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第19話 「ふふ、俺、終わってんね」
バスが揺れるたびに触れるのは史人さんの肩。なで肩だけど、そうして触れると、俺よりも骨格がしっかりしているのがわかる。その硬くて、でも温かい感触にどきどきしながら窓の外を見る。遠目で見てもわかるほど印象的な建物が見えてきた。
岬美術館だ。
「おおー、すげえ」
バス停に到着すると同時に、隣で史人さんが歓声を上げた。
岬美術館は地下一階、地上二階建ての建物で、山の中腹に建てられている。高低差を利用した構造になっていて入り口は二階。上から徐々に下っていく形で観覧できる。途中の一階には広場が設けられていて人工の池がある。この池に夕日が映りこむ様子が最高に映えるとかで、ロックバンドホリ―スナップがMVの撮影場所として使い、一躍有名になった。
そのまま空へと駆けあがって行けそうなほど、傾斜がつけられた屋根、全面ガラス張りの壁面。構造上、一望はできなくて、バス停から見えたのは地上二階部分だけなんだけど、一部分だけでも迫力があって、俺も思わず嘆息する。
「やっぱ、きれい」
「千冬、ここ何回目?」
「え、あ、えと……三回目。でも! 何回見てもいいって思うから!」
いけない。連れてきてもらって、常連みたいな発言するなんてよくない。
慌てる俺を史人さんは無言で見下ろしてくる。
ややあって落ちてきたのは……いつもの大きな掌だった。
「可愛いね。千冬は。やっぱ」
「かっ……」
どこがだ? どこが可愛かったんだ? 顔か? でもこの人は俺の顔を可愛いとは思っていないはず。けど今、俺はなんにも可愛いことを言えていない。じゃあ、なに?
ああでも、いつまでも黙っているわけにもいかない。
「な、中、見る?」
おどおどしながら問うと、史人さんはにこっと笑って、ん、と頷いた。
「史人さんって絵、好きなの?」
土曜日だし、そこそこ人はいる。でも美術館だからみんな話すときは小声だ。俺もそれに倣って囁き声で隣に立つ史人さんに尋ねると、史人さんは展示された抽象画を瞳に映しながら、いや、と首を振った。
「それほどでも。描くのは嫌いじゃないけど、別に特別絵を見るのが好きとかはないね」
「そうなんだ」
意外だった。あれだけ描ける人だし、美術館にも足繫く通っていそうな気がしていた。
絵を眺めながら史人さんがぼそぼそと言う。
「なんかさ、ほら、教科書の織田信長の顔に落書きとかってしたことない?」
「え……いや、俺はあんまり」
「おお、そっか。そういうとこは啓介と違うんだな。あいつは教科書に載ってる歴史上の人物全員にちょび髭描くのを使命だと思ってる節があったけど」
「……ふーん」
兄ちゃんらしいけど、今、兄ちゃんと比べられるのはなんか嫌だ。一緒にいるのは俺なのに。
むっつりと返事した俺の不機嫌に史人さんは気付いていないのか、淡々と続ける。
「俺もまあ、落書きするほうだったの。ただね、それにもだんだん飽きてきてさ、手寂しいときに授業してる先生の顔、ノートに描くようになったんだよね。ちゃんと授業受けろって感じだけど」
こんなお茶らけていて成績がいいなんて、ほんと神様ってやつは不公平がすぎる。内心神に抗議していたのだけど、続いて零された言葉に俺は硬直した。
「留年さえしなきゃいいって思っちゃってるからなあ。夢もねえし。必死になれるもんもねえし。ふふ、俺、終わってんね」
……昔から少し、思っていたことはあった。
この人はなんでもできるし、愛想だっていい。イケメンで、バイト仲間にも、お客様の中にもこの人の恋人の座を狙っている女子が何人もいる。
でもこの人は……時々、本当に時々、世界と自分の間に線を引く。
たとえば、下駄箱に背中を預けてひとり、佇んでいるとき。
たとえば、バイトの休憩中、自分に熱心に話しかけてくる女の子の相手をしているとき。
さっきもそうだ。大時計の前でスマホをいじっていたあのときも、透明な壁があるみたいだって思った。それくらい冷めたみたいな目をこの人はする。誰にも気付かれぬくらい、ひっそりと。
いや、冷めた、というのとは少し違うだろうか。
どちらかというと……寂しい、に近いかもしれない。
なんでそんな顔をするのか俺にはわからない。俺が踏んでしまった地雷が原因かもしれない。だとしたら俺がなにをしてあげられるものでもないんだと思う。
でも、こんなふうに、終わってる、なんて言う史人さんは見たくなかった。
一度きゅっと拳を握る。史人さんはまだ絵を見ている。
「終わってないよ!」
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