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11_高楼の灯り、過日の面影
案内された部屋の窓は一面大きなガラス張りになっていて、その階下には他のビルや走る車がチカチカと宝石箱のように光を放っている。
磨き上げられた大理石の床には天井から吊るされた巨大なシャンデリアが映り込んでいて、赤い革張りのソファ、金色の縁取りがされた酒器、壁に飾られた大きな書――どれも一目で高価だと分かるものばかりだ。
それは、天義会 の趣のある古びた屋敷とはまるで違う。『成金』の部屋だ。
「随分と儲かってんなぁ、お前」
その部屋に置かれた革張りのソファに、ロンは遠慮することなく足を組みながらどっかりと座っていた。
そんなロンの対面に、三つ編みを肩に流したスーツの男が同じように座った。困ったように口元をほころばせると、少し年上なのかわずかなほうれい線が浮き上がる。
「いや、天義会のボスに言われたくねえよ。しかも商売の場に、娼夫連れてくるか? フツー」
そう言って顎で示されたのは――当然、俺のことだ。
(……商売の場だったのか、ここは)
服を着せられて外へ同行させられたが、なぜ急に連れ出されたのか――その目的は未だに告げられないままだ。
そんな俺はと言えば、深くソファに座ったロンの隣で腰を抱えられていた。
ロンが背もたれに身体を預けているため、俺もその胸にしなだれかかるような体勢になっている。
「いいだろ? 大人しくて都合いいんだよ、こいつ。何しても文句言わねぇし」
「いや知らねえけど……相変わらず好き放題やってんだな」
男が呆れたように言うと、ロンがそれに応えるように俺の尻を撫でた。
いつもなら短い裾から下半身の素肌が見えていて、すぐさま下の孔にちょっかいを出されるところだが――今日は事情が違っていた。
天義会の外に出ることになり、俺は長衫 に細身のパンツといった装いをしていた。
普段のような男娼らしい肌の露出はほとんどなく、言われるまま首元のボタンをいくつか外しているに留まっている。
長いこと肌を露出していることが多かったせいか、逆に落ち着かないのもどうかしているが。
「んで、話っつーのは?」
まるで膝元で眠っている猫を撫でるように、ロンは気まぐれに俺の髪や身体を弄りながら、話に戻る。
「ああ、お前のところに卸してるもん、悪いが一律値上げさせてもらう」
「……あ?」
ロンの声が一気に低くなる。ぴり、と部屋の空気がひりついたのがわかった。
背後に控える天義会の部下は、それを感じ取って顔をひきつらせたが――目の前の男は動揺することなく、大きなため息をひとつついただけだった。
「凄んでも値段は下げねえよ。その手には乗らねえ」
「チッ。お前相手だと、めんどくせーな」
「そいつはどうも。腐れ縁でも、付き合いが長けりゃ便利なこともあんだな」
男は肩を揺らしたが、それに反してロンは心底めんどくさそうに顔を歪める。
いつも圧倒的な高みで笑っているロンばかり見てきたので、それは少しだけ珍しい表情だった。
(この男……ロンの古くからの知り合いか)
天義会の中でロンと親し気な人間は見たことが無い。ほとんどの人間がロンを恐れているか、下として心を無にして従っているか、忌まわしく思っているかの三択だ。
俺もロン自身のことはほとんど知らず、知っていることと言えば夜戯のテクニックがあって、絶倫で、気まぐれの猫みたいに時おり無防備で――そして、誰からも恐れられるくらい、強いことくらいだ。
そう思うと、今傍にあるロンの横顔が急に新鮮に見えてきた。
「んで、なんで値上げすんだよ」
「わかってんだろ。昔より商売が面倒になって、同じ量を動かすにもコストが増えすぎる」
「……ま、今は規制もうるせぇしな。“お駄賃”は高くつきそうだ」
「そうだ。昔みたいにただ右から左に流せば儲かるって訳にもいかん」
話だけを聞くに、どうやらロンが相対している男は密売人のようだ。
相当苦労しているのか、その目の下には隈が浮かんでいて、疲れたように息を吐き出す。
「鴉叔 とあろう者が、涙ぐましいねぇ」
「じゃ、値上げさせてくれんのか? 天義会の龍頭さんよ。今はなんて言ったか―…」
(……今は?)
その言葉に引っ掛かりを覚えて、俺はすぐ傍にあるロンの顔を見た。
ロンも俺が引っかかったことに気付いたのか、こちらを見てにんまり笑って見せる。
「ロン、お前は――……」
微かに口を開いた俺の顎を、ロンの手が掴む。そして突如その舌を差し込んできた。
「んんっ……は、ぁ……」
手慣れた様子で俺の口内を舌でまさぐりながら、俺の言葉と一緒に呼吸を奪う。
ヤーシュと呼ばれた男は、そんな俺たちを冷めた目で見ていた。
「あー、なるほど。“ロン”ね。まぁそれはいいんだが……他所でやってくれねえか?」
「あ? 羨ましいならお前も傍に置いてみろよ、娼夫。悪くねぇぞ」
口を離され、ようやく息ができるようになった俺は、今さっきまでまさぐられて唾液で濡れた唇を開き、空気をなんとか体の中に取り込んだ。
「取引先で堂々と娼夫とディープキスして許されるのは、天義会のでかい看板のおかげだろ」
「ならお前んとこの組織もデカくすりゃいい」
「そのためにも、協力してくれねえかなぁ。値上げで」
カラッと笑いながらも、ヤーシュは交渉の手を緩めない。
だるい、という顔をしながらもその眼差しは静かに凪いでいて、ロンと対等に渡り合える人物なのだと――学のない俺にすら伝わってくる。
しばらくの間、二人の間には沈黙が流れた。どちらも口を開かず、相手の出方を窺っているようだった。
「値上げには乗らねぇ」
「そうか。それじゃあ――」
「代わりに」
話を終わらせようとしたヤーシュに、ロンは言葉をかぶせて断ち切る。
その表情は、天義会の龍頭として立っている時の冷酷で不敵な笑み――俺がよく知るそれだった。
「うちの流通に乗せてやる。それならコストはかかんねぇだろ? “お駄賃”も相当抑えられるはずだ。天義会のオトモダチ価格でな」
ロンの発言が予想外だったのか、ヤーシュはぽかんと口を開けている。
「そりゃこっちとしてはありがてえけど……対価はなんだ? タダってわけじゃねえだろ」
美味い話だと感じたからか、ヤーシュは警戒した目をロンに寄越す。
しかし、俺の髪を撫でるロンはいつもの調子をいっさい崩さない。
「値段は今のまま、うちに卸す量を増やせ。お前らが寄越したもんを、天義会の今の流通に乗せてこっちが売る。輸送費とお目こぼしのお駄賃は天義会持ち。悪くない話だろ?」
余裕のある笑みが、深まる。
小難しい話は俺にはわからないが、ロンは確信している。この話を相手が蹴るわけがないと。
(――これが、屋敷の外での『天義会の龍頭』)
部下を気まぐれに殺し、俺を気の向くままに抱いて、他者を揶揄って笑う男とはまた違う。
獲物を狙う狩人のように冷静に、まるで息をするかのように平然と急所を突く。抵抗させず、黙らせる。
ロンという人物が、急に遠く感じた気がした。
「……相変わらず、持ってくる話が美味すぎるな。お前」
ヤーシュは肩をすくめる。
そんな様子を見て、ロンはガキ大将のように表情を崩した。
「いいじゃねえか。俺も儲かる、お前も儲かる。美味い話だろ?」
「ああ。騙されてんじゃねえかと思えて、堪らなく怖いがな」
そう軽口を交わす二人は、悪ガキのように笑い合う。
その様子だけで、古くて気の知れた仲であることは手に取るように分かった。
(昔のロンか……)
ただ抱かれるだけの俺は、当然そんな話を聞いたことが無い。
仕事に不要だからとそもそも聞こうと思ったこともなかったし、ロンの方から語ることももちろんない。
けれども――今日の仕事ぶりを見ると、少し興味が湧いてしまった。
(夜戯のテクニックがあって、強くて、交渉も上手い――なんなんだ、この男は)
経歴も人柄も、そしてどうやら名前すらも。すべてが朧げで――ロンという人物が、分からない。
そう思ってロンを凝視していると、上機嫌に笑ったままの眼差しがこちらに向けられた。
鮮やかな空色とピンク色の、異色なオッドアイが俺を映す。
「どうした? オレに見惚れて」
「……見惚れてない」
平然と事実を告げると、ロンは俺の反応が読めていたのか喉を震わせて笑っていた。
彼は少し勢いをつけて起き上がり、俺も立ち上がらせて肩を抱く。
「んじゃ、ブツは興隆堂 に回しとけ。話は俺がつけておく」
「おう。突然仕事が増えて、お前のとこの下は大変そうだな」
「適当に上手い肉と酒飲ませときゃ文句言わねーよ。言ったら殺すだけだしな」
ロンの言葉に、ヤーシュは「怖え怖え」とおどけて見せた。
交渉は終わりらしく、ロンは俺の肩を抱えたまま部屋の出口へと歩き出す。
「にしても、お前変わったな」
「あ?」
出口に向かいかけたロンが、足を止めてヤーシュを振り返る。
「お前が何かをそこまで気に入ってるとこ、初めて見た」
「あー……そうだったか?」
「ああ。武器も女も、酒も、興味ねえかすぐに捨てるかだったろ。なのにそんな愛でて……しかも、男」
「頑丈でいいもんだぜ? どんだけ乱暴しても、泣き喚いてうるさくねぇし」
そう言ってロンは、俺の肩を抱いたままこちらに体重をかけた。
なけなしの筋肉で支えるも、身体がぷるぷると震えてくる。それを見て、ロンはおかしそうに笑うばかりだ。
「いつまで持つか、見ものだな」
「飽きるようなことがあったら、お前に卸してやるよ。いつもの礼に」
平然と告げるロンに、俺の身体が少しこわばる。
彼に飽きられる時――それは、ロンにとって俺の価値がなくなった時。存在の意味がなくなる時。
そうならないように尽力しなければと、俺は頭をよぎった未来を振り払い、ロンの体重を懸命に支えたのだった。
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