83 / 95
#83: 黄昏の引き止めとチョーカーの解放: 寂しさからレオノラを誘うルーシャ
リンカーン記念病院のロビーは、夕刻を迎え、足早に家路を急ぐ人々の熱気でざわついていた。
私服に着替えたレオノラがエントランスに向かって歩いていると、柱の陰からひょっこりと顔を出した人影が、その行く手を遮った。
「レオノラ!」
「……ルーシャ」
咎めるような視線を向けるが、相手はちっとも堪えていない様子だ。
「仕事中に馴れ馴れしくするなと、あれほど言ったはずだけど」
「もう仕事は終わったでしょ? お願いだから、ちょっとだけ付き合ってよ」
そう言って、ルーシャはすがるような上目遣いで、レオノラの袖口をちょんと引いた。微かな体温が布越しに伝わってくる。
「色々お世話になったから、ちゃんとお礼がしたいんだ」
「お礼?」
レオノラは意地悪く目を細め、わざと顔を近づけて低く囁いた。
「あぁ、ヒートのことなら気にするなよ」
「そ、それだけじゃないよ……っ」
耳まで赤くしてムキになるルーシャを見て、レオノラはふっと口角を上げる。
「じゃあ、このあとダイナーで奢ってくれるかな?」
「……で、でも……」
ルーシャはもじもじと視線を泳がせ、掴んだ袖口をさらにきゅっと握りしめた。
「ニューヨークでお金いっぱい使っちゃって……ちょっと倹約したいから、明日、僕の家に来てくれないかな? ご飯作るから」
上ずった声で発せられた、——自宅への誘い。
その純粋で寂しげな瞳を見て、レオノラは内心でため息をついた。
(……本当に面倒な奴)
「……しょうがないな」
ルーシャの顔がパッと明るくなった。
「やった! じゃあ明日、待ってるね!」
嬉しそうに駆け出していくルーシャの背中を見送りながら、レオノラは自分の甘さに小さく唇を噛んだ。
◇
翌日の午後。ルーシャの四畳半のアパートに、バターとミルクの甘い香りが広がっていた。
「へえ、料理なんて作るんだな」
手土産のビールを取り出しながらレオノラが意外そうに言うと、ルーシャはエプロン姿で振り返って笑った。
「キノコのシチュー、得意なんだ……。一人だと作りすぎちゃうから、誰かに食べてもらえると嬉しいよ」
ルーシャが屈託なく笑う。その「誰か」という言葉の裏に、ルーシャの想い人の影を感じたレオノラは少しだけ不機嫌にビールの栓を抜いた。
「……冷めないうちに食べよう」
小さなテーブルに向かい合い、二人でシチューを突つき、ビールを飲む。
窓の外の景色が徐々にオレンジ色に染まっていく。他愛のない学校の噂話や、研修の愚痴。同世代ならではの騒がしくも心地よい時間が、ルーシャの胸に空いた冷たい穴を、確かに塞いでくれていた。
ビールの空き瓶がテーブルに数本並び、窓の外が完全に夜の闇に沈みかけた頃、レオノラが静かに立ち上がった。
「……じゃあ、そろそろ帰るかな」
ハンガーから上着を取るその背中を見た瞬間、ルーシャの心臓がどくンと嫌な音を立てた。
——嫌だ。一人になりたくない。
「……待って」
気づけば、ルーシャは玄関に向かうレオノラを追いかけ、その服の裾をぎゅっと掴んでいた。
「もう帰っちゃうの……? もうちょっとだけ、いてよ……」
懇願するような湿った声。レオノラは足を止め、ゆっくりと振り返った。薄暗い玄関灯の下、レオノラの切れ長な瞳が、ルーシャの奥底を見透かすようにじっと見つめてくる。
「……ルーシャ、それって、もしかして誘ってるの?」
「えっ……」
直球すぎる問いかけに、ルーシャはカッと顔を赤くして俯いた。自分でも無自覚だった本性を突きつけられ、掴んでいた手を離そうとする。しかし、その手首をレオノラが素早く捕らえた。
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ別に。僕たちはこの前のホテルで、もうそういう仲だもんね」
「あ、あれはだって……!」
ルーシャは慌てて顔を上げ、必死に言い訳を並べ立てた。
「あれはヒートが来ちゃって、薬もなかったし……! ふ、不可抗力っていうか……別に、そういうつもりじゃ……っ」
「それ、ただの言い訳じゃない?」
レオノラが一歩、距離を詰める。壁とレオノラの胸板に挟まれ、ルーシャは逃げ場を失った。
「……いいよ、別に。また、してあげるよ」
甘く低く囁かれた言葉と同時に、レオノラの腕がルーシャの背中に回り込み、強い力で抱きすくめられた。
大人の男とは違う、同世代の若く熱い雄の匂いと、少し乱暴な体温。心臓が跳ね上がり、身体がトロンと熱を帯びていく。嫌だと突き飛ばすことなど、今のルーシャにできるはずがなかった。
逃げ場を塞がれたまま、背後から迷いのない手が伸びてきた。カチャカチャとベルトのバックルが外される乾いた音が、ルーシャの耳に響く。
「あ……っ」
驚く間もなく、レオノラの指先がズボンの隙間からするりと滑り込んできた。薄い下着越しに伝わる熱い手のひらに、ルーシャの背筋がビクリと震えた。
衣服の擦れる生々しい音と共に、レオノラの手が下着の上からゆっくりと、しかし執拗にそこを擦り上げていく。触れられるたびに熱が集まり、硬く張りつめたそこを、レオノラは容赦なく強く握りしめた。
「……ルーシャばっかり、ずるいよぉ」
レオノラは低く掠れた声でそう囁くと、自らの首元に指をかけた。黒いチョーカーをゆっくりと外す。その瞬間、細い首筋が露わになり、甘く濃厚なオメガのフェロモンが部屋の中に静かに広がっていった。
「あっ……レオノラ……っ」
ルーシャの声が甘く蕩ける。
レオノラはルーシャの手を強く引き、シチューの香りがまだ残る部屋の奥、狭いシングルベッドへと真っ直ぐに連れていった。
つづく
—
レオノラと一線を越えてしまったルーシャは、行為の最中に唇を拒む。
「いいんだよ、ルーシャ。気持ちよくなりたかっただけなんでしょ? 生理現象なんだから。……いいんだよ、別に」
次回
#84: 冷めた熱情と産気づくジュリア: キスを拒むルーシャと、出産のカウントダウン
「おじ様……僕、他の男の人に抱かれちゃったよ……」
お楽しみに!
ともだちにシェアしよう!

