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第16話 「千冬なら」
濡れた髪を押さえながら零れ落ちたのは……我ながら間の抜けた声だった。
だって。
――明日、どっか、行かない?
「なに、これ……」
おろおろしている間に既読が点いてしまう。けど、書かれている文言の意味がわからなくて返事もできない。
許してくれたってことだろうか? でもどこか行こうって、なに?
考えている間に時間だけが過ぎてしまう。どうしようどうしようと画面を凝視している俺の手の中で、いきなりぶるるっとスマホが揺れた。画面を見てぎょっとする。メッセじゃない……音声通話だ。
「なん、で」
あたふたする俺を急かすみたいに、何度も何度も身震いする。とっとと出ろや、と言いたげなその振動に狼狽する。だってなに話したらいいかわからない。
わからないけど、このまま出なかったら。
――千冬には関係ない話だよね。
あんなふうに背中を向けられるかもしれない。それは……。
『千冬?』
夢中で押した通話ボタンによって回線が繋がる。スマホの向こうから聞こえてきた声に俺はどきっとした。
なんだろう、いつもと違って深くてちょっとこう……色っぽく聞こえちゃったような。
『あれ? もしもし? 聞こえてる?』
「はい! 聞こえてます!」
って、俺はなにを考えてるんだろ、もう……!
『なんでそんなかしこまってんの』
くすっと笑われて、顔が赤くなってしまった。
ああもう! 俺、なんなんだろう。
「だ、だって……いきなり電話してくるから……」
『ごめんね、俺、せっかちで。でもさ、先にメッセくれたの千冬じゃん。なのに、返事なかなかくれないから』
笑みを含んだ声がしっとりと耳の中に入り込んでくる。そうされてまたどきっとしてしまったけど、それを必死に押し隠し、俺はいつもの口調を引っ張り出す。
「無神経なこと言ったの俺だから! ちゃんと謝らないとって思っただけ!」
『千冬は真面目だなあ。もういいよ。全然気にしてない』
「史人さんが気にしてなくても、俺は気にする」
絶対嫌な気持ちにさせた。史人さんにとっての地雷を俺は踏んだんだろうから。
「ちゃんと謝る。ごめんなさい」
スマホを片手に頭を下げる。史人さんには見えていないけど、そうしたかった。
きっちりと頭を下げていた俺の耳元で、数秒後、ふっと溜め息が漏らされた。
『そしたらさ、お詫びってことで明日、遊んで。俺と』
「あそ、ぶ?」
『そ。行きたいとこあんの。付き合って』
「俺、でいいの?」
そろそろと問うと、スマホの向こうで、ん、と短く頷く気配がした。
『千冬がいーの。朝十時、大時計のとこで待ってるから。来れる?』
「まあ、うん。いい、けど。え、どこ行くの」
『秘密』
ふふ、と笑う。声だけで吐息なんて漏れてくるわけないのに、耳をさらっと息でなぞられたみたいにこそばゆい。軽く首をすくめたとき、千冬、と呼ばれた。
『ありがとね。連絡くれて』
「いや、俺が悪くて……」
『うん、わかった。いいよ。許す。ってか千冬なら何回でも許す』
「は? なに、俺なら、って」
『言葉通り。じゃ、明日ね』
軽やかな声を最後に電話が切れる。声の絶えたスマホを見下ろし、俺は今のやり取りを反芻した。
――千冬なら何回でも許す。
「どういう意味だよ……」
やっぱりむかつく人だ。いちいちこっちの気持ちを乱してくる。
でも、いらっとしているくせに、明日の天気を確認しちゃった自分が、実は一番むかつくかもしれない。
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