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04_くゆる煙と、記憶の向こう

 応接室を背に廊下へと出ると、美しく整備された中庭が目の前に広がる。  代々受け継がれてきた、天義会の歴史ある建物。ただ馬鹿でかいだけで価値を感じないその風景を目にしていると、背にしていた引き戸の扉が何をするでもなくがらりと閉まった。  応接室の中にいた下っ端が気を遣ったんだろう。一つ楽ができたオレは、オレにしなだれかかる様に寄り添うユエンを近くへと引き寄せる。 「……ロン、永盛堂を煽りすぎだ」  引き寄せたおかげで吐息が触れる距離にいるユエンが、ほんのわずかに眉を寄せる。  この組織でオレに苦言を呈する人間は少ない。ズージンか、目の前の男娼くらいのものだ。その貴重な苦言を聞いて、オレはくくと笑いをこぼした。 「いいんだよ。抗争が無い時なんて、昔ながらの化石ジジイどもを煽るくらいしかやることねぇんだし」 「そんなことを言って……反乱を起こされるぞ」 「おー、そりゃ暇つぶしにちょうどいい。元々あいつら、オレが気にくわないらしいしな」  オレの言葉を聞いて、ユエンは眉間の皺を深めた。  永盛堂はオレが龍頭になる前から天義会に務めている古い傘下組織だ。  堅っ苦しい伝統やしきたりを重んじているのもあって、オレが龍頭になったのが気にくわないらしく、何かと前龍頭のことを引き合いに出して当てこすってくる、うざったくて煩わしい連中。 (いつまでも昔の栄華に縋って古臭いやり方を変えねぇから事業が伸び悩んでるだろうが……あの連中はこの先も、そのことに気づきすらしねぇだろうな)  破滅が見えている哀れな連中。何もせずともいずれオレの前からいなくなる。これ以上気に留める価値もない人間だ。  そんな風に考えていると、ふと視界の隅に目立つ鮮やかなラズベリー色が映った。  ――ユエンの切望の瞳が、すぐ傍でこちらを見つめている。 「あー、そういや、ジジイを煽ること以外にあったな。やること」  オレがユエンの顎を掴むと、ユエンは静かに目を閉じて口を開ける。  舌をその中に挿し込むと、それを追いかけるようにユエンの生温かい舌が絡みついてきた。  求める舌に応えてやり、歯列をなぞって、自身では届かないようなやわらかな場所を舌で撫でてやる。びくびくと震えるユエンがわずかに口を開くと、その隙間から絡んだ唾液の淫靡な水音が零れた。 「はっ、ぁ……んぁ……」  腰が抜けかけているのか、しなだれかかっていたユエンの身体がより強くオレに押し付けられる。  その際に腕に触れたツンとした感覚に、さっきとは違う笑いが漏れた。 「乳首、まだビンビンに立ってるじゃねぇか」 「……中でお前が、散々弄るから」 「はは。自分の男娼を好きにして、何が悪いんだ?」  嘲るように笑うと、ユエンは胸をいっそうオレに押し付け、オレの首に両腕を絡める。  不愛想な表情を張り付けた頬は紅潮しており、わずかにうるんだ目が細まる。媚びるように笑っていないのに、その景色がやたらと淫靡に見えるのは―― ユエンの娼夫たる所以なんだろうか。 「悪くない。悪くないから……もっと、好きにしてくれ」  本当に我慢できないのか、ユエンはオレの足に下腹部を摺り寄せてくる。  申し訳程度に前を隠している前掛けの一部に、雨粒が落ちたような小さな丸い染みが主張している。 「ったく、働き者だよなぁ。オレの男娼は」  皮肉を言いながらユエンの頭の後ろを支えてやれば、それが合図とばかりにユエンはつま先立ちになり、オレに再びキスをねだってくる。  煽情的に誘う娼夫を前にすれば、歴史ある庭とやらもただの草と石、土くれの集まりだ。  オレは薄い布の下に手を差し入れながら、白く滑らかなユエンの肌を暴き始めた。    *  薄いカーテンから、日の暮れた温かな紅い光が差し込んでくる。  その光は、オレの横で全裸のまま気を失って横になっているユエンの白い肌を淡く赤く染める。  かく言うオレは、ベッド端に座り込んだままだらだらと煙草を吸っていた。  紙巻き煙草を通して肺まで吸い込んだ息を吐き出せば、薄くなった白い煙がその光を乱反射しながら昇っていく。 「龍頭、ここにいるんでしょう」  木製の扉をノックと共に、聞きなれた低い声。どう考えてもズージンだ。  オレは改めて煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出してから「入れ」と短く告げる。  しばらく前に見たばかりの仏頂面が、数歩部屋に入るなり不愉快そうに歪んだ。呆れの溜め息を吐き出しながら、ズージンは自分のオールバックの髪を片手で撫でつけた。 「服を着て、換気をしてください。匂いが籠っています」 「あ? いいだろ別に。下は履いてるし。ここ、お前くらいしかこねぇし」  真ん中の庭を挟んで東西南北で別れている屋敷作りで、東に位置する一室。そこはユエンのためであり、ユエンの“仕事”をするためにオレが用意した部屋だ。  普段はユエンが住んでいるが、当然オレが寝泊まりすることも入りびたることも多い。 「男娼の部屋に近づく連中なんて、いるわけないでしょう。龍頭の情事なんて見ようとする人間なんて―…いや、いましたね。少し前に」 「あー、アイツな。度胸あったよな。まぁ死んだけど」  謁見室でユエンを抱きつぶしていた時、廊下から覗いていた馬鹿な下っ端。  名前も顔も思い出せない――もはや覚えてもいなかった――が、ユエンの乱れる姿を黄泉路の土産にしてやったから、今頃あの世でせっせと自家発電していることだろう。 「んで、わざわざこっち来てどうした?」  ズージンは極力東側に近づきたがらない。やってくる時は、とにかく最低限だ。  そんな奴がわざわざ来るということは、それなりに伝えたいことがあってのことだろう。 「永盛堂の連中ですが、報告書に不自然な点がありました」 「へぇ」 「新しい店舗の買収に対して資金の動きも不自然。都心の組織との接触も増えている」 「お、そろそろ反乱か?」 「可能性は否定できません。何せ、どこかの誰かがとびきり怒らせてましたから」 「オレが怒らせなくとも、連中は筋金入りの前龍頭信者だからな。遅かれ早かれ爆発するだろ」  記憶を辿っても、今日来た連中の姿は子供が描いた落書きのようにグニャグニャと何かに塗りつぶされていて、微塵も思い出すことができない。 「今日はいったん返しました。不足分の上納金は帳消しでよろしいんですね」 「ああ。ユエン献上代、とでも帳簿つけとけ」 「またそうやって当てつける。献上した商品に組織を救われたとなったら、歴史ある永盛堂も形無しでしょう」  そう言いながらも否定しないということは、ズージンも記載したとて今後の実務に影響がないと思っていることに違いない。  今日の帳簿には、しっかりと永盛堂の汚点が刻まれるだろう。 「用はそれだけか?」 「ええ、夜の会合には必ず顔を出してください」 「それ、応接室でも聞いたっつーの」  オレの返答を待たずに、ズージンはキビキビとした動きで部屋を出て行った。  永盛堂の報告内容が大したことなかったことを考えると、メインは釘刺しだった可能性が高い。  煙草の苦さが増した気がして、オレは眉をしかめた。 「信用されてねぇなあ……そう思わねぇか? (フェイ)」  ベッドで寝ている相手にそう投げかけると、わずかに衣擦れの音がした。 「……その名で呼ぶな」 「いいじゃねぇか。誰もいねぇんだし」  ユエンの方を見れば、だるそうな身体をベッドに投げだしたまま視線だけをこちらに向けている。  その瞳は、少し前に散々抱かれて喘ぎ、痙攣していたとは思えないほど感情が見えない凪いだものだった。  それは、オレが初めてユエン――フェイと出会ってから、変わらない。  煙草をくゆらせながら、オレは記憶の糸を手繰り始めた。

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