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10_鳥籠の安寧、入り込む風
「…………」
東棟の部屋。その広いベッドの上で、俺は潤滑油を纏わせた指を下腹部に這わせた。
わずかに腹を隠しているシースルーの前掛けを唇で咥え、履いていたショーツをずらして自分の指を二本、下の孔にゆっくりと挿し入れる。
「んっ、ふぅ……」
少し前にロンが使っていたせいか、そこはすんなりと指を呑み込む。
そうしてその孔を探るように指を動かすと、指を食む孔は無意識にその柔壁をきゅうと狭めた。
(……緩い、か?)
じくじくと自分の指から与えられる鈍い快楽に眉根を寄せながら、俺は目を伏せて考え込む。
――先日、ロンを喜ばせるために自分から誘い、浴室で彼に跨るまでは良かった。
しかし、結局のところ彼を性戯で喜ばせられたという感触は一切なく。なんなら、『飼い主の性器を使って自慰したかったのか』と揶揄されてしまった。
(他の娼婦のように技術があるとは思っていなかったが……それにしても、ここまでとは)
最終的にはロンにひたすら喘がされるいつも通りの結果となり、惨敗を喫した。
ロンは普段と変わらず好き勝手に発散して、結果としてはすっきりとした顔をしていて機嫌が良さそうではあったが――それにしても、俺は自分が許せなかった。
(あったのか。男娼としての矜持なんてものが……俺にも)
驚きつつも身体をベッドに横たえて、改めて自分の孔の感触を確かめる。しっかり感じこそするが、孔が緩いかどうかはわからない。
今までの乱暴な売り方を鑑みれば、緩くなっていても不思議はないのかもしれないが。
くにくにと柔壁のいたるところを確認していれば、少し前にロンが散々責めた場所に指が当たる。
「あっ、くっ……」
責められた時の余韻が滲んできて腰が動きそうになり、俺は慌てて指を抜いた。
このままだと、止まらなくなりそうだったからだ。
天義会 に来てから、ロンには身体に色々なことを覚え込まされた。1回始まれば行為の数は多いし、絶倫だし、何より的確にこちらの弱いところを突いてくる。
そこまで快楽に弱いつもりもなかったが、ロンの前では鳴かされてばかりだ。
彼のテクニックがあれば、男娼――と言っても俺と違って『攻める』方――で売れることも容易だったろう。
だからこそ、彼を喜ばせることがどれだけ難しいかを痛感する。
(娼館にいた頃であれば、他の娼婦に教えを乞うていたところだが)
残念ながら今は天義会に飼われている身だ。気軽に外出はできないし、する気もない。
所有物が勝手に持ち主の手から消えることなんて許されはしないのだから。
つまりは、自分の孔が緩いかどうかもわからないままだ。
(とはいえ、できることをするしかないが)
さて何ができるか、と考え始めると――その思考を遮るようにコンコン、とノックの音がする。
「清掃と衣類の回収に参りました。龍頭はいらっしゃいますでしょうか」
そんな声が聞こえる。使用人とわかり、俺は潤滑油で濡れた指を濡れタオルで拭きながら、扉の方を見た。
「いや、いない」
「左様ですか。では失礼します」
俺の返答から間髪入れずに扉が開き、若い男がひとり入ってくる。
ここは俺の部屋ではないので、向こうは返答を待つことなく室内に足を踏み入れる。彼が気にするのはロンがいるかどうかだけで、俺はこの部屋の置物のようなものだから当然だ。
そして入った男は、こちらを一瞥だけすると散らかった部屋を片付け始める。
「……初めて見る顔だ」
「新入りです」
彼はそう最低限の返事だけをして、ロンが好き勝手に荒らしていったてきぱきと部屋を清掃していく。
手際の良さから、熟練した使用人であることは感じ取れた。見ていて惚れ惚れするほどだった。
雑に丸められた多数のティッシュも、床にこびりついた精液も、要所要所で液体が固まったソファカバーも、すぐに回収されて、部屋本来の清潔感ある姿が取り戻されて行く。
「こちらも回収いたします」
「ああ」
ベッドのシーツを示され、俺はキングサイズのベッドを降りて、ソファに移動する。
使用人はちらりと俺を一瞥した。
「傷の手当ても、必要そうですね」
「ん?」
「背中に赤いひっかき傷がついています」
「ああ……」
俺を責め立てている時に、面白がってロンがつけたのだろう。背中にあるものを自分で認識できるわけもなく、俺は触れられないとわかっていても、なんとなく背中の方に手を伸ばした。
胸と同じく、首後ろが大きく開いた衣装では、背中に手を伸ばしても触れるのは素肌だけだ。
「……こちらの暮らしは、苦しくありませんか」
シーツの擦れる音に混じって、そんな言葉が聞こえてくる。
俺は、こちらをちらちらと見ながら清掃を続ける使用人に目をやった。その横顔はわずかに歪んで――聞いた方のがどこか苦しそうだった。
「苦しい、とは?」
「いえ、この部屋に閉じ込められ、これほどまでのお勤め……さぞ大変なのではないかと」
“これほど”が指し示すのは、彼が片付けているティッシュやシーツが物語っている跡のことだろう。
何時間も、何度も抱かれていた痕跡は消えない。乾いていても、この部屋で起こったことをまざまざと見せつけていた。
(苦しいかと言われれば……)
絶頂しているところに容赦なく追い打ちをかけられるのは、息が詰まるほど苦しいこともある。生理的に涙が出ることだって多い。それを見てロンが喜ぶことも多いので、さしたる問題ではないが。
けれども『今の暮らし』全体に視野を広げた時、投げ出したほどかを考える。
俺を責めて、責めて。楽しそうに抱くロンの姿が浮かぶ。
『――フェイ。もっと、オレを愉しませろよ』
頭にこびりついているのか、ロンの声と指の感触が一瞬だけ蘇る。
何度も何度も俺を求めて、抱え込んで。覚えさせるように、形も味も体温も刷り込んで。
この場にはいないのに、まるでそこに居るかのような感覚。ぞわり、と身体がよくわからない感覚に疼いた。その感覚に不快感はない。
そうして思い返していると、答えは存外すっと口から零れた。
「苦しくはない。これが俺の仕事だからな」
「本当に――……いえ、何でもありません」
率直に告げたつもりだったが、俺の言葉を聞いた使用人は再び眉を顰める。何かを言いあぐねている表情。
何かを言いかけては――口を閉じる。それを何度か繰り返して、結局は部屋の清掃を再開する。
(……変な奴だ)
この部屋を訪れる人間はそう多くない。
決まって訪れるのは、ロンとイーチェン、ごくたまにズージン。たまにやっかみの上層部の人間、命令されて仕方なく世話を焼きに来る末端組員。
そうした後者の連中は、この部屋や俺を見ても好意的な態度や同情的な態度を示すことはほぼない。
そこに存在しないように振る舞うか、訝し気な表情をするかどうかだ。だからこそ――。
(……新鮮な気分だな)
なかなか感じることのない気分を噛み締める。
そうしている間に、使用人は一通りゴミや衣類の類を集め終わったのか、布の入った籠を抱え直して扉へと向かう。
「それでは、失礼いたします」
急ぐわけでもなく、堂々とした所作で使用人は去っていく。
その姿に何か違和感を覚えて首を傾げると、入れ違うようにイーチェンがやって来た。
「ユエンさん、ボスから差し入れが――……ってどうしました?」
「ああ、イーチェン。少し、気になることがあってな」
目を瞬かせるイーチェンに、俺は先ほどやって来た使用人のことを話した。
心配をされただけのことではあるが、言葉にできない突っかかりを覚えたことも。
「んー……確かに清掃人が入る予定はありましたけど」
「そうか。それならいいんだが」
「いや、念のため報告上げときますね。ユエンさん、ボスの機嫌も察知するくらい鋭いし」
「あれはロンがわかりやすいだけだ」
「いやいや、わかんないですって。ボスの機嫌スイッチなんて」
笑って否定するように手を振るイーチェンに、ボスに向かって無礼な……と思いつつ。幸い誰にも聞かれていなかったようなので、俺はその態度をまたそっと胸の内にしまっておいた。
*
「ユエン。……お、いたいた」
「ロン、どうした」
いつも通りノック無しに扉から部屋の中を覗き込んだロンを、着替えていたオレは振り返った。
また発散しに来たのかと、俺は衣装の脇下に結んである飾り紐をほどき始める。
「おー、ストリップか?」
「……お前が見たいと言うなら」
「ま、そのうちな。けど今日は違う。服は脱いでもらうが」
ロンが部屋の中に入れば、後ろにはいくつかの豪奢な衣服を持った部下が二人ほど控えていた。
なるほど、源氏名 呼びだったのはそいつらがいるからかと納得する。
そうしてその部下連中は、ロンが顎で示すと手に持った衣服をベッドの上に並べ始めた。
「……なんだ? これは」
「お前の服だよ」
「……俺の?」
見た衣装は、丈が短かったり一部腕が露出していたりするが、普段着ているようなシースルーの素材でもなければ、乳首も尻も露出していないものばかりだ。男娼の仕事着としては地味すぎる。
意図が理解できずにロンを見れば、彼は笑みを深めた。
「お前、出かけんだよ。オレと一緒にな」
この屋敷に来てから一度も考えたことのない言葉出てきたせいか、脳が処理を止める。
俺はただただ、ロンを見て目を瞬かせるしかできなかった。
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