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#82: 突然の別居とカウンターの再会: 一人取り残されるルーシャと、レオノラを覗き込むアルバート
ニューヨークから帰ってきた翌朝。
狭いアパートのベッドの端に腰掛けたアルバートが、湯気の立つコーヒーカップを置いて静かに言った。
「ルーシャ。俺、そろそろ自分のアパートを借りようと思う」
ルーシャの表情が一瞬で固まった。
「え……急にどうしたの? ここにいてくれたらいいのに……」
「いつまでも君に世話になるわけにはいかない。この街での暮らし方も分かってきたし、給料もちゃんと出るようになったから」
アルバートの声は穏やかだったが、そこに強い意志が感じられた。ルーシャは胸がざわつくのを感じながらも、それ以上引き止める言葉が出てこなかった。
その日の午後、二人は雪の残る街へアパート探しに出かけた。
結局見つけたのは、中心街から少し離れた古びた一室だった。引っ越しはアルバートの荷物がボストンバッグ一つだけだったこともあり、あっという間に終わった。
新しい部屋の鍵を手に、アルバートはルーシャに向かって静かに微笑んだ。
「今まで本当にありがとう、ルーシャ」
その夜、一人になったアパートに戻ったルーシャは、ぽつんと置かれたシングルベッドを見つめ、胸が締め付けられるのを感じた。
部屋が、急に広すぎて冷たすぎる。
(……寂しい)
アルバートがいなくなった空間は、思った以上に大きくルーシャの心に穴を開けていた。
こうして、ルーシャのクリスマス休暇は切ない喪失感と共に幕を閉じた。「明日からはまた、学校と病院の生活が始まる。切り替えなきゃ」と、自分に言い聞かせるように、ルーシャはそっと目を閉じた。
◇
休憩室に甘いチョコレートの香りが広がっていた。
「みんなで食べてね。ニューヨークのお土産だよ」
ルーシャが箱を開けると、生徒たちが歓声を上げる。その輪から少し離れた窓際で、レオノラが一人黙々と資料を整理していた。
ルーシャはそっと近づき、小さな声で言った。
「レオノラもどうぞ。この前は本当にありがとう」
レオノラはペンを置いて振り返ると、冷たい目でルーシャを見た。
「……仕事中に馴れ合うのは好きじゃないって、言ったはずだよ」
相変わらず素っ気ない言葉。しかしルーシャは小さく笑って、チョコレートをレオノラのデスクの端にそっと置いた。
「じゃあ、仕事が終わったら食べてね」
ルーシャが背中を向けて歩き出すと、レオノラは軽く息を吐いた。
その視線は、以前のような冷たい棘を帯びておらず、ただ静かにルーシャの背中を追っていた。
◇
その日の夜。
レオノラは一人、ダウンタウンの薄暗いバーのカウンターに座っていた。琥珀色のグラスを傾け、静かに氷が溶けるのを眺めていた。
「……ここに来れば、会えるかと思ってね」
背後から掛けられた、鼓膜を低く揺らす聞き覚えのある声。ゾク、と背筋を走った甘い戦慄に、レオノラはグラスを持つ手を止めた。
「アルバート……」
掠れた自分の声に、自分でも驚く。
「覚えててくれたんだ……。君、名前は『レオノラ』って言うんだろう? この前は教えてくれなかったけど」
アルバートは薄い笑みを浮かべて、レオノラの隣に腰を下ろした。
すっと近づく、大人の男の体温。カウンターの狭い空間で、アルバートの大柄な体躯が放つ圧倒的な存在感に、レオノラの呼吸がわずかに狂う。
「そうだった……? 教えなかったの?」
横を向いたまま、素っ気なさを装って問いかける。だが、アルバートは面白そうに悪戯っぽく肩をすくめた。
「ああ、教えてくれなかったから、あのバーテンに聞いたんだよ。どうしても、君の名前が知りたくてね」
至近距離から覗き込むような、深く甘い視線。レオノラは捉えどころのないその瞳に見つめられ、いつも身に纏っている冷徹な仮面が、内側からじわじわと熱を帯びていくのを感じた。
「そう……」
それだけ返すのが精一杯だった。普段なら誰に対しても辛辣な言葉を返せるはずなのに、この男の前では、自分がひどく無防備な青年に引き戻されてしまう。
アルバートは注文したグラスを受け取ると、レオノラのグラスにカツン、と微かな音を立てて自分のそれを重ねた。
「また、会えて嬉しいよ」
その声は、レオノラの胸の奥深くまで、熱を伴って滑り込んでくる。二人の間には、夜の帳と、熱を孕んだ静かな沈黙だけが流れていた。
互いに、胸の奥には別の誰かの影や、決して埋まらない空白を抱えている。それでも、向けられた視線の熱からは、もう逃れられないことを予感していた。
つづく
—
レオノラを自宅へと誘い、手作りのシチューを囲んで心地よい時間を過ごしたルーシャ。
「もう帰っちゃうの……? もうちょっとだけ、いてよ……」
次回
#83: 黄昏の引き止めとチョーカーの解放: 寂しさからレオノラを誘うルーシャ
「……ルーシャ、それって、もしかして誘ってるの?」
お楽しみに!
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