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第10話 気配

 翌日、――ヘイデンは医務課へは来なかった。  以前は、あれより軽い怪我でも来ていたはずだと、ヘイデンのカルテを眺めて気がついた。  最後の処置日が、ヘイデンと街で会った日。  ヘイデンは、その日以降ずっと医務課に足を踏み入れていなかった。 「――なんか、関係あるのかな……」  最後の処置日の日付を指でなぞる。  遊びに来た、なんて言っていた。それも、もうぱったり途絶えていた。  しばらく考えて、――カルテを閉じた。  かわいいなと思っている子がいた。と言うヘイデンの言葉がほんの一瞬頭をよぎって、カルテを棚に戻した。  そんなこと、あるわけない。  両手で顔をこすって、息を吸い、伸びをする。 「よし。」  その瞬間、さらさらの香油のにおいがして、以前「つやつやのヘイデン」を想像したことを思い出して、ちょっと笑った。 「リオネル、おつかい頼まれてくれるかな。いまマルセルさん達出払ってて」  医務課の事務のおばさん達が、この日は総出で外部に出かけていた。各施療院との情報交換会……という名の多分お茶会に。 「はい、患者さんも来られていないですし、大丈夫です。どこですか?」 「えっとね、――――――」  サミュエル先生に頼まれたのは、各隊への身体測定の結果報告書の共有だった。  リオネルが担当した基礎的な測定の他、サミュエル先生による問診の結果なども含むので、きちんと医務課の人間が、各隊長に届けるべきだ。  久々に騎士達の実務エリアへ足を踏み入れるので、リオネルは少しわくわくしていた。これでも男子なので、甲冑や騎士服などには憧れがあるし、厩舎の雰囲気も好きだ。自分には適正がなかったのはしょうがないけれど、だからこそ、騎士団に勤めることになったサミュエル先生にくっついて来た。  各隊の隊長殿に報告書をお渡ししていると、リオネルはあちこちの騎士から声をかけられた。以前の治療のお礼や、ちょっとした経過報告、医務課に相談して良いことかどうかの相談など。その時々、立ち止まっては答えていると、急に背後から肩に腕を回された。 「リオ君じゃん、相変わらずツヤツヤしてるし、……ん〜、いーにおい」  ぎょっとして振り返ると、顔を近づけてきた騎士の顔が目の前にあって、リオネルは思いっきりのけぞった。 「……っ、なっ、近いです!」  ぐい、と肘を入れて遠ざけようとしても、非力な――悲しいかな、リオネルの力では大した抵抗にならない。そもそも、のけぞった姿勢では、まともに力も入らない。   「あの!」 「あ、医務課の人。隊長に呼んでこいって言われたんですけど、――今いいですか?」  声を上げようとしたところで、背後から声をかけられた。  ヘイデンだった。 「あ?そうなん?じゃあ、」  騎士が言葉を返すのに対して、ヘイデンが被せるように続けた。 「俺の用事で隊長に時間貰ってたんで、お待たせしてすいませんでした。呼んでこいって言われてるんで、お連れします。」  ヘイデンの言葉で騎士の腕の力が緩んだ隙に、リオネルは自力でなんとか騎士から離れていたが、「ありがとうございます」と声をかけつつ、急いでヘイデンに駆け寄った。   「た、隊長さん、お待ちでしたか」  ヘイデンにつられて敬語になったリオネルが追いつくのを待って、ヘイデンも体の向きを変えた。それで、小さな声で言った。 「わけないじゃーん」 「っ――」  ――笑わせるなよ!  助け舟を出してくれたことはわかったけれど、今リオネルが吹き出したら意味がない。  ヘイデンの腕を叩きたくなったけれど、怪我したところだと思い出して、密かに歯を食いしばるだけで許してやった。 「――ありがとう、助かった。」 「ううん、ごめん。俺ら、距離なしで。」  前を向いたまま、言葉だけでやり取りして、そのまま隊長室の前まで一緒に歩いた。 「ありがとう、ここでいいよ。――またね」  顔を見上げて、もう一度礼を言うと、ヘイデンは少しだけ変な顔をしてから、言った。 「うん。……まあでも、なんかいいにおい、するよ。」 「――――っ、お前も言うか!」  ――さらさらの、使うのやめようかな……。

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