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#90: 涙の謝罪とささやかな希望: 歪んだ温もりに依存するルーシャと、更生を誓うジミー
突如として剥き出しにされたジミーの狂暴な本性に、ルーシャはただ怯えることしかできなかった。行き場のない心を抱えたまま、ルーシャは抵抗を諦め、その理不尽な衝動に身を委ねるしかなかった……。
——事後。
狭い部屋には、ルーシャの押し殺したすすり泣きだけが静かに響いていた。乱れた衣服の隙間から冷たい空気が肌を刺す。痛みに耐えかねて小さく身を縮めていると、不意にジミーの大きな腕が後ろから優しくルーシャの身体を包み込んだ。
先ほどまでの獣のような狂暴さは完全に消え、ジミーは壊れ物に触れるかのように丁寧にルーシャを抱き上げ、ベッドの上に横たわらせた。
「…痛い……っ」
掠れた声でルーシャが漏らすと、ジミーはひどく狼狽し、ルーシャの背中に顔を埋めた。
「ごめん……ごめんね、ルーシャ……っ。痛くしたね……本当にごめん……」
ジミーの肩が激しく震え、熱い涙がルーシャの背中に次々と落ちてくる。彼は泣きながら、何度も何度もルーシャの髪や首筋、背中に愛おしげなキスを降らせ、縋るように謝罪の言葉を繰り返した。
「もう絶対にこんなことしないから……約束するよ。俺、どうかしてたんだ……ニューヨークであんなことがあって、頭がおかしくなりそうだったんだ。本当に……ごめん……」
その震える声と涙に、嘘はないのだとルーシャには分かった。
ひどい暴力を振るわれたはずなのに、今こうして後ろから優しく抱きしめてくれるジミーの体温が、たまらなく温かく感じられた。
アルバートを失い、レオノラにも拒絶され、世界に一人取り残されたような絶望の中で——自分をここまで求めて、泣いて謝ってくれるジミーの存在は、ルーシャにとって暗闇の中の唯一の灯火のように思えた。
◇
翌朝、窓の外で雀がチュンチュンと賑やかに鳴く声で、ルーシャは目を覚ました。
隣を向くと、ジミーが穏やかな寝息を立てて眠っている。ルーシャはそっとベッドを抜け出し、キッチンでトーストを焼き、香ばしいコーヒーを淹れた。朝食をテーブルに並べると、ジミーが目をこすりながら起き上がってきた。
昨夜の荒々しさはすっかり消え、二人は静かに朝食を口にした。
「……じゃあ、行ってくるね」
実習へ向かう支度を終えたルーシャは、コートを羽織りながら、少し躊躇いがちにジミーを見つめた。
「あの、ジミー……お酒は、もうやめようね?」
ジミーは一瞬だけ気まずそうに視線を落としたが、すぐに優しく微笑んで頷いた。
「ああ。分かったよ、ルーシャ。もう飲まない」
その言葉通り、ジミーはその後、酒を口にすることはなかった。そして、いつまでもニューヨークへ帰ることなく、ルーシャの部屋に居着くようになった。
昼間はルーシャを労い、夜になれば寂しさを埋めるように優しく、熱く抱きしめてくれる。そんなジミーの「甘い期間」に、ルーシャは自覚のないまま、一歩ずつ深く依存していった。
ある日の朝、朝食を食べ終えたジミーが、真剣な面持ちでルーシャに向き合った。
「なぁ、ルーシャ。俺、いつまでもお前に頼りっぱなしじゃ良くないと思うんだ。……そろそろ、この街で仕事を探そうと思う」
「え……仕事?」
ルーシャは驚いた後、パッと顔を輝かせた。
「うん! 素晴らしいと思う。大変かもしれないけど、僕、応援してるよ」
「ありがとな。まともな男になって、お前を安心させてやりたいんだ」
そう言って微笑むジミーの姿に、ルーシャの胸はささやかな希望で温かくなった。
◇
その日の午後、実習を終えてアパートへ戻ったルーシャは、テーブルの上に置かれた一枚の置き手紙を見つけた。
『仕事探してくるね。ジミー』
殴り書きの文字を見て、ルーシャの胸が温かくなった。
「本当に、仕事を探しに行ってくれたんだ……」
嬉しさのあまりエプロンを締め、得意のキノコのクリームシチューを作り始めた。バターとミルクの甘い香りが、四畳半の部屋いっぱいに広がっていく。
しかし、外が完全に夜の闇に包まれても、ジミーは帰ってこなかった。
9時を過ぎ、11時を過ぎ、深夜になっても音沙汰はない。ストーブの火が静かに揺れる中、ルーシャは一睡もせずにベッドの端で膝を抱えて待ち続けた。
心配で胸が押し潰されそうだった。
——深夜2時を回った頃。
ガチャ、という鍵の音が静まり返った部屋に響いた。
「ジミー……!」
弾かれたように立ち上がったルーシャの目に飛び込んできたのは、肩を落とし、髪を荒々しく掻きむしりながら入ってきたジミーの姿だった。
「遅かったね……! 心配したよ、何かあったの?」
ルーシャは駆け寄り、ジミーの外套に手をかけようとした。
「今すぐご飯温めるからね。キノコのシチューを作って待ってたんだよ」
「……いらねえよ、そんなもの」
ジミーはルーシャの手を荒っぽく振り払い、苛立った声で吐き捨てた。
「クソが……今日はボロ負けだ。あのカジノの野郎ども、絶対にイカサマやってやがる……!」
「え……? カジノ……?」
ルーシャの動きが止まった。仕事を探しに行っていたはずのジミーの口から出た言葉が、すぐには理解できなかった。
「行ったの……? お仕事を探しに行くんじゃなかったの?」
「うるせえな! 一発大きく稼いで、お前にも美味いもん食わせてやろうと思ったんだよ! なんだよ、あのクソ野郎ども……っ!」
ジミーは苛立ちをぶつけるように壁を激しく蹴りつけた。その豹変ぶりに、ルーシャは恐怖で身をすくめた。
ジミーの血走った目が、キッチンの鍋へと向いた。
「なんだ、これ。キノコのシチューだと?」
彼は鍋に近づくと、冷酷な笑みを浮かべて鼻で笑った。
「こんな貧乏臭いもん、食えるかよッ!!」
バッシャーン――ッ!!
大きな破壊音と共に、ルーシャが心を込めて作ったシチューが鍋ごと床に叩きつけられた。白い液体と具材が激しく飛び散り、床一面に無残に広がる。
「……ひ、ひどいよ、ジミー……!」
ルーシャの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「うるせえ! 泣けば済むと思ってんのか! もう寝るぞ!」
ジミーはルーシャの涙など一顧だにせず、衣服を脱ぎ散らかすと、狭いシングルベッドへとドサリと横たわった。大柄な体躯を大の字に広げ、ベッドのほとんどを占領してしまう。
間もなくして、部屋にはジミーの大きないびきが響き始めた。
明かりも消され、冷え切った暗闇の中、ルーシャは一人立ち尽くしていた。
シチューの油分を含んだ匂いが、重く部屋に淀んでいる。ベッドにはジミーが寝ており、彼を退ける強さなど、今のルーシャにはどこにもなかった。
ルーシャは涙を拭う気力もなく、シチューの汚れていない床の隅へと、力なく身体を横たえた。冷たい床に直接、小さな身体を丸める。
(これは……罰なんだ……)
暗闇の中で天井を見つめながら、ルーシャは心の中で何度もその言葉を繰り返した。
おじ様を裏切り、レオノラと欲にまみれた自分に対する、神様からの容赦のない罰。
冷たい床の上で、ルーシャは静かに目を閉じ、音もなく泣き続けた。
つづく
—
バレンタインの日にアルバートの務める小さなレストランへ向かったルーシャ。
「あの、アルバートさんは……」
次回
#91: 凍てつくバレンタインと白日の吐き気: 消えたおじ様と、レオノラの冷たい宣告
「アルバート? ああ、彼ならもう辞めたよ」
お楽しみに!
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