89 / 100
第89話 なんで
89
ー なんで ー
湾岸の豊洲の工事現場に到着するとヘルメットを被った男と剣崎が話し込んでいる。
車を強引に路側帯に寄せて止めると俺は車から降りた。
バタンというドアの音に二人してこちらを眺める。
一瞬剣崎の顔が曇ったが又男の方を向いて話を再開した。
勢い込んで近づく俺を手で制すると、ヘルメットの男との話を終えて俺の方にやってきた。
「 来るなと言わなかったか?」
黙っている俺に、残暑の名残が猛烈に照りつける下、真っ黒いスーツを着た剣崎は常になく剣呑とした態度を見せる。
短く刈り上げたショートの頸にも不思議なことに一筋の汗も見えない。
冷徹そのものの声が俺に向けられる。
「 これ以上は菅山さんに関わらせるわけにはいかない。菅山さんの証言が必要な時に、高光さんと親密な仲だと思われたらそれだけで証言も信用されなくなる 」
「 もう、一緒に生活してる 」
そんな事は言われないでもわかってるという俺の悔し紛れの返しも、
「 どういう仲だって?警察にどんな説明する気で?
身元引き受けは安堂さんにお願いをしているから菅山さんの事は公にはできない。
高光さんに不利になることは私は一切排除する 」
返す刀で思いっきり拒絶されてた。
それでも、何かできないのか……
俺の憤りはこんな質問でしか伝えられない。
「 凌はどこにいる?」
剣崎は溜息を盛大に吐くと、
「 分からず屋……
仕方ないな。
とにかく、高光さんは私が連れてくるから大人しく私の事務所で待っていてくれ 」
これ以上は引かないという剣崎の視線に俺は頷くしかなかった。
剣崎は待たせてあったタクシーで首都高の入り口方向に向かって行った。
俺は車に乗ると剣崎の事務所に向かうためアクセルをめいっぱい踏んだ。積もり重なっていく憤りを足に込めて。
剣崎の連絡が入っていたのか受付もスムーズに通り抜け俺は又豪奢な待合のソファに座っている。
酷く落ち着かない尻を持て余し、剣崎が凌を連れて帰ってくるのを待っていた。
手を付けていないコーヒーがすっかり冷たくなった頃、
置物の時計が夕方の5時を告げた。
奥の扉が開くと中から黒髪をオールバックに流し、ワイシャツの袖を無造作に捲った大柄な男が出てきた。
「 菅山さん。
剣崎から連絡がありました。
高光さんを連れて今警察に出頭したということです 」
「 なんだって?
ここに剣崎さんは帰ってくるって 」
「 はい、予定を変えたようです。
高光さんは着替えをして身辺整えてから剣崎が付き添い任意出頭したということです 」
「 そんな馬鹿な……」
「 菅山さん、剣崎はしなくてはならないことはわかっている弁護士です。依頼人にとって一番良い選択だと思うからそうしたんだと思います。
多分、警察の様子から速く動いた方が良いと判断したんでしょう。理解してください 」
そう言って頭を下げられると俺には何も反論できなかった。
大きく深呼吸する。もうこの先は剣崎に任すしかないんだな、と腹を括った。
それでも、頭では納得しても気持ちの方はどうしようもない。
剣崎から菅山さんには連絡を入れるはずだからという言葉を聞きながら俺は事務所を後にした。
青木に断りを入れてそのまま家に帰る。
もう一人が帰らない家はただただ音のしない箱のようだ。
連絡を待ちながら一睡もできずに夜が開ける。
それでも、朝を迎える時刻にはウトウトしかけていたのかスマフォの音で目が覚めた。
慌てて手に取ったスマフォの画面には知らない番号が表示されていた。
「 もしもし、安堂ですが 」
意外な名前に一旦頭の中にその名前を繰り返した。
「 安堂ですが、菅山さん?」
「 はい、菅山です 」
ゴホンと咳払いした後彼は続けた。
「 俺に身元引受人になってくれと高光に頼まれた。それで、着替えとかあんたの所にある高光の荷物を引き取りたいんだが 」
「 頼まれた?凌に?」
そんな、なぜだ?なんで俺じゃない、頭に血が昇りスマフォからの音声が上手く聞き取れない。
「 もしもし?今からそっちに取りに…… 」
「 なんで、安堂さん、あなたなんだ?」
「 なんでってたって……仕方ないだろう。俺はずっと高光と 」
俺はそれ以上聞いていられなかった、聞きたくなかった。それでも握りしめているスマフォの通話は切れない。
「 凌は、高光はどうしてる?
出頭した時にどんな様子だった?
向こうはどうなってるんだ?剣崎は今一緒なのか? 」
矢継ぎ早の質問に安堂も呆れたのか、
「 兎に角、そっちへ行く。
住所は剣崎先生に聞いてるから 」
と通話を切られた。
怒りと困惑とで、見境がつかなくなるほどこんなに焦燥したのは初めてだった。
ともだちにシェアしよう!