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#30: 芽生える恋心と拒絶された献身: 悪夢に怯える夜の誘惑と、おじさまの愛の激怒
底なしの泥濘 のような屋敷の狂気から遠く離れた、木漏れ日の美しい森の奥。
ルーシャは眩いほどの光の中で静かに目を覚ました。窓の隙間から差し込む朝陽が、寝癖のついた髪を優しく撫でる。
男が起きる頃には、ルーシャはもう働いている。洗濯物を干し。床を掃き。散らかっていた棚を片付ける。
「あのぉ……おじさま?」
畳み終えたシャツを抱え、ルーシャはふと何気なく呼びかけた。
「……おいおい。僕はそんな『おじさん』と呼ばれるような年じゃないよ、こう見えても」
男が少し呆れたように苦笑すると、ルーシャはきょとんと首を傾げた。
「じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」
「それは……」
男は少し口を開きかけたが、ふいに言葉を飲み込み、沈黙してしまった。
視線を逸らす不自然な間だった。その少し沈黙の後、男は小さく息を吐いて妥協するように言った。
「……いや、いい。『おじさま』でいいよ」
「じゃぁ、おじさま。この乾いたお洗濯物は、どこの棚にしまえばいいですか?」
「だから自分でやるって」
呆れたように男が言う。
「いいんです」
ルーシャは振り返って笑った。
「僕がやりたいんですから」
男は何か言いかけて、結局黙った。少し困ったような顔をしている。けれど本気で止めることはしなかった。
そんな日々が続く。
気付けば小屋は見違えるほど綺麗になっていた。
洗濯された服が並び。食事は温かく。部屋には人の暮らす気配が満ちている。
男はある日、干された服を見上げながらぽつりと言った。
「不思議だな」
「何がですか?」
「この小屋が広くなった気がする」
ルーシャは首を傾げた。
「広く?」
「いや」
男は苦笑する。
「今まで一人だったからかもしれない」
その言葉に、ルーシャの胸が小さく跳ねた。
『一人だった』その響きが妙に心に残る。自分も同じだったからだ。ずっと一人だった。誰にも必要とされず。誰にも守られず。ただ生き延びることだけを考えていた。——けれど今は違う。
朝になれば「おはよう」と言う相手がいる。
夜になれば「おやすみ」と言う相手がいる。
それだけで世界はこんなにも違って見えた。誰かの人形として生きるためではない。誰かの所有物として扱われるためでもない。
自分の意思で働き。
自分の意思で笑い。
自分の意思でここにいる。
その当たり前の自由が、少しずつルーシャの心を癒やしていった。
そして気付かないうちに。
ルーシャの中で——『おじさま』の存在は、「命の恩人」だけではなくなり始めていた。
しかし、屋敷に残してきたツェー(Tseh)のことが頭から離れず、ルーシャの心は深く沈んでいた。
◇
「はぁっ……っ、あ……ツェー……!」
ある夜、ルーシャは激しい悪夢から飛び起きた。
自分のせいでツェーが今も地獄にいるのではないかという罪悪感と恐怖で、胸が張り裂けそうだった。もうこれ以上眠れず、ルーシャは借り物の大きなシャツを乱れたまま羽織り、火照った体を冷やすために外へ出た。
青白い月明かりの下、切り株に腰掛けてパイプをふかしていたおじさまが、驚いたように振り返る。
「……ルーシャ? こんな夜更けにどうしたんだ」
「おじさま……っ」
その優しい眼差しに触れた瞬間、ルーシャの中で張りつめていた何かがぷつりと切れた。
おじさまの大きな手が、震える頭をゆっくりと撫でてくれる。その温もりに、ルーシャの胸の奥がじんわりと熱くなった。
(この人に……この人にだけは、僕の全部を捧げたい。屋敷で汚された記憶も、体も、心も……全部、この人で上書きしてほしい)
潤んだ瞳で男を見上げ、ルーシャは掠れた声で言った。
「おじさま……僕、おじさまにお礼がしたいんです」
「お礼?」
「……おじさまの、お望みのままに……」
ルーシャは男の膝元に跪き、はだけたシャツの襟から白い鎖骨を晒しながら、震える唇をそっと股間に寄せた。
その瞬間——。
——ガシッ!!
ルーシャの細い手首が、強い力で掴み上げられた。
「……っ、おじさま……?」
男はルーシャの身体を、まるで拒絶するように荒々しく突き放した。その瞳には、見たことのない激しい怒りが燃えていた。
「……何をしようとしてるんだ、君は。自分を、そんな風に扱うな」
「え……?」
「命を助けられた対価が、そんな体を売るような真似だと言うのか!? あの屋敷の連中に、自分の尊厳まで売り渡してきたのか!?」
怒声が静かな森に響き渡る。ルーシャは尻餅をついたまま、羞恥と動揺で息を詰まらせた。
「違う……僕は、ただ……おじさまに……」
「もういい。部屋に戻れ」
男は冷たく踵を返すと、それ以上近づくなと言わんばかりに背中を向けた。
「……身体が冷える。今すぐベッドに戻って、大人しく寝なさい」
遠ざかっていく広い背中を見つめながら、ルーシャは声を殺して激しく泣きじゃくった。
おじさまが怒ったのは、自分を一人の人間として守ってくれたからだった。その優しさを知った瞬間、ルーシャの胸に宿った想いは、もう抑えきれなくなっていた。
「おじさまの、バカ……」
つづく
—
ツェーの救出と大切な『銀のエンブレム』を取り戻すため、再び屋敷へ向かう決意をしたルーシャ。
しかし森の中で猟犬を連れたアンドレに捕縛されてしまう。
「二度と逃げられないように……今度こそ、たっぷりと躾 けてあげる」
次回
#31: アルバートとの別れと無情な捕縛: 決死の屋敷帰還と、獲物を甚ぶるジュリアの恐ろしい『躾 』
「覚悟しなさい。長い夜になるわ」
お楽しみに!
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