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第一章【13】あと50年

 ユリの住む西のエルフ領から遠く離れた地、東のエルフ領。そこを治める王エルネスティは、ユリに発情期が来たら妻として迎え入れたいと言っている男型のαだ。  ユリは80年ぶりに生まれた西のエルフ王エヴァリーナの孫だった。Ωとしては300年ぶり。繁殖力の弱いエルフにとってΩは貴重だ。  そんなユリをエルネスティが妻にしたいと申し出て、エヴァリーナはそれを受け入れた。  長い歴史の中で西と東の関係はつかず離れず。領地が離れていることもあり、互いの統治には互いに口を出さないのが暗黙の了解だ。  しかしユリが嫁げば両国は深い関係となる。  さらに、Ωであれば子を何人も産む可能性が高い。王族の血が増えることはエヴァリーナとしても願っていることのようだった。  ユリもまた、エルネスティの妻となることに疑問を持たず生きてきた。  エルネスティは幼いユリに会った瞬間、「小さな雷を感じる」とユリに告げてきたエルフだ。ユリにその『雷』は感じなかったが、エルネスティのことは美しいと思ったし、ホコホコとした温かさと安心感は感じられた。  生まれてから乳母たちに育てられ、純粋に誰かに甘えた経験が無かったユリは、エルネスティに愛おしげに見つめられ、とても心地よかったのを覚えている。  しかし、今頭を占めるのはライモに抱き締められた記憶の方だ。 「私は、甘えさせてくれれば誰でもいいのか……?」  ユリは自室で一人苦笑した。  エヴァリーナの尋問で、もしも子が宿っていると言われたら、ユリは自分が持つ魔力の全てを使い、あの場から逃げようと試みただろう。そして城を抜けて、ライモの元へ走るのだ。ライモはきっと助けてくれる。  『子を産める場所を二人で探そう』  ライモがそう言ってくれたことを朧気な記憶の中からユリは思い出していた。  身体を調べられているあの一瞬で、ライモとの逃避行がユリの脳裏を駆け巡り、だからこそ、子は宿っていないと分かった時、悲しかった。屈辱的な取り調べよりもずっとずっと胸が苦しくなった。  数日前に抱いたオークの子の感触が蘇る。ずっしりと重くて、泣き疲れ汗ばんだ熱い小さな身体。ライモの子もあんな感じになるのだろうか。  その後数日、ユリは自室に引き籠もっていた。  誰にも会いたくないし、何かをする気力も起こらない。周囲のエルフ達はエヴァリーナのお説教を喰らい落ち込んでいると思っているようだが、ユリはただただ、ライモに会いたいとそればかりを考えていた。 「なんであんなに急いで帰ってしまったんだろう……」  発情期が終わった朝のライモへの態度は自分でも酷いと感じていた。いくら驚いたからって散々世話になったくせに礼も言わずに逃げるように帰ってくるなんて。それでもライモは『気をつけてな』とユリを案ずる言葉をかけてくれたのだ。  結局離れて確信した。 「ライモは私の……運命の番だ……」  魂がライモを求めているのを感じる。ユリの運命の番は、東のエルフ王エルネスティではない。間違いなくオークのライモだ。  ユリが発情したと聞いてエルネスティはどう出るだろうか。  エルネスティは千年以上生きているエルフだ。時間の感覚もゆっくりならば、ユリを番にするのは20年や30年先かもしれない。しかし、すぐに東のエルフ領へ行くことになったら、もうライモと会える可能性は無いに等しい。    とうとうユリは我慢しきれず、自室から移転魔術を使った。  降り立った先はオークの村を見下ろせる崖の上。  オークの子共たちがコロコロと走り回って遊んでいるのが見えた。  エヴァリーナの気がいつ変わってもおかしくない状況。ここの場所がエルフ側に知られている今、できれば村を移動させたほうがいいのだが。  そんな事はつゆ知らず遊ぶ子ども達。それを眺めてポツリと呟いた。 「楽しそうだな……」  ユリは木の陰に隠れ、しばらくその様子を見ていたが、段々と冷え込んできたので帰ることにした。ライモの姿は見えず残念だったが、明日もここへ来ようと思った。  オークの村から城へ帰る前、ユリはふと思い立ち、ある場所へ立ち寄った。エルフ領内の森の奥にある泉。ユリがライモに拾われた場所だ。  ユリは泉の淵の石に腰を下ろし、ぼんやりと晩秋の森を見つめた。  ライモに拾われたあの時は秋真っ盛りだった。あの時赤や黄色に色付いていた広葉樹の葉は、今やすっかり地面へと落ち、大地へ還ろうとしている。 「寒い……」  独り呟くと息が白く揺らいだ。日が沈みかけた森は寒さが増してくる。  その時。 「ユリ……」  幻聴かと思った。その声色をユリが聞き違える訳がなく、しかし、その声の主がここにいるはずもなく、会いたすぎて自身が創り出した幻聴かと思った。 「ライモ……」  しかし、顔を上げて見れば、確かにそこにいたのは愛しい愛しいライモで。 「あ……えっと……」  ライモは困ったようにオロオロと辺りを見渡す。そんなライモを見てユリはハッとした。 「こ、ここへ来てはダメだっ! 我が王はお前たちを毛嫌いしてるんだ。今回はなんとか喰い止めたが、いつ殲滅しろと命令されるかわからない! できればあの村も移動したほうが……」  早口でそう捲し立てるとライモは驚いたようにポカンとし、やがて戸惑ったように呟いた。 「心配……してくれてんのか……?」  ライモの緑がかった浅黒い頬や耳がやや赤く染まる。銀色の瞳も心なしか潤んで見えた。 「そ、そんなの……っ!」 (当たり前だっ!)  ユリはつい出てしまいそうな本音をグッと堪えた。今さら想いを伝えてどうすると言うのだ。 「すまん、すぐ出るから。……あの小屋をさ、片付けようと思ってだな……」  ライモは森の奥を指し示した。 「どうしても捨てたくない物だけ持って帰って、あとは屋根を壊せば、そのうち森に還る」  淋しげに笑うライモ。  二人で過ごしたあの場所が、木々に飲み込まれて消える。  ユリは締め付けられる胸の痛みを右手の拳で抑え、ライモから視線をそらした。油断すると涙が溢れそうだった。 「は、早く済ませろ……」 「ああ。見逃してくれてありがとな」  ライモはそのままユリに背を向けて森の奥へと入って行く。ユリはその背中を見つめた。  偶然でも会えたことが嬉しかった。でもこれで完全に諦めなければならない。そう自身に言い聞かせるが、あの大きな背中に追い縋りたい気持ちがむくむくと膨れ上がっていく。 「な、なあ! ユリッ!」  突然、ライモが足を止めて振り向いた。  ユリの心臓は飛び上がった。 「エ、エルフってさ、千年も万年も生きるんだろ?!」  ライモからの唐突な質問。  さすがに一万年以上も生きるエルフはいないと思うが、質問の意図がわからずユリは固まった。それでもライモは何かを必死に訴えるように言葉を続ける。 「お、俺たちオークはさ、70歳か80歳くらいまでしか生きないんだっ。たぶん俺が生きてるのもあと50年くらいで……ユリにとって50年なんてすぐだよな?!」  ライモはこの先50年しかこの世にいない。  突きつけられたその事実に、ユリは膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。 「だ、だからさ、あと50年の間に……3年に1回とか、いや、10年に1回でもいいんだ!  顔……見せにきてくんねぇか?! ユリに会える日がいつか来るって思えたら、俺は……俺はそれだけで生きていけるから!」  それはライモからの必死なお願いだった。  ユリが離れたくないと思っていたように、ライモもまた同じ想いだったのだ。  ユリの中でブワアァァと何かが溢れ出す感覚がした。さらに身体が一気に熱くなって、ユリはそれでもなんとか声を絞り出した。 「や、やだぁぁ……!」 「ユリ……」  声とともに大量の涙が溢れ出した。がっくりと表情を無くすライモだったが、ユリはそれに構わずライモの元に駆け寄り、その大きな身体に抱き着いた。 「ユ、ユリッ?!」 「やだっ!! 10年に1回しか会えないなんて嫌だっ! 3年でも嫌だ! 私はっ、私はライモに毎日会いたい……!」  子どものように泣きじゃくりながら、ユリは必死にライモに縋り付いた。鼻腔をくすぐる深い森のような香り。興奮状態なのにユリはなんだかホッとしていた。 「あっ、あと50年しか生きられないなんてっ、い、嫌だっ! 500年は生きて、一緒にいて! ライモとっ、ライモとずっと一緒にいたいよっ!」 「ユ、ユリ……っ! しょ、正気か……?」  ライモの動揺した声にユリは腕を解き、ライモの顔を見つめた。 「正気だ。正気だよっ。だから一緒に探して……ずっと一緒にいられる場所。私は……私は、ライモの子が欲しい!」  ユリが渾身の力で叫ぶと、ライモの銀色の瞳からも涙が溢れ出していた。 「……ああっ! 探す! 一緒にいられる場所! ずっといられるように……っ」  ライモはそう答えるとユリを痛いくらいしっかりと抱きしめてくれた。 つづく

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