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#79: 摩天楼の躊躇と剥き出しの義手: 涙ながらに責めるオザンナと、すべてを振り切るサリー

1910年のニューヨーク——それは、馬車の蹄音と自動車の轟音が交錯し、押し寄せる大国からの移民たちが熱気と欲望を爆発させる、世界で最も混沌とした巨大都市(メガロポリス)だった。 その玄関口たるグランド・セントラル駅に列車が滑り込み、一歩足を踏み出すと、天井の星座図から降り注ぐ光の中に、目も眩むような活気が満ち溢れていた。あまりの混雑と、都市特有の泥臭い熱気に、ルーシャは思わず足を止める。 「じゃあ、僕はブルックリンだからここで」 レオノラが軽く手を上げて歩き出そうとした瞬間、ルーシャは慌ててその袖を掴んだ。 「待って、レオノラ……!」 レオノラが振り返る。ルーシャは少し気まずそうに視線を泳がせながら、小さな声で言った。 「……ヨンカーズへはどうやって行けばいいんの?」 振り返ったレオノラが目を丸くする。「あっちの方だけど、今から行くの?」 「いや、でもその前に、やっぱりどこかホテルを見つけないと……」 その頼りない様子を見て、レオノラは小さく息を吐き、呆れたように笑った。 「ああ、そうか。ルーシャはニューヨーク初めてだったもんな」 レオノラは少しの間ルーシャを見つめた後、諦めたように肩をすくめた。 「……しょうがないな。宿探し、付き合ってやるよ。ついてきな」 生粋のニューヨーカーであるレオノラに案内され、地下鉄を乗り継いで辿り着いたのは、マンハッタン南端のロウアー・イースト・サイドだった。ルーシャはそこに宿を取ると、道案内をしてくれたレオノラに感謝を告げて、そこで別れた。 ◇ マンハッタンの喧騒を離れ、ハドソン・バレーの入り口に位置するヨンカーズは、新興の富裕層が広大な屋敷を構える静かな住宅街。その一角に、マクブライド家の重厚で豪奢な屋敷は静かに佇んでいた。 鉄門の前に立ち尽くすルーシャ。 門の向こうに見える玄関の扉まで、わずか数歩。そこをくぐれば、サリーに会えるかもしれない。なのに、ルーシャの足は固まったように動かなかった。 (もしジミーが出てきたら……どうしよう) 胸の奥がざわつく。 ——ジミー・マクブライド。聖ファーガスン学院の元生徒会長であり、サリーの弟。かつてルーシャに惹かれながらも、裏切られたと思い込んで牙を剥き、手酷く追い詰めた過去がある。(第二章参照) 今は当時の誤解は解けているとはいえ、サリーへの想いとは別に、どうしても割り切れない複雑な感情が、勇気を削いでいく。 ルーシャはしばらく門を見つめた後、ゆっくりと息を吐いた。 結局、彼は呼び鈴を鳴らすことはできなかった。 代わりに、滞在しているホテルの名前と部屋番号を記した小さなメモを、郵便受けの隙間にそっと滑り込ませた。 ルーシャは振り返ることなく、その場を足早に立ち去った。背中が小さくなっていくその姿には、愛しい人への強い想いと、それと同じくらい深い臆病さが混ざり合っていた。 ◇ 数時間後。メモを見つけたジミーは、重い足取りで姉のサリーとオザンナが暮らす部屋へと向かった。ルーシャに対する複雑な思いが交差する——。 ジミーは静かに扉を叩き、中から顔を出したオザンナに、手にしたメモを差し出した。 「……ルーシャからだ」 その名前を聞いた瞬間、オザンナの表情がわずかに変わった。 ジミーはメモから目を逸らしたまま、低い声で続けた。 「君もルーシャのことは知ってるだろ。……僕もあいつとは、昔いろいろあってね。正直、これを姉さんに渡していいものか、正直に言えば渡したくないっていう気持ちもある。だから、これを君に託すよ。どうするかは、君が決めてくれ」 ジミーはそれだけ言うと、オザンナの返事を待たずに部屋を後にした。 残されたオザンナは、手渡されたメモをじっと見つめていた。 ◇ やがて買い出しから戻ってきたサリーに、オザンナは静かな声で告げた。 「サリー、君の大好きな人が来てるよ」 サリーはテーブルの上のメモに飛びつき、そこに躍るルーシャの文字を目にした瞬間、息を呑んだ。 「ルーシャが……」 押し寄せる歓喜に胸が大きく高鳴った。しかし次の瞬間、オザンナの存在が重くのしかかり、サリーはその場に立ちすくんでしまう。 会いたい。どうしても会いたい。 でも、この部屋から出たら、オザンナを一人にすることになる。 その葛藤の狭間で、サリーが動けずにいると、オザンナが静かに、しかしはっきりと告げた。 「……行っておいでよ。僕のことは気にしなくていい」 その言葉に、サリーはハッとして顔を上げた。 「でも……」 「いいから、行って!」 サリーは唇を噛み、迷うように何度かドアとオザンナを交互に見た。そして意を決したように踵を返し、玄関に向かおうとしたその瞬間—— ギギッ……ギギギッ……。 不気味な摩擦音を立てて、オザンナは黒い手袋の指先を前歯でくわえ、ゆっくりと一本ずつ引き脱いでいった。 剥き出しになった、無残に歪んだ義手を、サリーの目の前に突きつける。 「……この手が、かつては黄金のフルートを操っていたなんて……信じられるかい?」 オザンナは自嘲するように低く笑い、掠れた声で続けた。 「ブロードウェイのステージの中央! 満員の観客が総立ちになって、割れんばかりの拍手……! ああ、あの光、あの歓声! なのに今は何だ! この鉄屑で、このガラクタで、一体何を奏でろって言うんだよッ!!」 オザンナの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。 「こんな惨めな僕を置いて……サリー、君は本当にルーシャのところへ行くんだね?」 その言葉は、ナイフのようにサリーの胸を深く抉った。 サリーは唇を血が滲むほど強く噛み締め、両手で顔を覆った。胸が張り裂けそうな激痛に、息すらできない。 (ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!) それでもサリーは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。 震える唇から、絞り出すような声が漏れた。 「……ごめんなさいっ!」 叫ぶや否や、サリーは勢いよくドアを開け放ち、冬の冷たい風の中へと駆け出していった。 静まり返った部屋に、オザンナは一人、力なく深く項垂れていた。 つづく — ニューヨークの安宿のドアを激しく叩き、息を切らせて飛び込んできたサリー。コートも着ずに髪を乱した彼女は、ルーシャの胸に勢いよく飛び込んでくる。 「ルーシャ……! ずっと、会いたかった……」 次回 #80: 安宿の哀願と不意の拒絶: 思い出を乞うサリーと、女を抱けず逃げ出すルーシャの恐怖 「今夜だけでいい……私を抱いて。私に、思い出をちょうだい……」 お楽しみに!

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