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第77話 丸の内
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ー 丸の内 ー
車が一台駐車場に入ってきた。遠目に安堂さんが病院の深夜専用の出入り口に急いで向かうのが見える。
俺はあれから外にただぼうっと立っていたのか。
時間を確かめるともう夜中近い時間だった。
メッセージの着信に気がつきスマフォを見る。剣崎からだった。
「 今日はもう終わりだ。明日検査した後退院の時間がわかったらまた連絡する。高光さん、事情徴収は大人しく言ったとおりに話したから安心して 」
病院に入って行った安堂さんは今晩どうする、一緒に泊まるのか?聞きたいことはあったが大人しく帰宅することにした。
なんて中途半端なんだ。
高光には剣崎に頼りっぱなしで、手助けもできない。
藤間の事は三枝先生に預けてフォローも何も出来ていない。
おまけに自分も警察に連れて行かれたなんて……
俺はすっかり意気消沈した。
それでも朝起きれば、やらなきゃならない事は山積みだ。
9月からの業務の引き継ぎと夏休み後半の講習の準備と、学校で三枝先生に会ってもお互い忙しくて話をする暇もなかった。
一番聞きたい光の様子も三枝先生が何も言わないって事は大丈夫なんだと強引に心に押し込めた。
昼過ぎ、剣崎から連絡が入る。
午後退院になるが、その事で話したいことがあると言う。
勿論会いに行くつもりだったが、また何か問題でも起きたのか。
俺は急いでその後の仕事を片付けすぐ指定された場所に向かった。
それは丸の内、堂々とした建物が立ち並ぶ一角にある高層ビルだった。
取り敢えずスーツにネクタイをしていた俺はガードマンに止められることもなく大理石で囲まれた豪華な一階ロビーのカウンターに向かう。
穏やかな笑顔を見せる女性に剣崎の名刺を渡し取次を頼む。
美人と言って差し支えのない彼女が鷹揚と受話器を持って取り次ぐ姿の背後の鏡に、しかめ面をして前のめりにカウンターにのしかかる自分の姿が映る。
スーツを纏ってはいるが目の下にはクマ、ヒゲも剃り残しがある様なくたびれて顔色の悪い無様な姿。
何一つ上手く回せない。いい歳をしてみっともない。
こんな姿は絶対にしたくないと思ってきたのにこの体たらくを晒す自分に嫌気がさす。
「 菅山さま……奥のエレベーターで36階にお上りください。
こちら入館許可証です。エレベーター手前のゲートでタッチするとゲートが開きエレベーターホールに入れます。更に指定された階に止まるエレベーターの中で階数表示の下のパネルにタッチしますとそのご指定の階で降りることができます 」
「 警備は固いんだね 」
「 はい、当ビルは最新式のセキュリティーシステムを導入し身元不明の者が入館できない様に厳しく管理しております 」
勝ち誇った様な笑みを浮かべた彼女のこの言い分にせっかく持った好印象も霧散した。
差し出されたプレートを受け取り指示どおりにエレベーターで36階に上がる。
扉が開き踏み出した俺は、
深い絨毯が敷き詰められた床と豪華な調度品が並べられたカウンターに迎えられた。
さっきの受付嬢より更に数倍美しい女性が、
「 いらっしゃいませ、菅山様ですね。お待ち申し上げておりました 。
こちらにお掛けになってお待ちください 」
と、深い紺色に染められた1メートル四方はありそうな大きな皮の一人がけのソファに俺を案内する。
深くソファに腰をかけながら、目の前を優雅に闊歩する毛足の長い絨毯に脚がよくもつれないなと感心するほどの細いピンヒールを眺めていると、
「 なんだ、女性もいけるのか 」
と不躾な言葉が降ってきた。
振り返るとそこには剣崎とその後ろには高光が立っている。
「 どうして 」
ここで高光に会えるとは予想しておらず驚いて発した問いに、
「 うん、まぁ事情があってだな 」
と答えて前の三人がけのソファに剣崎は腰をかけるが高光は立ったままで俺の方をじっと見つめていた。
先ほどの受付の女性がお茶を持ってくるまで誰も話し始めることなく沈黙が広がる。
茶托に載せられたお茶は三つ。
俺の前に一つと、剣崎の方に二つ置かれた。
立っている高光に座ったらと促した剣崎にも頭を横に振って断る仕草をする。
「 さて、どこから説明するかな……
まず高光さんがここに居る理由。
頼んだ身元引き受け人、安堂さんを彼は断った。誰にも頼りたくないって理由で。
平田容疑者の累犯の捜査が高光さんに及んだ際、運悪く送検されたら身元引き受け人は絶対に必要なんだが。
一応、私が責任を持つということで、今回は注意をされただけで帰れたって事だ 」
安堂さんを断った……
「 何嬉しそうな顔してる?」
「 いや、別に…… 」
「 それで、高光さんも昔の仲間の言ったことは事実無根の彼の作り話だとわかってくれた。あんな馬鹿な行動は二度としない様に私から言った 」
高光を見ると俯いて少し顔を赤らめてる様だ。
「 良かったよ、あのまま事件になったら光君がどんなに心配するか 」
「 光、光はどうしてる?」
俺の口から光の名が出ると途端に高光が弾かれたように顔を上げる。
「 大丈夫だ。三枝先生の家に預かってもらってる。先生の家族ともうまくやってる様だから安心しろ 」
「 そうか……光、、一人じゃないんだな 」
その言葉に頷くとやっと安心したのか絨毯の上に座り込んだ。
昨晩よりややましな格好はしているがそれでもTシャツにナイロンジャージの下を履いた姿は全くこの高級な部屋にはそぐわない。
いたたまれないんだろうな、
高光を一刻も早く連れて帰りたい。
「 高光さんはアパート解約して栄田さんのところに身を寄せてる。彼の所に帰ると言ってるんだが身を預かった私としてもそういうわけにはいかない。
菅山さんが話したいんじゃないかと思ってここに来てもらったんだが 」
「 俺の家に連れて帰る 」
ハッとして顔を上げる高光に、
「 俺の家に来い、話があるんだ。
お前に言わなきゃいけないことがある 」
と、言い置きそして俺は剣崎に頼んだ。
「 俺の家に連れて帰る。剣崎が身元預かりになっているなら警察から連絡が入っても上手く対処してくれるよな 」
やれやれという顔をしながらも、
「 そういうと思ったから菅山さんをここに呼んだんだ。
高光さん、菅山さんときちんと話し合った方がいい。
君にはこれからまた平田容疑者の累犯で捜査が及ぶと思う。そうなったらしっかりと話をする事も不可能になる。今のうちにきちんと心の中を見せて腹を割って話した方がいい。
それが息子さんのためにもきっとなる 」
高光は立ち上がるなり剣崎の座るソファに詰め寄った。
「 サツキは?どうなりますか?」
「 彼女がどうなるかは捜査が進まないとわからないが、藤間さんが弁護士を付けたと聞いてる。
成り行き見守るしかないだろう 」
一瞬悔しそうに歯を噛み締めた高光は両脇に下ろした手を震えるほど強く握りしめた。
「 俺って、何にもできないのか……なんで、こんなことに、
俺が平田をまたサツキ達に近づけちまったのか!」
高光が嗚咽をこらえて流す涙に、この何日かの高光の苦しみを思う。その心に抱え込んだ悔しさが流す涙と一緒に流れていくといいと心から思った。
コンビニで起こした事件からここまで殆ど無言の高光が久しぶりに放つ感情を思いっきり受け止めてやりたい。
馬鹿がつくほど純粋で単純でアホな事をするやつだけど、その心根は真っ直ぐでちっとも汚れちゃいないんだ。
暫く啜り泣いた顔は強くこすったせいか薄く赤くなっている。
「 ありがとう、ございました 」
と礼を言った高光に剣崎はゆったりと言葉をかけた。
「 高光さん、二三日ゆっくりするんだね。その間は無理かもしれないが自分のことだけを考えて。
この菅山さんに甘えてやってくれ。
あんたのことばかりでこの何日か張り切りすぎてすっかり疲弊しきってるよ。
見て、10歳は老けた 」
俺を見て又泣きそうな顔に戻った高光はあらためて深く剣崎に頭を下げた。
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