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14_夕映えの波紋、溺心の淵

 北棟は本部の入り口から最も遠くにあり、最も神聖とされている場所だ。  当然そこには龍頭であるロンの私室があり、その奥には北棟を通ることでしか辿り着くことのできない庭があった。  その庭に辿り着くためには、壁にぽっかりと丸い穴の開いた月洞門を通る必要がある。それをくぐる前に、先導していたイーチェンが声を潜めて俺を見た。 「大丈夫っすか、ユエンさん」 「……ああ」  今まで散々手酷い抱かれ方を見られているのに、その上でこれだけ念を押すのは余程のことなんだろう。  とはいえ、俺がロンの男娼である以上、呼び出しを無視することはあり得ない。俺はロンのためにここにいるのだから。 「わかりました。――ボス、ユエンさんをお連れしました」 「通せ」  穴の向こうから聞こえてきた言葉は最低限。声もいつもの飄々としたものとは違う。  そう、部下を容赦なく断罪するときのそれだ。  ちらりとイーチェンを一瞥すると、彼は困ったような顔をしながらも俺をただ見送る。安心させる意味も込めて小さく頷くと、俺は月洞門をくぐった。 「…………」  くぐった先の竹林を越えると、池が庭の真ん中を埋め尽くすように鎮座していた。  池の上を通るのは、階段のように直角に何度も曲がりくねった橋。それは池の中心にある東屋に繋がっていて、ロンはそこにいた。こちらに背を向けたまま、何をするでもなく空を眺めているだけだ。 「ロン」  池の外周から声をかけるも、ロンはピクリとも動かず。空を見ていた顔を、わずかにこちらに傾けただけだった。彼の表情はまだ見えない。 「……フェイ、こっち来い」  イーチェンの気配が遠ざかったことを感じ取ったのか、ロンは俺の本名を口にする。  その声は今まで聞いてきたどの粛清の時よりも冷ややかで。不機嫌なロンを多く見てきた俺ですら、身体の芯まで底冷えするような感覚だった。  それでも、俺はまっすぐにロンを見た。 「わかった」  均された芝道を裸足で歩き、曲橋に差し掛かれば足裏に当たる感触が夕陽で温められた木材に変わる。  東屋に辿り着くと、髪の隙間から覗く血のような紅い瞳がこちらを捉えていた。視線を感じながら、俺は口を開く。 「準備は出来てる。挿れるか?」  我ながら情緒のない誘い文句だとわかってはいるが、弱々しくしなだれかかるのは上手くない。  ロンもそれをわかっているだろうと思い尋ねれば、彼は静かに俺へと人差し指を向けた。 「ならもうちょっと挿れる気にさせろ。そこで、自分でな」 「……わかった」  そう言われて、俺は傍にある東屋の欄干に腰を掛けた。  池を背に、片足を大きく上げて欄干の途中に足をかける。そうして、準備していた孔へと自分の手を伸ばした。右手の指をナカに沈みこませれば、出入りさせる時に奥に仕込んでいた潤滑油がわずかに漏れ始める。 「ん、ぅ……あ、ふ……」 「孔で自慰始めるあたり、お前も根っからの女役だな」  そう言われて、はたと気づく。男としての自慰をすっかり忘れていた。  ロンからのリクエストと受け取り、俺は空いている方の手で最近すっかり使われない自身をしごき始める。 「ぁ、う……んっ……抗争で、何か……あった、のか?」  二か所を自分で弄りながら尋ねると、ロンはハッと嘲るように笑った。笑っているのに、声も眼差しも驚くほど冷ややかだ。 「オレがしくると思ってんのか?」 「思ってない……が、お前が……そこまで、機嫌を損ねる理由が、あっ……思い、浮かばない」 「機嫌を損ねる、ね。そうやって言葉を選ばねぇのは、お前とズージン……あとはヤーシュくらいなもんだ」 「……俺は、こういった時の……言葉選びが、苦手なんだ。んっ……娼館に、いた時から」  他の娼婦のように、相手の機嫌を損ねないような自然な探りも入れられない。それを忘れさせるための艶やかな誘い文句も言えないし、相手の気を晴らすほどの媚びも売れない。  ただ思った通りのことを言って、相手の機嫌を逆なでしたとしても――性行為と暴力に変えられた怒りをありのまま受け入れるだけだった。それでも客が絶えなかったのは、そんな真似をしても入店拒否しないのは俺くらいだったからだろう。 「……フェイ。お前、娼館に居なかったらどうなっていたと思う」 「娼館に、いなかったら……?」 「こうやって自慰も強要されない。普通に学校通って、美味いもん食って、身体売らずにいたらって話」 「んぅ……考えても、みなかった……ぁ、う……」 「じゃあ考えろ。今」  なんでそんなことを聞くのかという疑問は封殺されそうなので、俺は真っ白だった頭に“もしも”を思い描く。  他の子供と混じって学校へ通う。誰かと話して、遊んで、ご飯を食べ、寝る。そうして――学校を出たとして、まっとうな仕事をして、疲れたら夜に寝て。朝に起きる。そんな自分。  排泄するべき孔に肉棒を受け入れることも、こうして羞恥を煽るような自慰も、他人の前で恥ずかしげもなく喘ぐ必要もない。そんな世界。 「あ、ぅ……ん……」  ――ぞっ、とした。己で弄った場所がイイ場所だったからじゃない。  その世界の俺は、俺のためだけに生きている。誰からも必要とされず、ただそこに立って息をしているだけ。  母の役にも立てず、誰にも必要とされず。ロンにも出会わず――求められない世界。 「――幸せか? フェイ」  そんな俺の心の内を知ってか知らずか、ロンは俺の目の前まで歩み寄ってくる。赤い目が俺を映した。  そうして、俺が必死に弄っていた孔にその長い指を躊躇いなく差し入れた。俺よりも太くて長い指が、雄壁の奥をぐり、と刺激する。腹の奥がぞわ、と快楽に沸き立った。 「あッ! ロ、ン……」 「平和で、穏やかで……こんな風に、ケツを弄られることもない」 「っ……はっ、ぁ……あっ、う」  強調するように、ロンは指をぐちゅぐちゅと出し入れして、俺が奥に仕込んでいた潤滑油を泡立て始める。  下腹部から湧き上がる快楽に、声が上手く出ない。それでも、ロンは指を止めようとしなかった。 「そんな生活を今からでも選べたら、お前はどうする」 「あ、んッ! はぅ、ぁ……んぅ、ん」  腹の内側にある場所を、彼の指の腹がぐりぐりと押す。そこは俺の弱い場所で、指が通過する度に喉が引きつり、言葉が引っ込んでしまう。答えが聞けないとわかっているのに、ロンは執拗にその場所を責めた。  まるで、俺の言葉を聞く気が無いようだった。自分から聞いてきたくせに。 「いっ、ロ、ン、キツッ……あっ、あッ、駄目、イッ……く!」  気持ちよさを堪える様に丸まっていた体が、強い衝動に弾かれるようにピンと伸びる。  欄干に乗っていた身体が――後ろに反り返った。  いつの間にか俺の中から指を抜いていたロンが無表情に見守る中、俺の身体は欄干を越えて背中から池に着水した。 「っ、げほっ、げほ……」  池はそれほど深くなく、肘をついて少し身体を持ち上げれば、水かさは肩程度でおさまって――すぐに外の空気を吸うことができた。不意打ちで気管に入った水を、咳で吐き出す。  すると東屋からひらりとロンが飛び降りてきた。重さを感じさせない、軽やかな動作だった。 「孔、出せ」  ふくらはぎまで濡れてしまうのをお構いなしに、ロンは俺を見下ろしながらそう言った。  俺は腹辺りまで水に浸かった状態で、池の底に尻を突いたまま両足をM字に広げて見せる。  ロンは水の中に膝をつくと、俺の腰を掴んで露出した自身を水にぬれた穴に挿入した。ごぽり、と水を含みながらロンがナカに入ってくる。 「あ、あ……あぁ、ん……」 「……はー……」  水の中で、俺とロンの下半身が密着する。ロンは相変わらず冷ややかな目をしていて、一番奥まで挿れた自身を一拍置いて動かし始めた。 「…………」 「あっ、んっ、あっ、あっ、はぁ、ぅっ」  俺が浴室でロンに跨った時と違い、彼は水の中であることを構わずその腰を強く打ち付ける。  じゃぱじゃぱと池の水が音を立てながら、大きな波紋を何度も何度も外に向けて広げていく。凪いでいた水を乱す波は、まるでロンの心を映しているように感じられた。  すっかり彼の形を覚え込んでいる孔は、そんなこともお構いなしに咥えこんだものを嬉しそうに舐めしゃぶる。ぎゅうぎゅうと離れたくないと訴えるように。 「んっ、う……あッ、あぁ、うん、はっ」 「娼館なんかに居なけりゃ、こんな惨めな思いしなくて済んだのにな?」  そう言いながらも、彼は俺の弱いところを突くのをやめない。  しかしふと顔を上げると、冷ややかだったロンの眼差しが同情めいた憐れみに変わっていた。可哀そうなものを見るような目で、彼は腰を動かし続ける。 (俺は……惨めで、哀れで、不幸なのか?)  幸せだった、とは確かに言えない。他に生きる道も実はあったのかもしれない。苦しくなかったか、痛くなかったかと言えば、否定はできない。死ぬような思いをするプレイもあった。理不尽に金を搾取されたこともあった。それでも俺は――。 (――後悔は、していない)  酷い客でも俺で発散できて、翌日から日常に戻れたのならいい。手酷く抱いた後に礼を言うような奴もいた。ロンにだって、失神するほど責められて責められて、息が止まったこともあった。もうやめて欲しいと願うこともあった。それでも、そうだとしても――。 「――ロ、ンッ」  びくびくと絶頂の直前で身体が言うことを利かない中でも、俺は手を伸ばしてロンの首に回した。懸命に、舌を伸ばした。  身体が跳ねて歯が当たる。それでも、俺はロンを求める。 「っ! フェイ、っ……」  差し出した舌を食まれ、ロンの手が頭後ろに添えられる。  離さないとばかりに引き寄せられ、歯が何度も細かにあたりながらも俺たちは舌を絡めた。 「ロン、イき、たいっ……お前ので、イキたいッ……あっ、ん」  微かに離れた口で懸命に伝えると、ロンは笑った。  いつもの不敵で、呆れて――揶揄うような笑みだった。 「ははっ、この話の流れで、それ言うのかよ」 「あっ、アッ……だって、ほしい、からっ……あんっ」  この男は、俺を求める。いつだってどこだって、こんな機嫌が悪い時だって俺だけを呼んで、俺を抱いて気持ちを鎮める。そんなことができるのは俺だけだと、皆が言う。それを示すように、ロンは俺を呼んで抱く。  こんなに求められて、役に立てるなら。  ロンが“俺”を求めるなら。 (それは、俺にとって――幸せなんだ)  ロンはスイッチが入ったのか、キスをやめて俺の腰を掴んだまま何度も腰を打ち付けた。  奥をずんずんと先端で責める度に、俺のナカがぎゅううと締まる。開いた両脚の内股がガクガクと震えていた。怖いくらいの何かが腹の奥から湧き上がってくる。 「あッ、あんっ、ろ、ン、イく、またっ、イくイくっ……!」 「はっ……受け止めろよ、全部ッ……!」 「あっ、あ、あぁ――ッ!」 「フェイ。お前、やっぱ最高だ――」  ずん、と奥に入り込んだ亀頭から、びゅるっと精液が吐き出される音が骨を通じて俺の脳に届く。  ナカはずっと細かく痙攣していて、ロンのモノを咥えて離そうとしなかった。 「はっ、ぁ……」  身体を支えていた腕から力が抜け、俺の上半身は頭から水に沈んだ。  ごぽりと自分の息が水面に向かって浮き上がっていく。視界が歪んで、心地のいい揺らめき。下半身は未だにロンの物を咥えこんだまま嬉しそうに震えている。 (ああ――……)  ただ、相手に尽くせればよかったのに。誰かが俺で幸せになればよかったのに。  最後に来たロンの言葉が頭を離れない。  俺を求めて、褒めるロンの言葉に、溺れている。心が震えて、たまらない。これを何と言い表せばいいのか。学のない俺には、わからなかった。

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