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第90話 失う、ってことは
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ー 失う、ってことは ー
それから30分もしないうちに安堂はやってきた。
洗いたてらしい生地の薄くなった白いTーシャツに色褪せた紺色のニッカポッカ姿のままで、エレベーターから上がって来ると周りを見回す。
首にかけたタオルで首筋を拭いながら、
「 朝早くから悪いな。俺も仕事前に警察に届けなくちゃならないから 」
「 安堂さん、あなたは凌と面会できるのか?」
「 いいや、任意のはずだが一応弁護士先生しかできないみたいだ。剣崎さんが朝から詰めてるはずだから俺は荷物を渡すだけだ 」
まだ安堂が身元引き受けだという事に気持ちが納得いかない俺は更に安堂に質問する。
「 いつ凌に会って、頼まれたんだ?
俺と生活してる間、あなたの話は出てきたことがない。
いつ?いつ会ってた? 」
俺を軽く見やった後溜息を吐くと安堂が俺を揶揄する。
「 随分と高光にご執心なんだなぁ 」
その言葉に落ち着けと宥めすかしていた気持ちがカッとするのを抑えられない。
「 一緒に暮らしてるんだ。当然だろ!
凌は幸せそうにやってたよ、ここで。
仕事に又行き始めてからか?
なんで、あんたにそんな事を頼んどく必要があったんだよ!
凌は!前の暮らしに戻る必要なんてない、ここであいつの欲しがってるものは掴めてたんだ 」
「 あんた、何にもわかってないんだな……
あいつには、
持つってことは失うってことと同意なんだよ、
奪われることの多いやつだから。
自分の息子すら年が若いって理由で奪われたんだよ。
あいつの気持ちが欲しいと傾いたらそれを失うことになるんだ。
あいつの気持ち理解してるか?
聞いたことあるのか?あいつが何を怖がってるかって……
臆病なんだよ、本当に欲しいものをもらったことのない男だから。
欲しがることもやめてる。
凌の部屋に行ったことあるか?
何にもないだろ……あんなに笑って騒いで人なっこい奴が何一つ持ってない、ものには執着もしないんだ。
でも怖いのはそこじゃない……
唯一執着した家族にあいつは距離を置かれたんだ。
必死で守ろうとしたのに、離されたんだ、息子とも……
それでも必死で守ろうとしてる。
情けなくてアホだけど本当に素直で純粋なんだ。
あんたもそのことくらいは知ってるだろ?
だけど本音は言わない。
隠すことに慣れきってるから。
あいつだって男なんだって、
わかってやれよ。
あんたの隣にいるのはきついんだよ。
立派すぎて、自分と違いすぎて、
なんでも持ってるあんたは、凌にはきつい。
おまけに今度は前科がつくかもしれない。そんなことになったら……」
「 そんなこと、どうでもいい!
俺はあいつを護りたい、
一緒に生活してあいつの、
全てを受け入れてる。凌の全て
を丸ごと俺は 」
首を振った安堂はそれっきり身体を翻した。
「 もういいよ、
これ以上話しても、仕方ない。
着替えは俺が用意するから 」
そう背中越しに言うと彼は帰っていった。
残された俺は今の安堂の話をただ打ち消そうと必死だった。
そんなはずはない。凌はそんなはずは……
ここで今まで満たされなかったものを掴んで楽しそうに笑ってたじゃないか。
だが、どんなに否定しても安堂を選んだ事実はその通りだと物語る。
俺は凌に辛さしか与えられなかったのか?
そばにいることがキツイって……
その日俺は白昼夢を見た。
小さな凌が
俺に
サヨナラって言いにきた夢を。
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