付けた。俺が守っていた「ふわふわしたヨウコウ」なんて、最初からどこにもいなかった。目の前にいるのは、俺の知らない顔で別の男に懐く、一人の「少年」だった。  やがてヨウコウが立ち上がる。 「あ、もうこんな時間。店、開けに行かなきゃ」 「そうだな。じゃあ、俺も行くよ」  ヨウコウは岡本さんの腰に嬉しそうに手を回した。バタン、とドアが閉まる音がして、部屋は静寂に包まれた。  俺は這い出るように押し入れから抜け出した。視界に入るのは、先程まで二人が座っていたソファと、二つのコントローラー。  ほどなくして、カチャリと鍵の開く音がし、岡本さんが一人で戻ってきた。 「……おやおや。まだそこにいたのかい?」  その余裕を湛えた声に、俺の中で何かが弾けた。 「ふざけんなッ!」  俺は叫びながら詰め寄り、岡本さんの胸ぐらを力任せに掴み上げた。勢い余って、彼を背後の壁に叩きつける。 「ヨウコウをどうするつもりだ! 親友の俺を差し置いて、あんな……盛り上がって……!」  拳を振り上げんばかりの俺に対し、岡本さんは眉一つ動かさなかった。それどころか、可哀想なものを見るような目で俺を見つめ、静かに言った。 「……そんなに怒ることかな? 君が勝手に『親友』という殻に閉じこもって、あの子を直視しなかった結果じゃないか」  図星だった。喉の奥が熱くなり、掴んでいた手の力が微かに緩む。岡本さんはその隙を逃さず、俺の腕を優しく、だが拒絶できない強さで引き剥がした。 「悪かったよ。俺もタチが悪かった。……なあ、どうしたら許してくれかな?」  耳元で囁かれる、ひどく甘くて静かな声。俺からヨウコウを奪い、見せつけ、徹底的に壊した男が、今は俺を懐に招き入れようとしている。   「……俺も」  掠れた声が、自分でも驚くほど自然に口からこぼれた。 「俺も……そのゲーム、やらせてよ」  それは、ヨウコウが今、一番夢中になっているもの。俺が差し出しても受け取ってもらえなかった、あの熱狂。  岡本さんは、ふわりと、心底嬉しそうな美しい笑みを浮かべた。 「……いいよ。朝まで勝負だ!」 ——チュン、チュン。  窓の外で雀が鳴いている。朝の光が、1DKの自分の家とは違う、いかしたブラインド越しに部屋を照らしていた。  シーツの隣では、岡本さんが規則正しい寝息を立てている。  俺は、親友を奪った男の隣で眠り、親友と同じ熱に浮かされた。これで俺たちは、本当の意味で「特別」になれたのだろうか。 ——ヨウコウ。俺たち、ずっと親友だよな。  だって俺、お前と同じゲームを、お前と同じ男に教わったんだ。だから、俺たちは、永遠に一番の親友だろ?  俺は、隣で眠る大人の体温を感じながら、ただ静かに、空っぽの頭で微笑んだ。 つづく

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