41 / 65

第三章【16】目覚め

 ライモはエルネスティに促され、ユリを膝に抱いたまま馬車の座席に腰を下ろした。  馬車が動き出し、西のエルフ城が遠ざかっていく。しかしまだ油断はできない。ライモはユリに話しかけたい衝動をグッと抑えて堪えていた。しかし、ユリは相変わらずライモの顔をじっと見つめてくる。表情は無く、まばたきもほとんどせずに、とにかくじっと見つめてくるのだ。  馬車がかなり進んだ時、変わらずライモから視線を逸らさないユリの瞳から大粒の涙がポロリと零れた。 「……っ!」  ライモは驚き声を上げそうになった。  緑の瞳から一度零れた涙は次から次へとコロコロと零れてくる。さらに何かを訴えるかのように赤い唇が微かに震え出した。自我を封じられているはずのユリだが、明らかに反応し始めている。 「レイモンド。私のΩが美しいからって、そんなに見つめてはダメだよ」 「あ……ス、すまん……デス……」  動揺して片言になってしまった丁寧語。ライモはユリから視線を引き剥がした。ユリには可哀想だが、西のエルフ領から抜けるまでは状況を把握できていないだろうユリにはこのままでいてもらう方が安全だ。そんなライモにエルネスティが真剣な眼差しを向けてきて微かに頷く。 (もう少しだから我慢しろってことだな……)  ライモもエルネスティに対して頷き応えた。 「はぁ……ずっと座っていると腰が痛くなってくるね。もっと早く走れないのかい?」 「多少揺れますが、速度を上げさせましよう」  エルネスティの指示でイラが馭者に指示を飛ばす。途端に馬車は車体を大きく揺らしながら、先程の倍近い速度で森を駆け始めた。  ライモは揺れからユリを守り抱きしめながら、一刻も早く西のエルフ領から抜けることを祈った。 「ライモ、ユリ。もういいよ。西の領地から抜けた」  永遠にも感じるほど待った時間が過ぎ、エルネスティがようやく声をかけてきた。 「ユリッ!!」  待ちに待った許可を得て、ライモは抱き締めているユリに視線を落とした。 「ユ、ユリッ?!」  しかし、ユリはライモの胸に抱かれたままぐったりと目を閉じている。つい先程まで大きな緑の瞳でライモを見つめていたのに。ゾワッと強烈な不安感が押し寄せ、ライモは焦りユリを揺さぶり叫んだ。 「ユリッ!! ユリッ!!」 「ライモ、落ち着いて」  向かいに座っていたエルネスティがすぐさま駆け寄ってきて、ユリの額に手を当て確かめる。 「大丈夫。眠っているだけだ。ユリはライモに気づいて内側から魔術を破ろうとしてたのだね。きっと疲れたんだろう」  ユリはライモの腕の中で穏やかに寝息を立てている。ライモは涙で濡れたユリの頬を撫でた。 「このまま転移魔術で私の城まで戻ってしまおう」  ライモは眠っているユリを抱きかかえ、エルネスティの後に続いて馬車を降りた。外はどこまでも青い空の下に美しい草原が広がっていた。優しい風が頬を撫でる。 「じゃあ、行くよ」  エルネスティはユリを抱えるライモの肩に手を置いた。 「イラ、後は任せる」 「かしこまりました」  イラをはじめとし、約20人ほどのエルフたちが東のエルフ王エルネスティに頭を下げた。  次の瞬間、ライモはユリを抱きしめたまま、石造りの広い部屋に立っていた。 「あ……スゲェ……」  前にもユリの転移魔術で瞬間移動したことはあったが、相変わらず驚いてしまう。 「さ、ライモ、ユリをこちらに」  そんなライモにエルネスティは布張りの長椅子を指し示した。 「ユリ……頑張ったね。今解放するからね」  長椅子にユリを寝かせると、エルネスティが優しくユリに呼びかけ、手のひらから白い光を放つとその白い額を照らし始めた。 「ユリ……!」  するとすぐにユリの瞼が震えだし、その瞼の隙間から緑の宝石のような瞳がキラリと光った。 「……ら、イモ……」 「ユリッ! 俺だっ! 分かるか?!」  赤い唇から零れる愛おしいその声が、ライモの名を紡いだ。 「……ラ……ライモ、なの、か……?」 「ああ、ユリっ……! ユリっ!!」  ライモはユリの手を取りその指先に口づけを落とした。安堵と喜びで感極まり、こみ上げた熱いものが頬を伝って流れていく。 「な、なんでっ! ライモが、なんでエルフに?!」  対してユリは慌てた様子で身を起こすと、ライモの顔を掴み、驚愕の表情を浮かべた。ライモは涙を拭きつつ笑った。 「ああ、忘れてた。どうだ? 男前だろ?」 「そ、そんな……! まさか、戻れないのかっ?!」  悲鳴に近いユリの声。するとすぐにエルネスティがユリに呼びかけた。 「ユリ、大丈夫だよ。ライモは私の魔術で一時的にエルフの姿に見せているだけだ。今、元に戻すよ」 「エ、エルネスティ様?!」 「やあ、久しぶり。よく分かったね」  エルネスティはユリに軽い挨拶をしつつ、ライモに手をかざしてきた。ライモの身体は白い光に包まれながら膨張するかのように元の大きさに戻っていく。  すっかりオークの姿に戻ったライモは再びユリに向けて両手を広げた。 「すまん、ユリ。驚かせたな」 「ら……ライもぉ……!」  ユリは美しい顔を歪ませ、緑の瞳から大量の涙を溢れさせると、ライモの胸に飛び込んできた。 「ライモっ! ライモっ! ライモぉ!!」  エルフの姿のライモは、顔に火傷の跡もなく、牙は小さくなりその片方を失ったことも分からなかった。なによりよく言われる『醜いイノシシ顔のオーク』ではなくなって、ユリと同じエルフになったことが少し嬉しかったのだが、ユリにとってはオークのライモの方が良いらしい。 「すまん、ユリ。助け出すのに手こずった」  ライモがユリを抱きしめ背中をさすりながら謝ると、ユリはライモの胸の中で首を激しく横に振った。 「もう、もう……会えないってっ……! 会っちゃいけないんだって、思って……!」  泣きじゃくりながら必死に話すユリ。涙と鼻水でライモの服が濡れていく。ライモはそんなユリが愛おしくてたまらなかった。 「ユリ……俺だけじゃ結局何も出来なかった。でもエルネスティが助けてくれたんだ」 「エルネスティ様が……」  ライモの説明にユリが顔を上げ、エルネスティを見た。 「森でライモに出会ってね。全部話を聞いたんだよ。ユリ、君は最高な運命の番と出会ったんだね」 「エルネスティ様……」  それからエルネスティとライモで事の顛末をユリに説明した。 「西へはユリは私の四番目の妻にすると言ってあるけど、私は決して君に手を出したりはしないよ。君が番うのはライモだ。私が二人を守るからぜひともこの地で安心して暮らしてほしい」  エルネスティの説明に、ユリは不安そうな視線をライモへと向けた。 「ライモは……それでもいいのか……?」  形式上とは言え、ユリがエルネスティの『妻』となることは正直気分がいいとは言えない。  ライモはエルネスティに出会ったばかりで、ユリも子供の時に会っただけ。エルネスティが信用しても良い人物かは正直判断が出来ない。だが、現状選べる立場でもないのだ。 (俺がもっと強かったら……)  言い淀むライモ。そんな二人にエルネスティが口を挟む。 「私を信用しても良いか迷うよね。分かるよ。警戒を怠らないのはむしろ良いことだ」  思ってることを言い当てられライモは困惑した。ユリも同じだったようで、気まずそうにやや視線を下げた。 「実はね……私は幼いユリに感じた小さな雷を、昨日ライモを見つけた時にも感じたんだ」 「はあ?!」  エルネスティの突然の告白にライモから変な声が出た。 「そんな嫌そうな顔をしないでくれよ。傷つくなぁ」  口を尖らせ嘆くエルネスティ。だが、αで男のエルフにそう言われても正直気持ちが良いとは思えない。 「やはりね、生物研究者としての血が、エルフとオークの奇跡に反応していたんだと確信しているよ! 自分で言うのもなんだけど、魔力は強い方なんでね!」  熱く語るエルネスティ。どうもこの男は生物学のことになると王の威厳が脱げてしまうらしい。 「ああ、あとね、安心材料として告白しておくけど、実はつい最近、んー……二十年くらい前かなぁ。私のα性が消えてしまったんだ」  突然、重大なことを何でもない風に話すエルネスティにライモは驚いた。 「そ、そんなことあるのかっ?!」 「まあ、もう歳だからねぇ。あと百年以内には子に王位も譲ろうとも思ってるんだ。だから『私がユリの香りに反応してユリを襲う』なんてことは無いから、安心してくれ」  ライモもユリも驚き、エルネスティになんと声をかけて良いか言葉を詰まらせてしまったが、エルネスティはただ笑っている。 「だから、あと百年以内に……いいや、ライモが元気なうちに、あの西の魔女もなんとかしたいね。君たち二人が故郷にも堂々と帰れるように」  そう語るエルネスティの瞳は、老いなど感じさせない強い王威をまとっていた。

ともだちにシェアしよう!