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08_閉じた世界と、塞翁が馬
雲一つない、晴天。晴れやかで心地のいい昼下がりだ。
伝統ある庭の樹木は風に揺られて葉擦れの音を立てているし、彼岸花も鮮やかに咲き誇っている。俗に言う『仕事日和』というやつなのかもしれない。
――その庭の土に、引きずるような血の跡さえ残っていなければ。
「おーい、イーチェン。掃除終わったか?」
「あー、あとここだけ血の跡を消したら終わりっす」
先輩に言われ、俺は持っていた竹ぼうきで土にべっとりとついていた血の跡を掃いて、土に紛れさせて消す。
つい先ほど先輩方に引きずられていった敵対組織の悲鳴が、遠くに聞こえていた。今頃は地下で、それはそれは見るのも憚られる拷問が行われているのだろう。
当然だ、ここはマフィア――それもこの街一番の組織、天義会 の本拠地なんだから。
(うーん、今日も物騒だなぁ)
傘下の組織はそれぞれ風俗だの薬物だのと主な生業を持ってるが、本部はもっぱらそれらの管理監督、上納金の徴収、それから組織への反抗の芽を摘んだり、本部建物を警護したりと何かと体を張ることが多い。
特に龍頭が現ボス――ロンさんになってからは反乱分子の動きが活発で、本部直属の俺たちは何かと戦いに駆り出されている。そのせいか、他の組織の下っ端よりもずっと血を見る機会が多い気がしてならない。
(そんなに得意なわけじゃないんだけど……まぁ、仕方ないか)
俺は断じて肉体派ではなく、どちらかというと窃盗やスリなんかの小手先派だ。
だから本部向きとは到底言い難くはあるが――それでも、本部から抜け出せない理由もある。
「おい、そこの組員」
竹ぼうきの柄に顎を乗せてぼんやりしていると、背中の方から鋭い声がかけられる。
なんとなく振り返れば、中庭に面した廊下にズージンさんが立っていた。
その視線は明らかに俺に向けられていて――この組織の実質的なナンバー2の呼びかけだとハッとし、俺は慌てて背筋を正した。
「はい! お疲れ様っす」
「丁度いい。お前に一つ、命がある」
「……命? なんでしょう」
こちらの挨拶をまるでなかったようにスルーして、ズージンさんは俺を見る。
その視線がちらりと東棟に向けられた。
「東棟の様子を見てこい。ロンがいたら、俺が執務室で呼んでいたと伝えておけ」
「はぁ……」
「…………」
なんとなく気のない返事を漏らせば、厳しい無言の圧が飛んでくる。
俺は再び、過剰なまでに背筋を正した。
「拝命します!」
「ああ。すぐに行ってこい」
手短にそう促すと、ズージンさんはつかつかと北西の棟にある執務室へと去っていった。
姿が見えなくなると、俺はピンと伸ばしていた背筋を反動のように軽く丸める。
はぁぁ、と面倒臭さがため息として漏れる。遠くから見てたであろう先輩が、うんざりとした様子で近づいてきた。
「随分と面倒なこと押し付けられたな。よりにもよって、東棟か」
「……ロンさん、絶対ユエンさんのところにいますよね」
「だろうな。お前、あんまり老害連中に見られないようにして行けよ」
先輩の言葉に「はぁい」と返す。声音から面倒くささが滲んでいたのだろう、先輩も呆れ笑いだ。
天義会が入っているこの建物は、古くからある伝統的な作りになっている。
中央の庭を挟んで、北がボスの住む最も格式高い棟。東は本来、側近や幹部などが使う、北棟の次に格の高い棟。西や南が、下っ端が使ったり拷問室などがあったりする格の低い棟だ。
(本来の東棟は、俺みたいな下っ端が用もなく近づけば怒鳴られるんだけどな)
それなのに――東側の棟にはロンさんの男娼・ユエンさんが宛がわれている。
そのせいで、先輩が言う“老害連中”はひどくご立腹だ。幹部たちが娼夫より位の低い場所に追いやられているのだから、当然と言えば当然の話だけど。
(だからって、本部の末端に当てこすってもどうにもならないけど)
本部の連中はロンさん直属の部下ということもあり、そういった傘下組織の幹部なんかにはネチネチと嫌味を言われたりなど日常茶飯事だ。実際、本部の中にも不満を持った人間はゼロじゃない。
(ボス、ほんと気が付くと敵を増やしてるんだよなぁ)
俺をはじめとした本部の組員も、たまったもんじゃないと思っていることだろう。
それでも、そういった反乱分子を潰すたびにロンさんの圧倒的な強さを目の当たりにして、老害は黙るし俺たちは誇らしくなる。
ロンさんは、気まぐれで危ないけど――本当にカリスマ性のある、不思議な人だ。
「それにしても、お前も大変だな。最近すっかり娼夫の世話係みたいになっちまって」
「まぁ……別に言うほど害はないんで。じゃ、東棟いってきまーす」
先輩の同情を軽くかわして、俺は東棟に足を向ける。
その足取りは別に重くはない。世話係になっていても、別に悔しくも嫌でもない。
なぜなら俺は、この組織の『逆らえない人』にそれなりの恩がしっかりあるからだ。
*
盗み聞きにならない程度に、東棟の一室に聞き耳を立てる。
ロンさんがユエンさんを今抱いている、といった気配はない。取り込み中ではないことを確認して、俺は扉をノック――しようとしたら、突然扉が開いた。
「あ? ユエンになんか用か」
部屋の中から当然のように出てきて、俺を見て訝しんだのは我らがボスだ。
俺は慌てて道を空けるように2歩下がり、顔の前に腕を組んで頭を下げる。
「お疲れ様です! ボス。ズージンさんより伝言を預かりました」
「ああ、どうせ執務室に来い、とか言ってたんだろ」
「あ、はい……」
「はーぁ、昨日の件だろうな。たりー」
俺の曖昧な肯定を聞いて、ロンさんは心底嫌そうな顔でその場を立ち去った。
なんだかんだ言いながら、ズージンさんの待つ執務室へと赴いたのだろう。
そうなると、当然気になるのは室内のユエンさんだ。俺は何度か訪れて、見慣れた室内をひょいとのぞき込んだ。
「ユエンさーん、いますよね?」
一瞬、室内には誰もいないように見えた。
ただよくよく見てみると、室内の長ソファのひじ掛けからぐったりとした手がはみ出ている。
軽い覚悟をして室内に入り、ソファを背の方からのぞき込むと――ほぼ全裸で汗まみれ、下半身から白濁を垂れ流してぐったりとしているユエンさんがいた。
「うわ、また随分と……」
「ん、ぁ……イー、チェン、か……」
どうやら来たタイミングは悪くなかったようだ。あと5分でも早かったら、ユエンさんの喘ぎ声を聞きながら、廊下でぼっ立ちする羽目になっていたことだろう。
ユエンさんの全身には噛み痕やキスマークが絶えず、叩かれたのか尻も赤くなっていて――どれだけロンさんに攻められたのかは聞くまでもなかった。
「ボス、荒れてました?」
「多少、な……何かやっかみでも、あったんだろう……ぁ、う……」
ユエンさんが身じろぎすると、まだ余韻が残っているのか艶やかな声が彼から漏れる。
最初こそ抱かれた後の艶やかな様子に多少の興奮を覚えていた俺は、この様子を何回も何回も見ているうちに平常心で会話ができるようになっていた。見慣れると、むしろ荒っぽく抱かれた痛々しい跡の方が目につく。
しかし、そんなユエンさんで発散したからか、先ほど見かけたボスはいつもと変わらない様子だ。
「ほんと、よくやりますね」
「……仕事、だからな。俺が、なだめないと」
そう言ってユエンさんは自嘲する。
(こんなこと続けてたら、いつかぶっ壊れるだろうに)
そう思いながらも、俺は何も言うことができない。
ユエンさんがロンさんをこうして受け止めてるから、ボスの機嫌もいつだって一定まで保たれているし、それによって助けられた命だって多い。――何せ、俺もそうやって助けられた一人だから。
(まぁ、ユエンさんが庇いきれなくて死ぬ奴もごまんといるけど)
ユエンさんが来てから、ボスの機嫌とさじ加減で死ぬ奴は減った。
男娼に助けられて情けないと言うやつもいるだろう。事実、ロンさんに不満を持っている幹部連中は、ユエンさんの存在も、それを暗に認めている本部のことも蔑んでいる奴が多い。
――それでも。命以上に何がいるんだというんだろう。命よりも重い誇りなんて、犬も食わないだろうに。
(……マフィアとしての自覚が足りないって、先輩に怒られそうだな)
成り行きで天義会に取り込まれた俺にとって、最低限の賃金をもらうこと以上の忠誠はない。強いて言うなら、ユエンさんに多少の恩があるくらいだ。
そのささやかな恩で命が長らえるなら、男娼だっていくらでも世話をしよう。
「じゃ、戻る前にちょっと周辺片付けておきますね。ユエンさん」
「……すまない」
「いーんすよ。ボスが呼び出しから戻ってきたら、ワンチャン続きかもしれませんし。水くらい飲んどいてください。この机の上にペットボトル出しとくんで」
「…………」
ありそうと思ったのか、覚悟を決めたのか。ユエンさんが押し黙る。
既に疲弊しているのにさらに続きとなると、ユエンさんの喉が枯れることは必至だ。しかし俺にできることは当然何もない。
俺は適当にあたりを片付けながら、心の中で応援することしかできなかった。
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