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第三章【15】交渉(2)
「どうぞ、お入りください」
エヴァリーナに促され入ったそこは小さな部屋だった。調度品も簡素で、丸い窓からは明るく陽が差し込んでいる。その窓の近くに置かれた椅子にユリは静かに座っていた。
ライモは駆け寄り抱きしめたい衝動を必死に堪えた。油断すると身体が震えてしまいそうだった。
昨日と同じ白い服を纏い、こちらを見ることもなく無言で顔を俯かせているユリ。陽の光に照らされた金髪がキラキラと光っていた。
「ユリ……」
エルネスティがユリに歩み寄り、膝をついてユリの頬にそっと触れた。
「ああ、ユリ。美しく育ったね」
エルネスティのその表情は演技ではないように見えた。不思議とライモに嫉妬心は生まれなかった。エルネスティの眼差しが母が子に向けるそれに近かったからかもしれない。
しかし。
「……ユリ?」
エルネスティがユリを呼びかけ、その肩を軽く揺さぶった。だがユリは反応しない。ユリはまるで人形のように微動だにせず、ただ座っているだけだった。
「……っ!!」
ライモは咄嗟に一歩前に出た。だがすぐに隣にいたイラがライモの腕をガッシリと掴み止めてきた。ライモは我に返り、一歩踏み出した足を元の位置に戻したが、堪えられずその身がブルブルと震え出した。
「陛下。ユリの自我を、封じたのですか?」
エルネスティは立ち上がるとエヴァリーナを問いただした。平静を装っているが、エルネスティからも怒りがにじみ出ているのを感じた。
「ユリは……オークに犯されたショックで、度々癇癪を起こしてしまうんです。よほどの目に遭ったのでしょう。見つけた時は本当に酷い有様でしたのよ。全身がオークの体液で汚れて、手足も折られて、あちこち肉を噛みちぎられて血まみれで……」
ライモの歯がギリッと鳴った。確かにユリがエヴァリーナに連れ戻された時、ユリはライモの体液にまみれていたのは事実だが、ライモがユリに傷を負わせたことなどこれまでに一度もない。
「昨日も癇癪を起こして、塔を一つ吹き飛ばしてしまい……仕方なく今は自我を封じていますの」
「なんと……それは可哀想にっ」
エルネスティが本音に近そうな台詞を吐いた。
エヴァリーナはきっとこのままユリの自我を封じて、身体だけ軍のα達に好きにさせようとしていたのかもしれない。ライモは今すぐこのエヴァリーナと言う名の魔女を殴り殺してやりたくなった。
「陛下。ユリがオークに汚されたのは残念ではありますが、これほどまでに美しく育ったのならば、やはりユリはお譲りいただきたい」
エルネスティの申し出にエヴァリーナは困ったように頬に手を当てた。
「……ですが、」
「陛下に利益が無いと言うことですよね?」
エルネスティの言葉にエヴァリーナは微かに目を大きくした。
「私とユリの間にαが生まれたら、陛下へお渡しする予定でしたが、オークにより汚された腹から生まれたαでは、たとえ金髪緑眼でも西の王族としてふさわしくない、と……」
エヴァリーナは否定しなかった。
エルネスティは更に続けた。
「では、私とユリの間にΩが生まれたらお渡ししますよ。金髪緑眼のΩならば、王族としてでなくても使い道は色々おありでしょう」
エルネスティの言葉にエヴァリーナが微かに口角を上げ、それを確認したらしいエルネスティが更に押す。
「ぜひ、西と東のさらなる友好の証に、ユリを私へお譲りいただきたい。約束通りに」
エルネスティの言葉にエヴァリーナは優雅にお辞儀をした。
「約束を守れなかったのはこちら。キズモノにしてしまったΩでも良いと言ってくださるエルネスティ様の広いお心、感謝いたしますわ」
交渉は成立した。
ライモは安堵しつつも早くユリを抱き締めたかった。そんなライモの心情を読んだのか、エルネスティがライモに視線を送ってきた。
「レイモンド。ユリを連れてきてくれ」
緊張が走る。ライモは(落ち着け、落ち着け!)と自身に言い聞かせ、一歩前に出た。途端にイラがこっそりと背中を叩いてきた。また背筋が曲がっていたらしい。昨晩イラから習ったことを思い出し、ライモは『従者レイモンド』らしく背筋を伸ばして優雅に歩み出て、ユリの前に片膝をついた。
ユリは起きているのに意識が無い様な状態だった。緑の瞳は変わらず美しいのに、何も映していないようだ。あまりに可哀想なその姿にライモは胸が潰されそうな程苦しくなった。
「ユリに掛けた魔術は簡単なものですね」
エルネスティがエヴァリーナに尋ねると、エヴァリーナは何てことはない風に答えた。
「ええ。今解きますか? 暴れるかもしれませんが」
「そうですね……。私でも解除できそうなので、このまま連れていきます。馬車で暴れられても厄介だ」
そしてエルネスティは再びライモに視線を向けてきた。
「陛下から頂いたΩだ。大事に運んでくれよ」
「かしこまりました」
ライモはユリを抱き寄せ、抱き上げた。鼻孔から肺を満たすユリの香りと、ずっしりとしたユリの体重。いつもよりユリの存在を大きく感じた。それはライモが身体の小さいエルフになっているからだけではない気がした。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えていた時、抱き上げたユリがライモの顔をじっと見つめてきた。
「……!」
自我を封じられているはずなのに、先程よりも目がしっかりと見開らかれ、緑の美しい瞳がエルフになったライモを映している。
ライモは呼びかけたい衝動をグッと堪え、ユリから視線を無理矢理引き剥がし、エルネスティの後に付き従った。
「あ、そうだ」
途端にエルネスティが思い出したように足を止めた。
「陛下、ユリの首輪を外していただけますか。これは陛下が施されたものですよね? 私ごときでは陛下の高度な魔術は解除できませんので」
エルネスティはエヴァリーナを持ち上げるようににっこり笑顔を浮かべて願い出る。エヴァリーナもまた上機嫌に笑顔を浮かべた。
「ええ、忘れるところでしたわ」
エヴァリーナはライモに抱き上げられたユリに近づくとその銀の首輪に指先で軽く触れた。エヴァリーナが近づくとユリは怖がるようにビクリと身を固くしたのが、抱き上げたライモの腕からも伝わってきた。
首輪はシュンッと音を立てて、黒くくすんだ色に変わり、カシャンと軽い音を立てて石の床に落ちた。
あっけなかった。
ライモが牙を犠牲にしても外せなかった首輪がいとも簡単に外れた。
「代わりにこれを」
すぐにエルネスティが白いレースでできた首輪をユリにつけてきた。銀の首輪と違い、柔らかで温かみのあるその首輪はユリによく似合っている。
「では、エルネスティ様。金髪緑眼のΩの子、楽しみにお待ちしておりますわ」
ニコニコと上機嫌の魔女に見送られ、エルネスティ一行はユリを連れて、再び馬のない馬車に乗り込んだ。
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