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第9話 むかつく
「入れすぎかも」
俺の手の上からぐいっとレバーが戻され、俺は焦る。サンデーはグラスに対し、先が三センチ出るまで。それがマニュアルに書かれている分量だというのに、手元のグラスの中でクリームは優に五センチを超えようとしていた。
「わ……」
やっちまったああ、と慌てる俺の横で、だーいじょーぶ、と声がする。と同時に俺の手に重なっていた手がするっと解けた。
「これ、成形しちゃえばごまかせるレベル。ちょい貸して」
「は?! だめだめ! そんなの」
「いやいや、失敗したらロスなんでしょ? それは地球に優しくない」
言いながら史人さんがティースプーンでちょいちょいとソフトクリームの形を整える。次いで慣れた手つきでイチゴ、キウイ、パイナップル、ナッツ、ビスケットなどもろもろをトッピングしていく。
出来上がったそれは、俺が普段、デコレートするより断然美味そうなフォルムに仕上がっていた。
「十二番テーブルさんのだよね。俺が出しとく。先輩はお会計お願いします。俺、レジまだ苦手なんで」
そう言い残し、彼はグラスをトレンチに乗せて颯爽とカウンターを出ていく。
そのやたらまっすぐに伸びた背中を俺は呆然と見送る。
白のカッターシャツに黒のベスト。同色のスラックスにサロンエプロン。
ファミレス、ハッピーロンド、通称ハピロンにおける男性用の制服。クラシカルすぎる印象もあるけど、まあまあお客様受けもいいこの制服が、俺は結構好きだ。
小柄な俺が着てもなんとなく背が高く見えるし、年齢より断然大人っぽくなって、働いてるなーってやる気にも繋がるから。
けど、史人さんと並ぶと、俺のは「大人に見える」止まりであって、史人さんとは違うと思い知らされる。それくらい、史人さんはこの制服が似合うし、見える、じゃなくて大人だ。
高身長で、背中も広い。姿勢だっていいから、襟足から首のラインがすごく綺麗だ。バイトに入るようになってからも史人さんの髪は金茶のままだけど、モノトーンの制服に髪色がめちゃくちゃ映えて、異国の執事みたいに見える。そう思っているのは俺だけじゃないらしく、皿を乗せたトレンチを片手にフロアを歩く史人さんを見て、頬を染めているお客様が何人もいる。
なんだか、面白くない。
入って二週間のくせになんでもすんなりこなして。西田さんからの覚えもよくて。めちゃくちゃお客様からも注目されて。勝てるところが一個もなくて。
しかも。
「会計、やってくれてありがと、先輩」
呼び方こそ「先輩」だけど、昔とまったく同じ距離で近づいてくる感じがすごく……困る。
だって、俺は忘れていない。いや……再会したとき、すぐに史人さんだってわかんなかったくらいだから、俺ももう引きずっているとかそういうことではないけど、それでもあのときの感情はまだ記憶の中にへばりついている。
夏前の風にさらっと揺れた史人さんの髪。その髪に触れ、熱くなった指先と、痛いくらい胸を叩いた心臓の音。
あれはやっぱり初恋だったんだろうなと思う。
とはいえ、別に今もまだ好きとか、付き合いたいとか、顔を見るだけでどきどきしちゃうとかそういう感じはない。
当たり前じゃないか。あの人はあんなこと言ったんだから。
――本気にすんなよ、ガキ。
「むかつく」
初恋は実らないなんて言うけど、あんなことを平気で吐き捨てるようなやつと付き合うことにならなくて、本当によかったと思う。よかったとは思うけど、そんな昔好きで今も大嫌いなやつとおんなじバイト先って、気まずいしまあまあ地獄じゃないか?
「せんぱーい、お、もう着替え終わってる。ちょっと待って。一緒に帰ろ」
しかもあっちは、こっちがこんなにもやもやしているってのを全然わかってない顔で近づいてくる。
冗談じゃない。
「一緒に帰る理由がないので」
「帰る方向同じなんだからよくない? 一緒でも」
「一緒に帰っても話すことないので」
言い捨てて俺は更衣室を走り出た。先輩ってー、と明るい声がまだ背中から聞こえた気がしたけど、無視して進む。通用口を開けると、外はもうすっかり暗くなっていた。
国道沿いに立つこの店は、駅から少し離れた場所にあることもあって、夜八時を過ぎると人通りがぱったり途絶える。ただ、無音かというとそんなことはなくて、車道を結構なスピードで車が飛ばしていくので、エンジン音で、会話していても全然声なんて聞こえない。
そんな状態で一緒に帰ったって意味ないだろうに。あの人は一体なにを考えているんだか。
「意味わかんね……」
まあ、あの人のことなんてどうでもいい。宿題も出てるし、さっさと帰らないと。
通学バッグをよいさ、と肩に負い、歩き出す。スマホを取り出して、さらっと確認する。
母さんから通知が一件。
――今日、夕飯、カレーなんだけど、福神漬け、コンビニで売ってるかな。あんた、ほしいんなら買ってきて。
「いらねーよ」
バイト終わりでぐったりなのに福神漬けをコンビニでって……と肩を落とし、スマホをポケットに戻す。その俺の背後から自転車の走行音が聞こえてきた。国道だからか、歩道も広めに作ってあって、自転車が走行しているのも珍しくはない。だから対して気にもせずに脇に寄ったが、次の瞬間、いきなり視界が揺れた。
もぎ取られるように肩から抜け落ちたのは、俺が背負っていた通学バッグ。
「痛っ……」
路上に引き倒され、左腕を強く打つ。でも転がってばっかりはいられない。道路に手を突いて起き上がり、走り去る自転車に手を伸ばす。
これ、ひったくり……?!
「待っ……っ」
「待てや! こら!」
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