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18_流れるる雲の、新霽月
夜、西棟にある大広間。
格式高そうな調度品が並んでいるその部屋に、沈黙が流れていた。
普段は天義会傘下の堂主たち――すなわち、各組織のお偉いさん――が組織を率いて訪れ、ズージンさんやボスたちと小難しい話をしたり、謁見や報告を行う場所だ。
それなのに、今日は傘下組織の人間は人っ子一人おらず、本部直下の組員だけが軒並み集められている。その数、数十人は下らない。
下っ端中の下っ端である俺もご多分に漏れず、下座で片膝をついていた。
「にしても……空気が重いっす……」
「イーチェン! バカ、黙ってろ」
俺が小声で漏らすと、隣にいる先輩も小声で俺を叱りながら脇を肘で小突いた。
いつもより切羽詰まった先輩の声。その原因は、上座に座っているロンさんが不機嫌なことに他ならないからだ。
「…………」
表情だけを見ると、静かに口を引き結んでいるだけで“怒っている”ようには見えない。
けれども、いつものような作戦を説明するズージンさんに茶々を入れる様子もなく、不自然なくらい鮮やかな空色の瞳で辺りを見回しているだけだ。
――その静けさが、皆恐ろしいのだろう。
隣に立っているズージンさんだけは平然とした様子で、書類を手に小難しい話を読み上げている。しかし、それがろくに頭に入らないくらいには、空気がピンと張り詰めていた。
圧倒的な権力を持ち、気まぐれな龍頭が不機嫌。その矛先がいつ誰に向いてもおかしくない状態であれば、当然だろう。
「――以上が、四日後に控えた作戦の概要だ。詳細は別途紙の資料を用意した。頭に入れたら必ず燃やすように」
ズージンさんがそう言い切るや否や、直属の部下から紙の束が配られる。
そこには細かい文字がびっしりと書いてあり、見る前からうんざりしてしまう。
「今回は他の新参組織の牽制や、一部の不穏分子を潰すだけに留まらない。この組織に昔から根付き、形骸化した腐敗の巣を排除する。相手も本気で抵抗してくるだろう。心してかかるように」
部屋中から「はっ」と短い返事が響く。
本部直下の部下たちが一堂に会すことなんてなかなかないので、覇気ある返事が部屋を満たし、一斉に首を垂れる姿は圧巻だ。それを一瞬見守った後、俺もすぐさま首を垂れる。
「龍頭、何か言うことはありますか?」
「あ?」
ズージンさんがなんの気なしにボスに話を振れば、ずっと真顔でだんまりを決め込んでいたボスが口を開く。
その声にも明らかな怒りは浮かんでいなかったが、どこかピリピリしているようだった。
ズージンさんは、大勢や客人の前では基本的にボスの顔を立てる。が、今の様子がよほど気になったのか、珍しく口を開いた。
「そんな顔をされていては、下の者が萎縮します」
「仕方ねぇだろ。お前がこの間、ろくな娼婦を用意しなかったから大して発散できなかったんだよ」
「それは失礼いたしました」
謝ってはいるものの、言葉に反してその声にはまったく申し訳なさが滲んでいない。
それと同時に、ボスの発言が引っ掛かった。
(ユエンさんが寝込んでるから、娼婦呼んだのか)
先日熱を出して寝込んでしまってから、ボスはユエンさんの部屋に通っていないようだった。
俺は『他にやりたいやつもいないから』という理由で、ユエンさんの世話全般を任されていたせいか、ボスが娼婦を呼んでいたことに気付いていなかった。
ここ最近のボスはすっかりユエンさんの部屋に入り浸りだったからか、娼婦を呼んだ話もどこか新鮮に感じる。……しかしどうやら、その“発散”は上手くいかなかったらしい。
(ボスのイライラはそういうことかぁ)
数日後に控えている、傘下組織に強襲をかけるための準備からくる忙しさ。そしてユエンさん不在によるストレスの未消化。いかにユエンさんがボスの機嫌を受け止めていたかを肌で感じる。
そんなことがわかるのは、本部内の人間――主に中堅から下っ端だけだろう。昔からいる頭の固い連中は、軽蔑しているユエンさんに密かに助けられていることを知らない。
そんなことを考えていると、ふとズージンさんが俺を見た。
いや、正確には――俺のすぐ横にある、大広間への扉だ。
「入れ」
誰かの気配を察知したのか、ズージンさんが短くそう言うと――ゆっくりと扉が開かれた。
「……ロン」
扉を開いて現れたのは、いつもの露出度の高い衣装を着たユエンさんだった。
その様子は顔も赤くないし、ふらつきもしていない。裸足のままだがしっかりとした足取りで、病に伏せる前のユエンさんそのものだった。
「なんだユエン、孔は締まるようになったのか?」
口を引き結んでいたボスが、ユエンさんを見るなり揶揄うように笑った。
その問いかけは、俺がズージンさんを通じてユエンさんに届けた復帰の条件――それが達成するまでベッドから出るな、とのお達しだったことを思い出す。
ボスの問いに対して、ユエンさんも躊躇う様子なく首を縦に振った。
「当然だ。でなければここまで来ない。ただ、大事な話だったようなので、外で待っているつもりだったが……」
ユエンさんはちらりと、入るように命じたズージンさんを見た。
見られたズージンさんは目をそらしもしなければ、頷きもしない。ただ静かに、ユエンさんの動向を見守っていた。
ユエンさんもユエンさんで、ズージンさんから答えを得ることはできないと諦めた様子で、ボスに視線を送る。
「あーいい、いい。小難しい話は終わってる。こっち来い」
ボスに手招きをされたユエンさんは、ずらりと並ぶ部下たちを回り込むように壁際を歩いて彼の元へとたどり着く。
そうして辿り着くなり、ボスは招いていた手をユエンさんに伸ばした。
ボスがユエンさんの短い裾の奥――内股の間にその手を差し入れると、ユエンさんはびくりと身体を一瞬跳ねさせる。
「んっ、ぁ……気が、早い」
「お、確かにちゃんと締まるみたいだな。準備も万全」
裾の短い服の下で何が行われているか。それは俺たち下っ端の知るところじゃない。
ちらりと辺りの様子を見回せば、古参であればあるほど呆れたような表情をしていて、中堅は何も見てないかのようなそぶりが大半。
俺のような下っ端連中は「またか」といった表情半分、空気が軽くなって安堵している表情が半分。ユエンさんの色香に当てられて眺めてしまっているのが少数といった調子だ。
俺はユエンさんの性的なシーン――と言ってもほとんど事後だが――を見ているからか、どこまでも冷静でいられた。
「お前が治るまでの間、暇すぎて娼婦呼んじまったよ」
「ぁ、ん……娼婦、を……?」
服の下で弄り回されているのか、ユエンさんはロンさんの手を緩く牽制しながら小刻みに肩を震わせる。
「ああ」と返事をするロンさんは悪い顔で笑っていた。ユエンさんへの当てつけなのだろう。
反応を間近で見ようとしてか、ロンさんは空いている方の手でユエンさんの腰を引き寄せ、顔を覗き込んだ。
にやにやと、反応を愉しもうとする顔。そんなロンさんを目の前にしても、ユエンさんはいつもと変わらない。艶っぽい吐息をこぼしながら――まっすぐにロンさんを見ていた。
「俺が、熱で……お前を発散、させられなかった、から……ふ、ぁ……呼んで当然、だ」
「はは、相変わらず都合のいい奴だな。お前」
「お前が、満足すること……それが、ぁ、一番、大事……だからっ、んぁ」
脚の力が抜け始めたのか、ユエンさんはがくがくと足を震わせ始める。
股の下にあるロンさんの腕を跨ぐような格好で、懸命に自分の体重を支えていた。
「で、も――……」
身体を震わせながらも、ユエンさんはロンさんの空いている方の手を取った。
その手のひらを懸命に持ち上げ、自分の胸――刺青に手を導く。
「もう、今は……俺が、使えるから」
「……はッ、涙ぐましいこった」
ボスは導かれた手で、ユエンさんに薄くて肉のない胸を鷲掴む。
それと同時に、下に与えられた刺激が強くなったのか、ユエンさんの身体がひと際大きく跳ねた。
「ぁ、う……」
「けど、俺の欲しいものを自分から差し出してきたことは、褒めてやる」
「待っ、指……ふか、ぃ……あぅ」
ボスは鷲掴みしていた手を離すと、俺たちに向けてその手をひらひらと振った。
「じゃ、今日は解散。ヤーシュに話通してあるから、強襲までに武器もたっぷり補充しとけ」
「「「「はッ!!」」」」」
集まっていた連中は力強く返事をした後、思い思いに解散していく。
訝しむ連中もいるが、この空気はすっかり天義会にとってよくある光景になっている。
――不機嫌なボスと、それを身体で収めようとするユエンさん。
(きっとこの後、ここで続きが始まるんだろうな)
いつもの流れ、いつもの空気だ。毎日のことではないが、これが天義会の日常の1ピースだと言えるだろう。
ユエンさんの復帰で、ようやくその実感が持てた。
「う、ぁ……ん、ぁ……はやく、ロン……」
「淫乱すぎんだろ、お前。ま、俺は別に構わねぇけど」
まだ全員が大広間から出ていないというのに、おっぱじまりそうだ。
俺もユエンさんを一瞥しながら、大広間を出た。
組織の平和の一部がユエンさんで成り立っているとわかりつつ、この後を思って心の中で応援しながら――しばらく大広間には近づくまいと固く心に誓ったのだった。
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