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第25話 呼び捨て

 笑顔で言うから、意味が伝わらなかったらしい。東くんはしばらくぽかんとしてから、ええと、と頬を指先で掻いた。 「なんか、すみません」 「あー、いやいや。謝ることじゃ。ってか、俺、こっちだ。じゃあ、またね。東くん――先輩」  ひらっと史人さんが手を振る。いつもだったら俺の家のすぐそばまで来てくれるのに、今日はそれよりずいぶん手前の道だ。  角を曲がり、史人さんの姿が視界から消えたところで東くんが口を開く。 「俺、なんかまずいこと言っちゃったんですかね」 「あー、いや、うーんと」  訊かれても困る。俺にもよくわからない。でも多分、史人さんが怒っているのは東くんにじゃない。  めちゃくちゃ気になって、すぐにも追いかけたかったけど、今は東くんが一緒だ。仕方なくそのまま歩いたものの、そんな状態だから当然会話はまったく盛り上がらなかった。 「あ、俺の家ここです」  重すぎる空気を背負ったまま歩き続けた末に、東くんが指し示したのは、俺の家から見えるような位置にあるマンションだった。史人さんの家よりも近いかもしれない。学区も一緒だったはずなのにこいつがいた記憶がない、と思っていたら、 「引っ越してきたばっかりなんですよ。だからいろいろわかんなくて。よかったらこの辺のこと教えてください。芹那さん」 と、丁寧に言われた。  そうされて反省した。  可愛い云々言われたり、無表情を向けられたりしたせいでむかついてばかりいたけど、悪いやつじゃないんだ。  仲良くしておかないとバイトもやりにくくなる。ここは俺から歩み寄るべきかもしれない。 「あのさ、タメなんだし、敬語じゃなくていいよ」 「え、いいんですか」 「うん。そのほうが俺もやりやすいし」 「あ、そうなん……そうか。じゃあ、そうする」  ふっと東くんの顔が綻ぶ。こんな顔もするのか、とちょっと驚く。考えてみれば今日はバイト初日だ。崩れなかった無表情も、緊張していたせいだったのかもしれない。 「じゃあ、またな。東」 「うん、また。千冬」  ・・・ん?  首を傾げてしまう俺に東くんはなんの含みもない顔で会釈をすると、そのままマンションの中に消えた。  ……まあ、敬語は使わなくてもいいとは言った。フレンドリーに接してくれていいよの意味で言ったんだから、別にいいといえばいい。いいけど。 「距離感バグりすぎ……」  まあ、東くんの言動には乱された。でも、それより今は史人さんだ。スマホを引っ張り出して史人さんとのトーク画面を立ち上げる。ごめん、と入力して送信ボタンを押そうとする。  そこで躊躇した。  確かに言いすぎたとは思う。願い下げだまで言うことはなかった。実際、俺達は付き合っているわけじゃないし、付き合う予定もないんだから。 「彼女、いるもんな……」  にもかかわらず、史人さんは俺に触れてくる。東くん以上におかしな距離感で近づいてくる。  あの人にとってはちょうどいい距離感なのかもしれないけど、俺にしてみたら……。  考えていたらむかむかしてしまった。  結局、俺はなにも入力しないまま、スマホをポケットに戻した。  その夜、史人さんからも、おやすみ、は来なかった。日曜会う約束もうやむやになってしまった。

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