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第47話 「なんで、練習でキスなんてしちゃうの」
ぐちゃぐちゃした気持ちがとんでもない言葉で出てしまった。シンクでベストを洗っていた史人さんの手も、ぎょっとしたように止まる。
「ごめん、千冬、今、なんて?」
聞こえなかったわけではないと思う。声に戸惑いが混ざっていたから。そうされてこっちが動揺した。
「あ、えと、あの」
どうしよう。どう言ったらいいだろう。ただ胸に刺さりまくった棘はやっぱり抜けてくれない。
「俺、実弥さんに、会った」
つっかえつっかえ言ったとたん、史人さんの顔からすうっと表情が消えた。どうどうと蛇口から水が流れ落ちる。その音をバックに見つめ合う。
「なんで」
口を開いたのは史人さんのほうが先だった。
「なんで、実弥と?」
「理由は……ただ、その、会って、いろいろ聞いて。で……えと……訊きたく、なって」
「……な、にを?」
「うん、えと」
ああ、だめだ。なにをどう言えばいいのか、まだ全然整理できてない。史人さんの苦しみも、実弥さんの史人さんへの気持ちも、想像できるし、だからこそ寄り添いたいって思うのに、俺はある一点が気になってしまってシンプルに動けないんだ。
「ねえ、史人さん」
息を吸って吐く。言っちゃだめかも、と思ったけど、もう止められなかった。
「なんで、練習でキスなんて、しちゃうの」
たどたどしく声を発すると、史人さんの唇が開いた。数秒そうしてから、史人さんはそろそろと手を伸ばし、水道のノズルを下げる。水音が止まるとフロアの声が耳についた。ひっきりなしに鳴る呼び出し音。皿が触れ合う音。人々の話し声。それからそれから……。
「それ……」
「おーい、混んできたよ~」
なにかを言いかけた史人さんの声を、店長の丸い声がかき消す。そうされてここがどこか遅まきながら思い出した。慌てて身を翻す。その俺の背中で、待って、と声がしたけど、足を止めずに、フロアへと走り出た。
「あー、芹那くん、五番さん、オーダーまだなの。お願い~」
両手にトレンチを持って皿を下げながらバイトリーダーの西田さんが言う。はい、と慌てて駆け出す。
でもやっぱりオーダーをミスしまくって、その日、バイト終わりに西田さんにめちゃくちゃ怒られた。
ただ、そんな西田さんより怖い人が今の俺にはいる。
「千冬」
叱られていたせいでいつもより帰る時間が遅くなってしまった。史人さんの姿はもうフロアになかったし、もしかしたら先に帰っていてくれるかも、と思っていたのに、着替えて通用口を出たところで呼び止められて、俺はびくっとなった。
ライトグレーのブレザーの上に、黒いロングコートを羽織った史人さんが、通用口脇の壁にもたれて立っていた。
その姿を見たら、さっき自分が発した言葉が頭の中にぐわっと蘇ってきて、猛烈に恥ずかしくなってきた。
「千冬!」
返事もせず、史人さんの脇を走り抜ける。その俺の背中を史人さんの声が追いかけてくる。足音も。でも止まりたくない。ああ、なんで今日はこの人とふたりなんだろう。東がいれば少しはましだったのに。そこまで考えて、俺は自己嫌悪で凹んだ。
あいつは俺に好きって言った。そんなやつを潤滑油に使おうとするなんて最低だ。というか、それは史人さんが実弥さんにしたことと同じじゃないのか。実弥さんの気持ちを利用してカモフラージュで彼女のふりしてもらって。俺は……実弥さんのこと、やっぱり好きになれないし、はっきり言って嫌いだけど、でも、悪いのはやっぱり史人さんだって思う。
「待てって!」
「卑怯だよ! 史人さんは!」
ぐいっと肩を掴まれ、体を史人さんのほうに向けられると同時に、ぱんぱんに膨らんだ気持ちが弾けた。叫んだ俺に怯んだのか、史人さんの動きが止まった。
「実弥さんに彼女のふりさせて! あっちは史人さんのこと好きなのに! そんな人に彼女役頼むとか、どんだけくそなんだよ!」
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