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第85話 男たちの会合
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ー 男たちの会合 ー
藤間さんを呼び出したのは赤坂見附にある天ぷら屋で、ここは青木の気に入りの店の一つでもあった。
政府関係者や企業家と会合するのに個室で守られた空間で極上の天ぷらが食えるんだという青木のわがままな要求にぴったりの店で、官公庁の役人の出入りも多い店のお陰か職人たちも口の固いところがいいらしい。
俺も商社勤の時は何回か通ったが、大将の揚げる天ぷらは美味だった。
もちろん官僚出身の藤間さんも、あの店ならと、承知だった。
派手さのないそれでも良く引き締まった面を見せる店の内玄関に入り待合の椅子に腰掛けると若女将に、
「 いらっしゃいませ 」
と丁寧に応対される。
予約の名前の確認や二言三言挨拶しながら言葉を交わす。
俺が一番のりらしいのでここの待合で青木が来るのを待っていると伝えた。
青木には藤間さんのことは伝えてないが何があっても殆ど動じないやつだから大丈夫だろう。あいつが慌てるのは遠いドイツに行った恋人のことくらいだからな。
引戸が開き暖簾が泳ぐと青木が店に入って来た。少し銀の光沢の入った薄いグレーの織りのスーツはシワもなく仕事帰りとは思えない爽快さで白いワイシャツに青いシャープなストライプのネクタイも首元までしっかりと締めてある。
「 おう 」
と俺に声をかけるとそのまま店奥から迎えに出た大女将に俺には見せないような上等な笑顔で挨拶をする。この上級な店に熟れた仕草の男とあしらいの巧みな大女将の流れるようなやり取りの後、部屋に案内されそうな所でストップをかけた。
「 青木、今日はちょっと勝手に連れを増やしたんだが 」
「 連れ?
ヒロシ君か? 」
「 いや、違う。もうすぐ来ると思うからここで待たせてくれ 」
「 ふーん、そういうことなら 、
女将さん、もう少しこの待合で待たせてもらうよ 」
女将に声をかけると俺たちは待合の椅子に腰かけた。
「 誰なんだ?」
「 うん、それが、なぁ
生徒の父親だ、義理の 」
「 は?生徒の?
義理って…… 」
それだけでこのえらく勘の鋭い男にはわかっただろうか?いや、これだけじゃ何のことやらさっぱりだろう。とタカを括った俺に、青木は釜をかまして来た。
「 俺に相談相手にでもなれって?」
何で分かったんだ?とぎょっとした俺に、
「 泰子に頼んだ件……お前が弁護を頼んだんだろ?
それに俺だってテレビのニュースは見るさ 」
なんか的を得たわけでもないが、その流れの人物だとは感じ取ってる青木……本当に侮れない。
数分経たずに引戸を開けて入って来たのは濃いグレーの背広姿の藤間さんだった。銀縁の眼鏡をかけた以前よりさらに硬く尖った印象のその姿はいかにもエリート然としていたがその表情には全く強さが失われて人が変わったようだった。
それは、
「 大丈夫ですか? 」
と挨拶より先に心配の声がけをするほどに……
「 彼、倒れそうじゃないか?」
小声で青木が呟くと、
藤間さんはハッとしたように居住まいを正す。
「 藤間と言います。今日は突然にすみません 」
「 初めまして、青木です。
とんでもない、歓迎しますよ 」
皆さまお揃いですか?と出てきた若女将に案内をされ、店の奥の部屋に向かう。
青木、藤間さん、俺の順に畳に上がると、
5名ほどで一杯になりそうな部屋を占める半円のカウンターの前に座った。
藤間さんと青木でお互い再度挨拶しながら名刺交換をしている姿はこれから話す内容とは180度違うビジネスそのものの光景だ。
そのこの界隈では夜見慣れた景色にいつどうやって話を切り出すか、切り出すのは勿論俺しかいないんだろうなという事に少しの厄介さを感じた。
側で俺たちの背広や持ち物の世話を焼いていた女将がきちんと居住まいを直した挨拶の後に、飲み物を聞く。
「 藤間さん、お好きなものを。
菅山、ビールか? 」
と青木が尋ねると藤間さんは、
「 私は、お茶を 」
と返した。
「 調子が悪いですか? 」
と聞くと、
「 いいえ、
この後一旦会社に帰ります 」
と言う。
注文を聞いた女将が一旦厨房に続く戸から引くと俺は、
「 今日は都合悪かったんじゃないですか? 」
と更に問うた。
「 いや、そんなことは、ないです。
鎌倉まで帰るのが面倒な時は事務所に泊まることも多いので 」
「 今は鎌倉に?鎌倉のどこまで帰るんですか?」
「 雪の下です 」
「 そりゃあ、良いところだ 」
と青木が受けると、
「 そうですか?
近頃は観光客が表から外れた細い道にまで入ってきて……」
女将が先付けと飲み物を持って来ると会話は途切れる。
青木は女将と世間話に嵩じているし、藤間さんにいっそ単刀直入に今の気持ちを聴いてみるか?と逡巡していると藤間さんから話を切り出された。
「 あれから光には会っていないんです……まだ、あの先生の家に居るんですか? 」
「 サツキさんが先日再就職した事は聞いてますか?
落ち着くまで光君は後少し預かりますって、
三枝君が言ってたから居るでしょう 」
「 その、
会うわけには……いかないだろうか 」
「 光君と連絡は取ってない?」
「 あれからは、一回電話しましたが結局連絡はつかなかった……サツキと最後に会った時にも顔を見せることがなくって。
俺に会うのは
嫌なのかもしれない…… 」
「 なぜ嫌だと?」
じゃあ、お任せで、という青木の声に応えた女将が裏方に引いた時に俺のその言葉が部屋に響く。
一瞬そのタイミングに黙ってしまった藤間さんに、青木が話しかけた。
「 きちんと対応するのがまだ怖い 」
「 て、え?」
「 出ない電話。それも一回しかかけていない。向こうの出方を探ってる。それで君が出した結論は嫌がられてる。
相手は幾つですか? 」
青木には目の前のこの人の事がどう映っているんだろう?
俺はそんな事を考えながら不躾なほどの青木の問いに藤間さんの答えを待った。
「 光は、15歳です。もうすぐ誕生日が来るので16になりますが 」
「 執念くすがってみては?
電話に出ないなら他にもやり取りの方法はあるでしょう?」
「 でも、相手が会いたくないのなら……」
「 でも、気になって夜も悶々としてるって顔に出てます。
菅山、会っちゃ駄目だとか条件がついてるのか?」
なんで別れてるって……そうか義理の父親でさっきの藤間さんとのやりとりが聞こえてたのか。食えないやつだな……
「 藤間さん、サツキさんには会う事を止められてない?」
「 ええ、サツキは私と光との事は一切口にしませんでした。頑なに別れる考えを変えないサツキに尋ねる余裕もなくて 」
「 それで、行動も起こさず悶々と、なぁ光君って子は今どんな様子なんだ? 」
「 三枝先生の家に居る。あそこは少し歳上の子どもたちが一緒だから和やかに楽しく過ごしてるようだよ。学校で会っても明るく素直になってきた感じがするから 」
眼を見張ってその話を聞く藤間さんに、
「 藤間さん、『思考は呼吸のようなものだ』
って言葉を知ってますか?
無意識にしている呼吸。それと同じく常に人はものを考えてる。
しかもそれがネガティブならますます悩みは大きくなる。
リチャード・カールソンという作家の言葉なんですが、
そこで止まってしまっては飲み込まれる。止まらずに悪い考えは自分で流してしまうことが必要だって事ですよ 」
奥から大将が出てくる。品の良い白髪で痩身の姿はカウンターの俺たちに一つお辞儀をすると、手持ちのパットを天ぷら鍋の脇に並べながら今日の揚げ物の素材の断りに花が咲く。
酒をワインに変えながら、青木と俺が大将や女将と談笑する中、藤間さんは無心に揚げられた品に箸を伸ばしている。
天ぷら花形の車海老から始まり、キス、子鮎。
夏野菜の
グリーンアスパラ、絹さや、枝豆が続く。
素材の旨味を活かしサクッとした歯ざわりは絶品。
塩にするか天つゆにするか揺れる箸の間。
そして、穴子と もろこしが続く。
まぁ食べる気があるならそのうち変わるさ、とでも言いたげな青木の顔に俺はこの先の未来の自分にも問いかけた。
俺にも同じ思いがどっかである。藤間さんの躊躇が手に取るようにわかるわけではないが、凌との間のことをどこかでネガティブに捉えてる気持ちがある。
大将の今晩のお料理最後になりますが天茶か、かき揚げとご飯か天丼かという問いに
それぞれ好みのものを口にする。
それを平らげ大将と女将連に礼を言いながら店を後にする。
満腹と一緒に訪れるのは和やかな雰囲気。
「 そこにバーがある。
いっぱい行くか 」
と人の返事も聞かずにビルの地下への階段を降りる青木。
藤間さんも黙ったまま頷くと後をついて行く。
ヒンヤリとしたバーの中には俺たちの他は客はいなかった。
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