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#16: 間一髪のジュリアン乱入: ツェーの過失による馬小屋炎上と、ジュリアンが抱えるトラウマ
「——貴様ら、私の屋敷で何をしている!!」
間一髪だった。
そこに立っていたのは、黒檀のステッキを強く握りしめたジュリアンだった。
薄暗いランプの明かりの中、ジュリアンの冷え切った琥珀色の瞳が、藁の上で怯える寝間着姿のルーシャと、その上に覆い被さろうとしていた馬番のアンドレを射抜いた。
「ひぃっ……! じゅ、ジュリアン様!」
アンドレは顔面を蒼白にさせ、慌ててルーシャから飛び退くと、そのまま藁の上に平伏した。
ジュリアンは馬小屋の惨状を冷酷に見下ろした。彼の頭の中ではすでに、一つの都合の良い結論が完成していた。
「アンドレ、何事だ。私の屋敷の神聖な敷地内で、お前は何をやっている」
「も、申し訳ございません、旦那様! 違うんです、俺はただ馬の様子を見に来ただけで……っ」
「……この男が、お前を誘惑したんだろう?」
ジュリアンの氷のような低い声に、アンドレはきょとんとして首をかしげた。
「男?」
極限の恐怖で思考が追いつかないアンドレは、兎に角、この屋敷の支配者、ジュリアンが期待する言葉を返すことに終始した。
「そ、その通りです! こいつが急にすがりついてきて、俺を誘惑したんです! 俺は悪くありません!」
「ちが……っ、違う……」
ルーシャが必死に首を横に振るが、かすれた声は誰にも届かない。ジュリアンは口角を歪め、底知れない侮蔑の目をルーシャに向けた。
「お前という奴は……本当に、どこまでも節操のない獣だな。客人やメイドだけでは飽き足らず、馬番までたらし込もうとするとは」
「あ、ぁ……っ」
「その薄汚い身体に、分相応の罰を刻み込んでやる」
ジュリアンが黒檀のステッキを高く振り上げた、その時だった。
「お待ちください、ジュリアン様!!」
暗闇から飛び出してきたのは、手燭のランプを握りしめたメイドのツェー(Tseh)だった。
ルーシャが屋根裏部屋からいなくなっていることに気づき、嫌な予感がして探し回っていたのだ。
「ツェー……?」
ジュリアンはピタリと動きを止め、不機嫌そうに目を細めた。
「下賤なメイドが、何の真似だ。……そうか、お前だな。この泥棒を地下牢から逃がし、屋根裏まで運んだのは」
「ち、違います! 私はただ……お願いです、ルーシャは何も悪くありません! どうか、お許しを……!」
ツェーは涙ながらにルーシャの前に立ち塞がり、両手を広げて彼を庇った。
その健気な行動が、ジュリアンの逆鱗に触れた。
「私の命令に逆らう気か。どけッ!!」
ジュリアンが苛立ち任せに、ツェーの肩を強く突き飛ばした。
「あっ——!」
バランスを崩したツェーが藁の上に倒れ込む。
その拍子に、彼女の手に握られていたガラスのランプが宙を舞い——床に激突して、甲高い音とともに粉々に砕け散った。
漏れ出したランプの油に、火が点いた。
乾燥しきった馬小屋の藁は、絶好の燃料だった。火の手は瞬く間に燃え広がり、あっという間に馬小屋の壁を舐めるようにして巨大な炎の壁を作り上げた。
「ヒヒィィィンッ!!」
繋がれていた馬たちがパニックを起こし、狂ったようにいななき暴れ始める。
「火事だァァッ!!」
アンドレが悲鳴を上げて外へ逃げ出した。
熱風と黒煙が立ち込める中、ジュリアンは舌打ちをして顔を覆い、炎の向こう側で呆然と座り込んでいるツェーを鋭く睨みつけた。
「貴様……私に逆らった挙句、屋敷に火を放ったな! この狂人め!」
「え……っ? ちが、私じゃ……!」
猛烈に立ち込める黒煙が、ジュリアンの肺へと侵入した。
「げほっ……!」
ジュリアンはその場に膝をつき、激しい咳き込みとともに視界がホワイトアウトしていく。
炎に包まれた馬小屋の熱気の中で、彼の意識は唐突に、遠い過去へと引き戻された。
◇
——記憶の底、十三歳の夏。
ペンドルトンの館に、父が新しい「妻」を連れてきた日のことだ。
豪奢な絹のドレスを纏い、誰もが振り返るほどの美貌を持つ女性。ジュリアンは、その優雅な振る舞いに、最初は素直に憧れていた。
『今日からこの方が、君たちの新しいママだよ』
そう告げられたとき、ジュリアンは誇らしささえ感じていた。父がこれほど美しい人を連れてきたことに。しかし、その魔法はあっけなく解けた。
ある夜、ジュリアンは二人の部屋のドアから漏れる声を聞いてしまったのだ。そして、寝室の隙間から見た光景は、彼の脳裏に焼き付いた。
そこにいたのは、美しいドレスを床に投げ捨て、肌を重ねる二人の「男性」の姿だった。
新しい母と思っていたその人は、ジュリアンの知る女性の姿とは異なった。貪るようにその光景を凝視する少年が見たものは、自分や父と同じ、男の姿だった。
彼の視線はさらに下へと落ちた。息を呑む間もなく、互いの下半身が露わになり、硬く脈打つものが投げ出される。すでに先端からは透明な液が溢れ、互いに擦れ合うたび粘り気のある糸を引いていた。
そして二人は、それを互いに押しつけ合うように、激しく擦り合わせ始めた。肉と肉がぶつかり、擦れ、重なる様子を、ジュリアンはただ息を止めて見つめていた……
……その翌朝。
『——見ていたんだね、ジュリアン』
気まずさから視線を伏せるジュリアンに、その人は涼しい顔でコーヒーを差し出した。
世間からは奇異の目で見られ、陰口を叩かれることもあった。だが、その人は一切気にも留めない。
『世間の価値観など、私たちには関係ない。私たちは最強のアルファだ。私たちが正しいと思うことこそが、この世の正義だよ』
その言葉は、幼いジュリアンに強烈な呪いとして刻まれた。
自分たちがどれほど歪んでいようと、力こそがすべて。自分たちが「絶対」なのだと。
だからこそ、父が連れてきたその人は、ジュリアンに「最強のアルファ」としての教育を施し始めた。
自分の価値観を押し付け、完璧な支配者として君臨せよと。
(……僕は、その人の期待通りになった。でも……)
炎の熱さを肌に感じながら、ジュリアンは歪んだ思考を巡らせる。
自分を支配しようとしたその男への反発心は、いつしか「自分より弱いものを支配したい」という破壊的な衝動へと反転していた。
今、意識の向こうで揺らめくルーシャの姿。
彼だけは、どんなに力を振るっても、どんなに壊そうとしても、瞳の奥の「気高さ」が消えない。
(……どうして、君は私に従わないんだ)
それは、かつて自分が新しい「母」に対して抱いた「屈したくない」という抵抗心と、ルーシャという存在をねじ伏せたいという支配欲が、奇妙な形で共鳴しているからかもしれない。
「……アボット、お前だけは……絶対に……」
煙と熱気に飲まれながら、ジュリアンは崩れ落ちた。
支配者として生まれた男が、初めて「支配できない存在」に対して抱いた、破滅的な愛情の入り口だった。
つづく
—
アンドレがにたりと下卑た笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる。その口元には不衛生な濃い髭が生え、黄ばんだ歯とよだれで汚れ、口臭が漂っていた。
「……無理です……そんなの……絶対に無理……!」
次回
#17: アンドレとの口移しチョコの屈辱: 激昂したジュリアンの暴力と、絶対的な奴隷・所有宣言
「僕が代わりますから……ツェーは許してください!」
お楽しみに!
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