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第80話 変えられないもの
夏の扉を叩くのは 80
ー 変えられないもの ー
一緒に暮らすことへの明確な答えはなかったが凌を連れて家に帰った俺は剣崎の協力で手に入れた恋人との生活を穏やかに享受していた。
三日ほど学校での引き継ぎ業務などで家を留守にしたが凌は大人しく俺の帰りを待っていてくれた。
昼間何をしてたかと聞くと、何もしてないと言いながら洗濯と掃除とで細々と綺麗にしてくれていたようだ。
料理だけは一切できないのか、美味しかったと言って冷蔵庫の中のストックしたおかずが減っているのは俺には嬉しいことだった。
学校も昨日から完全に休みに入った。
外を見ると、短パンに薄い水色のシャツを羽織った凌が裸足でデッキの周りに植えてあるグリーンに水をやっている。
連日の強い日差しに葉が枯れてないか触りながら確認している姿。
凌が結構マメなんだなと気づいたのは一緒に生活しているゆえだろう。
休日の朝の一時、コーヒーを淹れながら誰かの事を知っていく事がこんなにも心地よいものかと弛っていると、カウンターの上のスマフォが着信で点滅する。
「 菅山先生、おはようございます 」
「 三枝先生、おはよう。
ごめん、こちらから連絡入れずに悪かった。それで、何かあった? 」
「 はい、
光君が高光さんに会いたいって言ってます。ちょうど光君の塾の夏の講習も終わったようなので今日夕方にでも会えませんか?」
「 光君が、そうだな……
随分心配してただろう。凌、いや高光も会いたいと思ってる筈だから、どうするうちまで連れてきてくれるか?」
「 はい、菅山先生のお宅に連れて行きます。時間は……」
藤間さんの方もサツキさんが売春の中継ぎをしていたという疑いは本人も否定してる上に証拠も出ないし平田の言い分だけでは起訴まではいかないだろうという話を剣崎から聞いた。
藤間さんとはあれから全く音信不通になってしまっているが、奥さんの弁護士を通して、
藤間さんが隣県に仮住まいし変わりなく生活を送っている事はわかった、と剣崎の話に添えられていた。
藤間さん、光には連絡しているのだろうか。ちょうど心配しているところに、
三枝先生からの連絡だった。
水遣りを終えて部屋の中に入り
その会話を横で聞いていた凌も光の名前が出てからソファに座る俺の隣でそわそわしている。
通話を終えた俺に躙り寄るように寄ってくる身体に腕を回す。
「 今日、光がうちに来る。
暫くぶりだな 」
頷きながら俺の胸に顔を埋めると篭った声で、
「 光、怒ってるかな……」
と呟いた。
「 なんでだ?光君がなぜ怒る?」
と丸くなった背中を撫でる。
「 俺の、俺のせいで……サツキが 」
「 凌のせいじゃない。平田の、あいつのやったことを凌が負うことなんかないんだ 」
俺の腕の中の身体は硬い男のものだったがその内面はガラスのような脆さを滲ませる。
変えられないものに囚われて、
まだ過去の積み木を重ねることをやめられない稜の背中を俺はただ何度も何度も摩ってやる。
その先の未来への羽の生えない背中を掌で暖めてやるように。
昼過ぎ、買い物に出る前に、
光の好きな食べ物を凌に聞く。
「 何かな……」
暫く悩んでいたがその答えはやはりロクでもなかった。
「 ガリガリ君、かな。コンビニでいつも買ってた 」
「 稜、お菓子じゃない。きちんとした食べ物のことだ 」
「 きちんとした?おにぎりとかパン?」
「 そうだ、まぁ、主食になる好きなものだ 」
「 うーん 」
選択肢のないレパートリーを探して考え込んだ凌はほっておいて、俺は外のデッキでバーベーキユーでもするかと久し振りの高揚したパーティー気分に自分がワクワクしてきた事に苦笑する。
そうだ、剣崎も呼んでみるか。
早速俺は連絡を入れた。
凌を連れて少し離れた品揃えの良いデパ地下まで車を走らせる。
生鮮食品の品揃えが良いこの店で
カゴにポイポイと食品を入れていく俺を心配げに見る凌。
それでもカゴの中の肉の塊や丸ごとの魚を見て綻ぶ眼差しも隠せない。
きっとまたこんなに高価そうなものを買ってと、パッキングされたシールの値段の勘定をしながら金の心配でもしているんだろう。
その顔がなんとも愛おしい。
こんな普通の生活、幸せを今から思いっきり味わせてやりたい。
俺は本気だった。それは俺のためでもある。
一緒に居て、毎日の交わす言葉、交わす情でこの先も二人生きていくことを信じたかった。
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