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第四章【11】白い煙
「転移魔術を使ったな。お前、もうここから生きては帰れないぞ」
ライモがアルマスにそう告げる。
国をまたぐ転移魔法は厳禁だ。どの国も侵入者はすぐに捕らえ、重刑を科される。でないと暗殺などが容易になり国の治安を守れないのだ。だが、アルマスはそんなことは気に留めていない様子だ。血走った片目でライモとユリを凝視している。鈴は依然としてけたたましく鳴っていた。
「おかしいと思ったんだっ。ユリ様は、お前に執心していた。我が陛下の城を壊すほどに……。そのユリ様が10 年も経たず、他の男に喜んで抱かれるはずがないっ!」
やはりアルマスは、昨晩のユリとライモの睦み合いを見ていた。それで安心して帰ったと思ったが、どうやら逆効果だったらしい。
「アハハ、ちょっと張り切りすぎちまったな。でも、お前のことちょっと見直したぜ。ユリのこと、よく分かってんじゃねぇか」
笑ってはいるがライモからはビリビリとした殺気が立っていた。転移魔術を使い国境を越えたということは、アルマスは死ぬ覚悟でここへ来たのだ。死ぬ覚悟で証拠を掴むつもりで。全てを捨てる覚悟をした者は何をするか分からない。ユリも緊張しライモの服をギュッと握りしめた。
「許されない……オークのくせに、金髪緑眼のエルフに触れるなど、許されない……」
アルマスはライモの言葉など全く耳に入っていない様子でブツブツと病的に呟く。そして、突然右目の黒い眼帯を毟り取り叫んだ。
「エヴァリーナ陛下っ! 奴らに罰をっ!!」
アルマスの右目に眼球は無く、そこには異常に暗く深い深い穴が空いていた。その穴からチラリと青い光が見えた。見えたと思ったその瞬間、青い光と共に白く長い何かが噴き出してきた。
「ひっ!」
その白い何かは獲物を飲み込もうとするヘビのように、ユリをめがけて猛烈な速さで伸びてくる。それは9年前にユリを攫ったエヴァリーナの白い二本の手だった。首に絡みついた時の冷たい感触が蘇り、ユリは恐怖に全身を硬直させた。
「させるかあぁぁっ!!」
突然、ライモが怒声が響くと、ドワァァァッと巨大な水柱が立った。ライモが出した水魔法は滝のような水量で、アルマスとの間に壁を作り伸びてきた白い手もはじき飛ばした。衝撃で小屋の屋根も吹き飛ぶ。
それは並のエルフでも出せないような圧倒的な魔力量だった。あまりの迫力に、ユリの全身はビリビリと稲妻のような感覚に包まれ、ユリは呆然とそれを見つめた。
バラバラと大雨のように降り注ぐ水に打たれながら、ライモはしっかりとユリの腰を抱いていた。
「ライモ! ユリ! 無事かっ?!」
するとエルネスティが移転魔術で現れた。イラや軍に属するエルネスティの家臣たちも次々とやってくる。ライモが派手に水魔法を使ったおかげで、侵入者がどこにいるか周囲が気付いてくれたらしい。
「エルネスティ! 大丈夫だ!」
ライモが叫ぶとエルネスティは少しだけホッとした様子を見せた。そして、そこにいた全員がアルマスに向けて攻撃の構えをとる。
霧のようになった水の壁が晴れると、仰向けに倒れたアルマスが見えた。その顔の右側からは、ニョロニョロと白い手が二本伸びていた。
あまりの禍々しさにその場の全員が息を呑んでいると、青い光が強くなり、白い煙のようなものがフワフワと立ち上がり始め、それはやがて人の形へと変わった。
「これはこれはエヴァリーナ殿、ごきげんよう。随分個性的なご登場ですね」
その白い煙に向けてエルネスティが朗らかに声をかける。エヴァリーナの姿へと変わった煙はぐるりと周囲を眺め、そしてエルネスティに向けて喋った。
「エルネスティ……よくもこの私を欺いたな……」
怒りを滲ませた震えた声だった。エルネスティは変わらない調子で肩をすくませ淡々と答えた。
「嘘をついたことは弁解のしようもありません。ですが、何千年も価値観が置いてきぼりになった貴女に、本当のことを話しても理解は出来なかったでしょう」
「許せぬ……金色のエルフと、穢れたオークを番わせるなど、許せぬっ!!」
「ほら、人の話を聞いてない」
エヴァリーナは白い顔を醜くゆがませ、怒り狂う。
「たかだか千年程度しか生きてない小坊主が生意気だっ! お前の国の金髪のΩは全て奪ってやる! そして我が孫たちを産ませるのだっ!」
エヴァリーナの言葉にエルネスティは微笑を消し、鋭い視線を向け、「また、考えることがえげつない」と呟いた。
「止めたほうがいいですよ。我が国の軍事力は貴国よりも遥かに拡大しています。我が国のΩは誰1人として奪わせません」
エルネスティがはっきりとそう告げるが、エヴァリーナは禍々しく笑っている。
「私の下僕たちは私の為に命をかけて戦う。我が国は私の為に存在するのだから! 覚悟しておけ、エルネスティよ!!」
エヴァリーナが高らかにそう宣言すると、エヴァリーナの陽炎のような足元から青い炎が噴き出した。
「防御っ!!」
エルネスティが太く響く声で指示をすると、周囲にいた者たちが一斉に防御魔法でシールドを張る。ユリもまたライモの胸に抱き込まれた。
青い炎は猛烈な熱を放ち、ユリも背中にジリジリとした熱さを感じた。しかしその青い炎はすぐに止み、顔を上げるとそこにエヴァリーナの影はなかった。
「皆、無事か!」
エルネスティが家臣たちに声をかける。怪我を負った者は居ないようだ。
ライモはユリを抱き締めていた腕を緩めながら「大丈夫か?」と聞いてきてユリはこくりと頷いた。
「幻影でも、相変わらず凄い魔力だ……」
ライモが周囲を見渡しながら呟く。辺りはめちゃくちゃだった。小屋はライモの水魔法で崩れ、玄関先から庭にかけてはエヴァリーナの炎で焼かれてしまった。
ユリは恐怖で震えが止まらなかった。
二度と会いたくなかったエヴァリーナ。真っ白な顔に浮かぶ緑の瞳を思い出すだけで全身が強張る。
ふと目をやると、庭先にアルマスの足が見えた。エヴァリーナは消えたが、アルマスを連れて帰ったわけではないらしい。そしてその倒れたアルマスは動く気配がない。
ユリは咄嗟に身体を起こし、そこに駆け寄った。
「アルマス!」
「ユリっ! 近づくな、危ない!」」
ライモも着いてきて、ユリの腕を掴み引き止める。
エルネスティやその家臣たちも警戒しながらアルマスに近づき、様子をうかがう。
「死んでるのか?」
「いや、まだ息があるが……」
家臣たちの話し声を聞きつつ、ユリはアルマスを見て息を呑んだ。アルマスの顔は右半分が抉れ、さらに焼け爛れていた。残された左目は呆然と空を見つめ、胸が小刻みに上下し必死に呼吸をしている。
「ア、アルマスっ!!」
ユリは周囲が止めるのも聞かずアルマスに駆け寄った。
「だ、大丈夫だ! すぐに治癒するからっ!」
ユリはアルマスの空っぽになった右目に手をかざし、治癒魔法をかけ始めようとした。しかし、アルマスが震える手でユリの手首を掴み、その手を顔から反らした。
「ア……アルマス?」
治癒を拒むアルマス。ユリは戸惑いアルマスを見ると、アルマスは乾いた唇をボソボソと動かし、話し始めた。
「へ……陛下は、正しい……間違って……ない……」
「アルマス……」
痛みを訴えるわけでもなく、朦朧としながらもエヴァリーナを擁護するアルマス。そこまでの忠誠心があるとは思っていなかったが。
「か、母さまが……全部、悪いんだ……。だって、父さまが……無実の母さ……と、妹を、殺すわけ……無い……んだ……から……。へ、……いか……は、正し……」
断片的に語られるその言葉だが、ユリは悟った。
アルマスには妹がいたのだ。きっと生まれた時に髪色が金色ではなかった妹は、実父によって消されてしまったのだろう。実母と共に。
ユリはアルマスの手をとり両手で握りしめ、自身の額に押し当てた。
「アルマスっ、すまないっ! 私はお前に、辛い話をしてしまったんだなっ……」
溢れる涙が頬を伝い、アルマスの指も濡らす。
「ユリ様……どうか、あ……たは……」
アルマスの手からフッと力が抜けた。アルマスの左目から光が失われていく。短くなった蝋燭が静かに消えるように、静かに静かに、アルマスは残った息を吐き出し、そして動かなくなった。
『どうか、あなたは』
アルマスはその言葉の後に何を言おうとしたのか。
『エヴァリーナを信じろ』なのか、『東を信じるな』なのか、『オークの子を産むな』なのか。
色々な言葉が予想できる。それは間違った考えから出る言葉かもしれないが、アルマスなりにユリの幸せを願っての言葉が続く気がした。
かつての腹心を思い涙するユリの肩を、ライモが優しく抱き寄せた。
ユリはライモの胸に抱きつき静かに泣き、ライモは何も言わずに背中を撫で続けてくれた。
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