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第38話 近づかないで
唇が動く。それを俺は呆然と見上げる。なにかを伝えようとする濃密な気配が漂う。それが決壊して解けてこちらへ流れ込んでくるのを俺は待つ。いつまででも。
でも。
「小腹、空いたし、フードコート行こっか」
ふっと視線が逸れた。ただ手は解けない。腕に絡んだままだ。その状態で史人さんは歩き出す。手の中で俺の腕がきゅっと握り締められるのを感じた。
それはすがるみたいな、そんな手つきで、その手の力を感じたら、なんだかもうなにも訊けなかったし、なにも言えなかった。
この人がなにを抱えているのか。なにを不安に思っているのか。悩みの正体なんて全然見えない。けど、大丈夫って思えるって言ってもらえる自分でいたいと、史人さんの手の熱を感じながらただ、願った。
フードコートでたこ焼きを食べた後、史人さんの家と俺の家の中間地点に立ち止まって、くだらない話を延々した。わりとよくあることだけど、今日の史人さんは寂しがりなのか、なかなか帰りたがらない。
「そろそろ帰ろ」
「うん。もうちょっと」
「もうちょっともうちょっとってさっきからそればっか。このままだとふたりとも帰れないって」
「じゃあ、もうちょっと話す?」
「なぜにそこでじゃあってなんの! ……で、なに話す?」
「この間、80年代の曲聴いてたら、女の悲鳴が入ってて、うわ! 心霊現象かよって思って検索したらただの演出だったって話とか?」
「史人さん、オチまで話しちゃってるよ」
「じゃあ別の話しよ」
「エンドレスかよ!」
なんてことをさんざん繰り返してやっと家に着いたころには、空はすっかり夜の顔をしていて、家の門柱にも灯が点いていた。
話しすぎて喉がちょっと痛い。苦笑しながら玄関のドアを開けたとき、スマホが震えた。
もしかして史人さんかな、とちらっと思った。あの人は俺よりもメッセを送ってくるし、今日はまだ話し足りなそうだったから。
照れ笑いしながらスマホを引っ張り出す。通知が一件あった。普段あんまり使っていないフォトスタにDMが届いている。
「なんだろ」
広告とか、営業とか、そういうのだろうか。最近多いもんな、と何の気なしにタップする。ちょうど家の玄関に入ったところだったのだが、靴を脱ごうとすると同時に俺はスマホを上がり框に落としてしまった。
画面を上向け、俺を睨む、スマホ。
「おかえりー、すげー音したけど大丈夫か、おい」
それを、トイレから出てきた兄ちゃんが笑いながら拾ってくれる。
「壊れてないよな。もー、気を付けろよ。しょーもないやつ……」
言いかけた兄ちゃんの言葉が止まる。すっと落とされた視線の先にはスマホの画面があった。
「ちょ、返して」
焦って兄ちゃんの手からスマホを奪い返す。けど表情からして画面に浮かんでいたメッセージは読まれていたに違いない。
兄ちゃんが無言で俺の顔を見る。
「千冬、お前さ」
「な、なに」
「史人と付き合ってんの?」
焦って首を振る。嘘はついていない。友達だって言い合って一緒にいる。だから俺達は友達……。
でも否定しながらも思ってしまっていることは、ある。
友達って、あんなに見つめ合っちゃうものなんだろうか。あんなに離れがたいものなんだろうか。何時間も道端で話し込んじゃうくらい?
その俺の迷いが口を重くする。きゅっと握り締めたスマホに表示された言葉は一言。
――史人はゲイやめたの。だからもう近づかないで。
差出人は、「M」。
多分絶対、あの人だ。史人さんの彼女の……。
「あほが。まだやってんのか」
きゅっと閉じた瞼の向こうで不意に苦い声が吐かれる。え、と目を開けた俺を、兄ちゃんは見てはいなかった。ただ忌々しそうに壁を睨んでいる。
「なに……?」
そろそろと問うと、普段まずしないような怖い目で兄ちゃんがこちらを見た。とっさに身をすくめる俺をしばらく眺めてから、ふうっと息を吐いて兄ちゃんが言った。
「とりあえず飯。その後、話そっか。そのメッセージ、そのまんまにしとくわけいかないから」
「あの、兄ちゃん、これって」
すたすたとダイニングへと向かう背中に追いすがる。ドアの向こうから、おかえり~、と母親の声がする。それを慮ってか、すっと兄ちゃんが唇の前に人差し指を立てた。
「後で部屋来い」
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