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07_朝焼けの静寂、三日月の笑み

 赤い格子窓の向こう側からは、朝を告げる鳥のさえずりが聞こえてきた。  さっきまで黒く塗りつぶされていた空に、薄い赤と紫が混じった不思議なグラデーションが滲んでいる。 「まだ、帰ってこないか……」  いつもの東棟の部屋で、日が昇りかけている外を窓越しに眺めながら、俺はぽつりとつぶやいた。  昨夜、ロンは本部の部下を連れて、縄張り内の反乱分子を潰しに行ったのだとイーチェンから聞いていた。  ズージンはいつも「龍頭が前線に出ないでください」と苦言を呈しているが、ロンはどこ吹く風で最前線へ向かってしまう。俺は実際に見たことはないが、イーチェン曰く、ロンは腕っぷしがとんでもなく強いらしい。  ――どれだけ相手から恨みを買っても、それを晴らすことが叶わないくらい。 (だからこそ、天義会なんて大組織の龍頭を務められているのだろうが)  天義会(ティエンイーフイ)は中都市である鳴州(ミンジョウ)市にとって、昔から関係が深いマフィア組織だ。  古くから商業の要衝として栄えたこの街では、商売の面でも治安の面でも、警察より先に天義会の名が挙がることも珍しくなかった。  表向きの看板こそ商工会の体裁を成しているが、その正体は子供から老人に至るまで知っていることだ。  それでも、何年か前にロンが組織の龍頭を継いでからは、領地内の小競り合いや反乱が絶えないらしい。 (あの性格なら、仕方のないことか)  人を小馬鹿にし、言い回しが小狡いのに立ち回りがうまく、それでいてとんでもなく強い。  よく言えば悪のカリスマで人々を惹き付けるが、悪く言えば敵を作りやすい。  天義会が古くからある仁義や任侠を重んじる組織なら、傘下の組織は余計に腸煮えくり返っているだろう。 (……俺には関係のないことだが)  半年前に献上されてから、俺はロンの性欲発散のためだけの道具だ。  彼が呼べばその場に行って抱かれ、彼がこの部屋に来れば身体を好きにさせ、人前でちょっかいを掛けられようとも応える。ただロンにとって都合のいいように過ごす。どの勢力にも属さず、何の感情も抱かない。  今も抗争後に気分が昂っている可能性を考慮して、ロンの帰りを待っていた。胸と背中、脇下が大きく開いたいつもの仕事着を着て、準備は万全だ。  そう考えていると、扉が無遠慮に開いた。 「あー、だる。ズージンはどうしてああうるせぇかね」 「……ロン。帰ってきたのか」  裸足で近づけば、ロンがうんざりした様子で俺にコートを手渡してきた。  それを受け取ると、明らかに鉄っぽい匂いが漂ってくる。どうやら今日も派手に立ち回ってきたのだろう。 「フェイ、なんか食いもんあるか」 「茶請けの月餅くらいなら」 「あー……ま、とりあえずそれでいいわ」  ロンは来ていたコートの下に着こんでいた上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚になってベッドにダイブする。  預かったコートをハンガーにかけてから、菓子箱に入っている月餅を取り出してロンに渡した。すると彼は起き上がる様子もなくベッドで横になり、肘をつきながら月餅を口にする。 「…………」 「行儀悪い、とかくだらないこと言うなよ」 「何も言ってない」  正直、思いはしたが。  この屋敷――特にこの部屋においては、ロンは絶対的な存在だ。一介の男娼に何かを言う権利なんてもちろんない。今いる部屋は俺に宛てがわれてはいるが、それは俺の部屋ではなく『ロンが俺を抱くための部屋』に過ぎないのだから。 「ふぁぁぁ……」 「寝るのか?」  さっさと月餅を食べ終えたロンは、あくびをしたまま動く気配がない。  不思議に思って尋ねると、ロンはその長い足を延ばして、ベッド際に立つ俺の下腹部を軽く踏み押して笑った。 「なんだ、オレのが欲しくてしょーがねぇの? ド淫乱」 「……俺が欲しいかどうかじゃなくて、お前が望むかどうかだ」 「んだよ、そこは欲しく仕方ないって言うところだろうが」 「俺にそういうのは求めるな」  慣れた軽口を叩く間にも、ロンはまた大きなあくびをこぼす。  そのままごろりと仰向けに寝転がり、いつもの部下たちを萎縮させている鋭い眼差しを瞼で覆った。  その姿があまりにも無防備で、俺は膝でベッドに乗り上げながらロンに近づいていく。 「……ロン」 「あ? 寝込みでも襲ってエロいことしてくれんのか?」 「お前が望まないならしない。けど、不用心すぎるぞ」  どれだけ強かろうと、ロンは多方面から恨みを買っている。  いつどこで狙われていてもおかしくない、大きな組織の龍頭。それなのに、彼は俺の渡した月餅をためらいなく食べて、完全にリラックスして寝転がっている。 「俺に事前に毒見をさせたり、もっと警戒しろ。龍頭なんだぞ、お前は」 「ズージンみたいなめんどくせぇこと言うんじゃねーよ。お前相手なんだし、別にいいだろ」 「よくない」  娼婦を抱え込んで夜に寝首を掻くのは常套手段だし、毒を盛ることだって十分あり得る話だ。  俺と二人だからと無防備なのは、呆れを通り越して心配になる。龍頭であるロン自身、どういった危険を伴うかは俺よりも知っているはずなのに。 「しゃぶれって言われて躊躇いなく銃を舐る従順男娼だろ、お前。何心配すんだよ。あとそもそも弱すぎて話にならねぇし」 「……どちらも否定はしないが」  うっすら目を開いたロンは、近づいた俺の手首を掴んで引き寄せた。  抱き枕のように抱え込まれると、ふわりと鉄と錆の気配がする。血と、燻った火薬の香り。それらすべてはロンが今日振りまいてきた、死の香り。  改めて、この男がマフィアのトップなのだと実感する。 (それでも、この男が俺を求めるのなら。必要とされてるなら、それでいい)  ロンの機嫌に左右され、何度も抱きつぶされてはいるが――昔の待遇と比べれば、今は十分マシだ。  本格的に寝入り始めたのか、ロンは俺に性的なちょっかいを掛けることなく静かになる。  抱えられたまま鉄と煙草の香りに包まれて目を閉じれば、それよりも生臭い過去がまざまざと蘇った。    *  産まれた時から娼館で過ごして、小さい頃から性の現場を当たり前のように見て育っていた。  娼婦でしか生きられない。娼婦でしか生きたことが無い母は、行きずりの客に孕まされた子供――俺を娼館で育てていた。  物心ついた頃から館の雑務を手伝っていた。炊事、洗濯、掃除、客の案内――使いっぱしりまで。  時に周りの娼婦たちから可愛がられ、時に母に嫉妬した同業者に厳しく当たられながらも、俺は娼館という小さな世界で懸命に生きていた。  けれど、そんなある日。母を連れた娼館の主が言った。 『今日からお前も、客を取るんだ』  驚いて母を見た。  ――母は、口を三日月のように歪めて笑っていた。嬉しそうに。 『アタシの客が、あんたのことを気に入ったんだってさ』  そう言って案内された先には、確かに母の客が待っていた。  プレイが乱暴で、後ろの穴までいじってくる面倒で嫌な客だと母がこぼしていた男だった。  俺に拒否権はなかった。どれだけ泣いても、止められることはなく。そうして夜が明けるまで、穴という穴を弄られ、好き勝手され、男は俺を使って満足そうに帰っていった。  その日から、俺は母と同じように客を取るようになった。  男で、無名なのに、次の日もその次の日も、俺への指名が途切れることはない。  そうしてある時、気づいてしまった。 (お母さんが、嫌だと言っていたお客さんばかりだ)  暴力を振るう。前戯がほとんどない。プレイが乱暴。蝋を使ってくる。執拗に責めて止めようとしない。  すべて母が『嫌だ』と言っていた顔見知り客が俺の前に現れては、身体を好きにしていった。慰み者として、あちこちを弄られて、使われた。  涙ながらに母にそのことを問い詰めたら、母は悪びれもなく俺に言った。 『アタシや客の役に立たないなら、あんたがここにいる意味ある?』  母は娼館で子供を育てる許可をもらうために、館の主と『取り決め』をしたのだと言った。  当然それは、俺が成長したらこの娼館で商品として勤めること。  最初から決まっていた、俺が生を受けるために交わした約束。それは俺が産まれて生きるのに払うべき代価だった。  それから俺は、客からの要求に応えて、応えて、応え続けた。  日に日に表情は動かなくなっていき、娼夫に必要な愛想が振りまけなくなる。それでも客が途絶えることはなかった。他の娼婦からも、嫌がられた特殊性癖の客が俺の元に流れ込んできたからだ。  ――彼らは『俺』を求めに来たんじゃない。自分の望みを叶えてくれる都合のいい穴を求めていた。     それからは、客の役に立つために、受け入れて、尽くして、応えて。  毎日『性』に塗れたせいか身体だけは感じやすくなって、夜の“仕事”の時だけは表情や喘ぎ声が異様に娼夫らしくなっていった。なぜなら、そうすれば客が喜ぶから。  普段の仏頂面の男が、夜だけ淫らに豹変する。その落差が客の人気を得る形になって、俺の元には絶えず客が通い続けた。  そしていつの間にか、娼館内でも随分売れてるようになっていた。あの母よりも、ずっと。 『――ユエン。大丈夫かい』  そういえば、ひとりだけ妙な客がいた。  自分の愚痴や迷いをひたすら語って、しばらく俺に手を出そうとしなかった。  ただ共感するように言葉を返せば、困ったように俺の頬に触れて、それに手を重ねたら照れくさそうに笑っていた。  手を出したかと思ったら、まるで恋人のように丁寧に抱いて。特殊なプレイの強要もなく、ただの挿入に喘ぐだけの簡単な仕事だったのをよく覚えている。  そうして日々を過ごしていると、娼館の主はまた俺の元にやって来た。今度は、隣に母すらいなかった。 『お前を、マフィアに差し出すことにした』  ――はっと、目を開いた。  いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。  俺の傍には、俺を抱え込んだまま眠っているロンの姿があった。  帰ってきた時と変わらず、周りには鉄と煙草の匂いが辺りを包んでいる。 (――穏やかな、夜だ)  あの時はどうなることかと思ったが、今思えば娼館よりもずっとずっと穏やかな生活をしている。  ロンは少々――いや、だいぶ――絶倫ではあるが。正直、彼自身も上手いこともあって、俺が尽くすよりロンにひたすら喘がされている場面も多い。 (いや、喘がされているだけじゃ駄目だ。もっと、ロンを喜ばせるために役に立たなくては)  そんな風に思い、俺は彼との行為を思い返しながらひそかに一人反省会を始めたのだった。

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