16 / 64

第16話 「千冬なら」

 濡れた髪を押さえながら零れ落ちたのは……我ながら間の抜けた声だった。  だって。  ――明日、どっか、行かない? 「なに、これ……」  おろおろしている間に既読が点いてしまう。けど、書かれている文言の意味がわからなくて返事もできない。  許してくれたってことだろうか? でもどこか行こうって、なに?  考えている間に時間だけが過ぎてしまう。どうしようどうしようと画面を凝視している俺の手の中で、いきなりぶるるっとスマホが揺れた。画面を見てぎょっとする。メッセじゃない……音声通話だ。 「なん、で」  あたふたする俺を急かすみたいに、何度も何度も身震いする。とっとと出ろや、と言いたげなその振動に狼狽する。だってなに話したらいいかわからない。  わからないけど、このまま出なかったら。  ――千冬には関係ない話だよね。  あんなふうに背中を向けられるかもしれない。それは……。 『千冬?』  夢中で押した通話ボタンによって回線が繋がる。スマホの向こうから聞こえてきた声に俺はどきっとした。  なんだろう、いつもと違って深くてちょっとこう……色っぽく聞こえちゃったような。 『あれ? もしもし? 聞こえてる?』 「はい! 聞こえてます!」  って、俺はなにを考えてるんだろ、もう……! 『なんでそんなかしこまってんの』  くすっと笑われて、顔が赤くなってしまった。  ああもう! 俺、なんなんだろう。 「だ、だって……いきなり電話してくるから……」 『ごめんね、俺、せっかちで。でもさ、先にメッセくれたの千冬じゃん。なのに、返事なかなかくれないから』  笑みを含んだ声がしっとりと耳の中に入り込んでくる。そうされてまたどきっとしてしまったけど、それを必死に押し隠し、俺はいつもの口調を引っ張り出す。 「無神経なこと言ったの俺だから! ちゃんと謝らないとって思っただけ!」 『千冬は真面目だなあ。もういいよ。全然気にしてない』 「史人さんが気にしてなくても、俺は気にする」  絶対嫌な気持ちにさせた。史人さんにとっての地雷を俺は踏んだんだろうから。 「ちゃんと謝る。ごめんなさい」  スマホを片手に頭を下げる。史人さんには見えていないけど、そうしたかった。  きっちりと頭を下げていた俺の耳元で、数秒後、ふっと溜め息が漏らされた。 『そしたらさ、お詫びってことで明日、遊んで。俺と』 「あそ、ぶ?」 『そ。行きたいとこあんの。付き合って』 「俺、でいいの?」  そろそろと問うと、スマホの向こうで、ん、と短く頷く気配がした。 『千冬がいーの。朝十時、大時計のとこで待ってるから。来れる?』 「まあ、うん。いい、けど。え、どこ行くの」 『秘密』  ふふ、と笑う。声だけで吐息なんて漏れてくるわけないのに、耳をさらっと息でなぞられたみたいにこそばゆい。軽く首をすくめたとき、千冬、と呼ばれた。 『ありがとね。連絡くれて』 「いや、俺が悪くて……」 『うん、わかった。いいよ。許す。ってか千冬なら何回でも許す』 「は? なに、俺なら、って」 『言葉通り。じゃ、明日ね』  軽やかな声を最後に電話が切れる。声の絶えたスマホを見下ろし、俺は今のやり取りを反芻した。  ――千冬なら何回でも許す。 「どういう意味だよ……」  やっぱりむかつく人だ。いちいちこっちの気持ちを乱してくる。  でも、いらっとしているくせに、明日の天気を確認しちゃった自分が、実は一番むかつくかもしれない。

ともだちにシェアしよう!