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#86: 崩れ去る目論見と黒い歓喜: 暴かれる血統の真実と、シカゴへ飛び出すジミー
ペンドルトン邸に、重苦しい沈黙が落ちていた。
「……もう一度、言いなさい」
豪奢な応接室の空気は、先ほどの狂騒が嘘のように冷え切っていた。ペンドルトン夫人——ヒルデの声が、低く震えながら響く。
目の前に立つ専属医は、額の汗をハンカチで拭いながら、恐る恐る検査結果の用紙を差し出した。
「ですから……へその緒の血液検査の結果、この赤ん坊の第二の性は『ベータ』であると判明いたしました」
「ベータ……ですって?」
ヒルデの顔が、怒りと絶望で醜く歪んだ。ジミーとジュリアの間に生まれた子ならば、当然のように強靭なアルファが生まれると信じて疑わなかったのだ。
「あり得ない! 何かの間違いに決まっているわ! 由緒正しい我が一族の血から、ベータなど生まれるはずがない……!」
激しい眩暈に襲われ、ヒルデはその場にぐらりと崩れ落ちた。
「奥様!」
メイドのツェー(Tseh)が慌てて駆け寄るが、ヒルデは乱暴にその手を振り払い、血走った目で立ち上がった。そしてドレスの裾を激しく翻し、ジュリアの寝室へと怒り狂ったように向かった。
バァン! 扉が乱暴に開け放たれる。
ベッドで赤ん坊を抱いていたジュリアは、ヒルデの鬼気迫る形相を見て息を呑んだ。
「ジュリア! この子は一体誰の子なの!? ジミーの子ではないわね!?」
ヒルデの怒号が部屋中に響き渡る。ジュリアは血の気を失い、震える腕で赤ん坊を必死に抱きしめた。
「お母様、それは……っ」
「隠しても無駄よ! さあ、言いなさい! どこの馬の骨の種を孕んだの!?」
逃げ場がないことを悟ったジュリアの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女は観念したように、震える唇を開いた。
「ジミーに……乱暴されて、私、自暴自棄になっていて……。そんな時、彼が優しくしてくださって……本当に、一度だけ……」
「誰なの!! 名前を言いなさい! その男の名前を!!」
「……ニールです。ニール・ファーガスン……」
「誰ですって、そのニールって馬の骨は……!?」
——ニール・ファーガスン。ロンドンの学園で生徒会副会長を務めていた、ジミーの一つ年下の後輩だった。学園理事の息子という立派な家柄でありながら、ジミーからは常に空気のように扱われていた地味な青年である。ジュリアがジミーとの情事を巡るゴシップで絶望し、部屋に閉じこもっていたある日。彼が授業のプリントを届けに来たその瞬間、自暴自棄になっていたジュリアは衝動的に彼を部屋に引きずり込み、関係を持ってしまったのだった。
「だって、彼は……私に、優しくしてくれたの……」
泣き崩れるジュリアの言葉に、ヒルデは絶句し、その場に力なく崩れ落ちた。
◇
その一部始終を、半開きのドアの向こうで聞いていた男がいた。
ジミーは壁に背を預けたまま、ゆっくりと天井を見上げた。
(……ニールだと? あんな地味な男に……しかし、この際それはどうでもいい)
最初は強い衝撃が胸を貫いた。あれほど父親になる覚悟を決めていたのに、見事に梯子を外されたのだ。
しかし——その直後、ジミーの胸の奥底から、黒々とした歓喜がどくどくと湧き上がってきた。
(俺の子じゃない……ということは、俺はもうパパにならなくていいんだ)
重くのしかかっていた「家族への責任」という鎖が、派手な音を立てて砕け散った。同時に、彼の脳裏を鮮烈に支配したのは、凍てつくニューヨークの夜道で聞いたルーシャの震える声だった。
『僕……女の人が、ダメだったんだ』
姉のサリーとはすでに終わっている。妻子という枷も、幻だった。そして何より——ルーシャは、女を抱けない。つまり、男を求めている。
(……ワンチャン、ある)
ジミーの口元に、野性的で獰猛な笑みが浮かんだ。
もう自分を止めるものは何一つない。今すぐ、かつて叶わなかった想い人の元へ行き、その身体も、心も、すべて自分のものにしてやる。
ジミーは踵を返すと、廊下の隅でオロオロと震えていたツェーの腕をガシッと掴んだ。
「ひっ……! ジミー様……!」
「ツェー、ルーシャのシカゴの住所を知ってるな? 今すぐ教えろ」
低く凄む瞳には、抑えきれない熱と欲望がギラギラと宿っていた。
「で、でも、そんなこと奥様に知られたら……」
「いいから、さっさと出せ!」
有無を言わさぬ力技で、ツェーがエプロンのポケットに隠し持っていた手帳を強引に奪い取る。圧倒的な迫力にツェーは震え上がり、それ以上抵抗できなか
った。
ジミーは荒々しくページをめくり、ルーシャの住所を見つけ出す。
「ふっ。これか」
ジミーはバリリとそのページを引きちぎると、上着を掴み、そのまま屋敷を飛び出した。
身軽になった彼の足取りは、まるで羽が生えたように軽やかだった。向かう先はシカゴ。
愛しくてたまらない、ただ一人の男の元へ。
つづく
—
レオノラとの関係に溺れていくルーシャだったが、ある日を境に露骨に避けられ始めてしまう。
「悪いけど、今日は用事があるから」
次回
#87: 冷淡な拒絶と最悪の目撃: 寂しさに彷徨うルーシャと、夜の部屋へ消えるレオノラとアルバート
(……避けられてる?)
お楽しみに!
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