17 / 23

17_月明りの下で、希う

「……ヤル気なくした」 「え……?」  視界がぼんやりとする中で、ロンが部屋を出て行こうとしている。俺に向かって、振り返りざま手をひらひらと振っていた。俺を一人、ベッドに置き去りにして。  普段のロンの絶倫具合を考えれば、絶対に満足していないはずなのに。 「ロン……」 「あー、もう今日はやめ。終わりだ、終わり」  冷めた声。やけに身体が重くて、意識もぼーっとして、俺は彼に追い縋れない。  媚びるのが下手すぎて、口から気の利いた言葉の一つも出てこない。  唯一差し出せる身体すら、はしたなく脚を開いていても――彼は静かにこちらを一瞥するだけだ。それはつまり、今の俺がロンにとって役に立たない存在であることの証明に他ならない。 (――待ってくれ。俺は、まだ出来るから)  ようやくわかったのに。ロンを悦ばせることが、俺の意味で、喜びなんだと。  心臓が冷えていく。他のやつらにも、ロンにも肯定されて、調子に乗っていた自分への罰のように感じられた。  体調一つで存在意義が危ぶまれるような薄氷の上にいることを忘れて、他人のためではなく自分の喜びのために生きようとしたから。母が言ったように、役に立たなければいる意味なんてないのに。  視界と意識が、同時に滲んでいく。 (ロン、待ってくれ。もっと触れて、使って――傍に置いて)  滲んだ目に何かが溜まる。心の中でロンを呼ぶたびに、それは増えて、増えて――溢れた何かが頬を伝った気がした。 「…………」  気が付くと視界は真っ暗で、目元がわずかに温かい。  うっすらとまぶたを開くと、いつもの東棟の屋根が見えた。  ロンが出て行った時から時間が経ったのか、辺りは真っ暗になっていて、灯りは何もついていない。窓から入ってくる月明りだけが辺りを微かに照らしていた。 (……気を失っていたのか)  未だ重い身体は、ベッドの上に寝かしつけられていた。  抱かれた時のまま放置されているということはなく、誰が行ったのかはわからないが、身体は綺麗な状態だ。  丁寧に掛け布団もかけられて、額には水に濡らされた布が置かれていた。しばらく放置されていたのだろうか、随分とぬるい。  ぼんやりとしながらも状況を理解すると、心が冷静になっていく。 (……あの時の、せいだな)  ロンがとにかく不機嫌で、北棟に呼び出された時。  池に落ちて、それから陽が沈むまで延々と抱かれた記憶が蘇る。全身水に濡れていたし、何より疲れすぎて、その後の処理をおざなりにして寝落ちてしまっていた。今思えば、あまりにも不用心だった。  自分の危機管理能力の無さに嫌気が差す。  そんな風に思って身じろぎした時――見えていなかった枕元に、一つの影が存在していることに気が付いた。 「……ロン……?」 「…………」  俺の枕元――ベッドの縁に腰を掛けているロンが、大真面目な顔で俺を見下ろしている。  元暗殺者の技量で気配がなかったのか、それとも俺が熱で鈍っているのか。その存在に気づくのにずいぶん遅れてしまった。  俺は重い手を持ち上げて、なんとか彼の膝に触れた。 「さっきは、悪かった。寝たら落ち着いたから……使うか? それとも、口でするか?」 「お前……第一声それかよ」 「……? 俺はお前の男娼だ、当たり前だろう」  呆れたような声を聞きながら、俺はベッドに肘をつくことで上体を起こそうとして――ロンに人差し指で額を押さえられた。  かくんと、いとも簡単に俺の身体はベッドに沈む。指一本でしか押さえられていないのに、起き上がれなくなる。 「これも、暗殺者の技術か……?」 「お前の力が今まで以上に雑魚なだけだよ、バーカ」  俺が起き上がることを諦めると、ロンも額に添えていた指を退ける。  発散することが目的じゃないなら何のために来たのか。その答えが来ると思って待つものの、ロンは一向に口を開こうとしない。  ――そこには穏やかな静寂だけがあった。  肌がぶつかる音も、淫靡な水音もない。ただお互いの呼吸だけがわずかに聞こえるだけ。  ロンが何がしたいのか、何のためにここにいるのか。俺にはわからなかった。  元より俺に測れるような男ではないのはわかっていたが、今日は特にわからない。  俺の頭が回っていないだけかもしれないが、それにしても目の前の触れられる場所にいるのに――やはりこの男は掴めそうにない。 「……雲みたいなやつだな」  前々から思っていたことが、思わず口から零れた。 「あ?」 「お前のことだ。抱かないのに、ここに来て……意味がわからない」 「…………」  ロンは俺の言葉を静かに聞いていたかと思うと、俺から見えない枕元に手を伸ばす。  視界の外で何かを済ませると、俺の方に顔を近づけてきた。 (ああ、やるのか)  キスから始まると思い、俺が口を開けると――重なった口から何かが流し込まれた。  驚いて一瞬むせそうになるも、俺はされるがままにそれを呑み込む。ロンのすることに異議を唱えられるわけがないからだ。  わずかに苦みのある液体が、喉を通って行った。 「っは……ぁ……」 「飲んだな。相変わらず馬鹿みたいに従順で助かるわ」 「ロン、今のは……? やらないのか?」  ロンはもう顔を離していて、驚く俺を見ながら小馬鹿にするように笑っていた。  頭がぼーっとしているせいだろうか。月明りに照らされているその顔が、妙に優しく感じてしまう。あのロンを相手に、変な感覚だ。 「飲んだなら寝ろ。今のお前に突っ込んだって、孔がガバガバで気持ちよくなんねーんだよ」 「それは……不便を強いて、すまない」 「ホントにな。治ったら気絶しても許さねぇくらい使ってやるから、覚悟しとけ」  そう言いながら、ロンは俺の目元に触れた。  温かい。目が覚める前に感じたのと、同じ温かさだ。 「いつも、気絶するまでやってるだろう……」 「そりゃそうか。じゃあ、どうしてやるかな」  ロンは口端を上げて悪い笑いを浮かべた。  その表情は、悪戯を考える時の子供のそれと似ている。“龍頭”の時には見せない、少しだけ幼い顔。ヤーシュと会っていた時ともまた違う顔。  少しだけ柔らかな雰囲気に、俺は思わず手を伸ばしていた。ロンの服の裾を、指でつまむ。 「治ったら……また触って、使ってくれ」  今は役に立たない身。図々しい願いだとわかっていても、そう懇願してしまう。  そんな俺の言葉に、ロンは俺の手を握ることもなかったが、振り払うこともしなかった。 「はっ、当たり前だろ。お前は誰の男娼だよ」  自信ありげで確かなその言葉に、一気に力が抜ける。  俺はまだ、ちゃんとロンの物であると。まだ彼の役に立てるのだということに安心した瞬間、一気に眠気が襲ってきた。  重く苦しかった身体も、ふわふわと水の中をただようような感覚に変わる。  急に息がしやすくなり、俺はその感覚に流されるままゆっくりと意識を手放していった。   *  シャッ、と布が引かれる音と共に、まぶたを突き抜けて強い光が頭に入ってくる。  思わず手で目元を覆いながら、俺はゆっくりと目を開けた。 「あ、ユエンさん。起こしちゃいました?」 「……このまぶしさで、起きない奴はいないだろう」  カーテンを開けたのはイーチェンで、俺を起こした強い光は朝日であることが分かる。  少しだけすっきりした頭で辺りを見渡せば、部屋にロンはいないようだった。  イーチェンだけが部屋の中にいて、テキパキと物を整理したり換気をしたりと歩き回っている。 「体調、悪かったんすね。調子どうです?」 「……昨日と比べれば、悪くない」 「はぁ~……一晩で回復ってのも、タフですね。あんだけ酷い抱かれ方をずっとされて、むしろ今までよく元気にやってたなって感じすけど」 「娼館の時代に比べれば、そこまでじゃないんだが……慣れて、少し気が抜けてしまっていたんだろう。不甲斐ない」  娼館でのハードなプレイの数々を思い出してそう言えば、イーチェンは「やば!」と大げさなリアクションを取る。 「小慣れるのもやばいですけど、今の環境でむしろ気が抜けられるのもやばいですよ」 「そうか? お前もズージンも悪い扱いはしないし、ロンも抱いてくるだけだ。害をなすわけでもない」 「はー……メンタリティが違いますわ。やっぱロンさんの相手は、ユエンさんしかできないですね」 「そんなことはないだろう、過去にもあいつを相手にした娼婦はいたんだから」  そう言うと、イーチェンは明後日の方を向いて「そうっすね~」などと白々しい返答をする。  真意がつかめずに眉をひそめていると、イーチェンはサイドテーブルにお盆を一つ置いた。  その上にはわずかに湯気が立ち上る粥と、いくつかの果物がカットされて皿に乗っている。 「ボスからの伝言です。『ケツの孔しっかり締まるようになるまで、ベッドから出んな』だそうです」 「…………言い方」 「俺はズージンさん経由で聞いたセリフをそのまま言っただけなんで。自分で食べられます?」  ズージンがそんな台詞の伝言をしたなんて興味深いが、俺はそれを追求せずに呑み込む。  イーチェンの問いに頷いて上体を起こすと、膝にお盆を乗せられた。  早速食べようと匙を手に取って、粥の中にある白い具材に気が付く。昔、娼館で客が持ち込んできた時に、何度か見たことがある。 「……これ、燕の巣か? 高級品じゃないか」 「ボスが用意させたみたいですよ。滋養強壮にいいもん入れとけって」 「……その雑な指示で、これが出てくるのか」 「天下の天義会、龍頭直々の指示っすから。フェイさんに早く治ってほしいんじゃないですか?」  入っている粥に匙を通す。柔らかくなった米の中に、明らかに大きな繊維質の塊が混じっている。  天義会の龍頭にとっては大したものではないかもしれないが――。 (なんだか、むず痒い。役に立っていないのに)  いつもみたいに好き勝手にしてくれれば、立場も弁えられるというのに。  まるで大事にされているみたいだ。  シァミンが丁寧に接してきた時には何も感じなかったのに、ロンがしてきたかと思うとなんだか落ち着かない。そのせいか、早くロンに触られて、抱かれて、使われる日常に戻りたいと願ってしまう。 (早く、治さないと。頭がおかしくなりそうだ)  落ち着かない気持ちのまま、匙を口に運ぶ。  気もそぞろのせいか、それともそもそも味が薄いのか。俺はその高級品の味がよくわからないまま、粥を食べ続けた。

ともだちにシェアしよう!