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第91話 鉛
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ー 鉛 ー
次の朝、鉛のように重い身体を濃いコーヒーで無理やり起こす。
苦味しか感じないその味に少し冷めた頭。
昨日の夢を思い返しながら一人でこの先を過ごすのかと又憂鬱になる。
昨晩から剣崎に連絡を取ろうと思うがどうしてもスマフォを持つ指が動かない。
今は待たなきゃならないのを承知しているせいだけじゃない。
凌はあんたのそばにいるのがきついんだ、と言った安堂の言葉が重くのしかかっているからだ。
湯気が消えて行くコーヒーの黒く濁った液面を見ながら、
何回めかのため息をこぼした時に玄関のインターホンが鳴った。
時間を確認すればまだ6時半、人の訪ねてくる時間じゃない……
もしかして、やはり安堂が稜の荷物を再度取りに来たのだろうか?
濁った気分に更に拍車がかかる。
投げやりな気持ちのままテレビカメラの画面を確認もせず玄関ドアを解除し、
「 開けたから、上がって 」
と殊更ぶっきらぼうにインターホン越しに告げた。
「 随分と不用心だな 」
朝から鬱陶しいほど張りのある声の主。
エレベーターから出てきたのは、
青木だった。
「 構うな…… 」
「 そう言われてもなぁ。事務所に帰らないってだけで後は一本の連絡も寄越さないのは、お前、いくら前職が社会的に偉くたって、おかしいだろう 」
「 すまない 」
「 構うなに、次は、すまない か。
まるで思春期の中二病みたいな発言だな。
どうした?同居人のトラブル発生か?」
「 同居人?なんで……知ってるんだ 」
「 何日前にヒロシ先生と新宿の本屋でばったり会ったんだよ。
最近菅山が付き合いが悪くってって言ったら、ニコッと笑って先生家に帰るのが楽しいみたいで、買出しも忙しいらしいですって、
意味深だろ?」
青木は大きく肩を回しながら外に続くサッシを開けるとそのままデッキに下りる。
「 すっかり朝の気温は秋になったな。酷暑の続いた夏の後は意外と秋が早くくるかもな。
おい、今夜は一人なんだろ?淋しくて独り寝が寒いなら、おでんでも食いに行くか?」
呑気な台詞を吐きながらデッキの柵に寄りかかる。
コーヒーを新しく淹れなおしてカップに注ぐと俺も開けっ放しの掃き出し窓から外に出た。
おお、サンキュと言いながら青木はカップを受け取る。
「 弁護士事務所の御大もこぼしてたよ。剣崎がなかなか捕まらないって。
企業案件より個人の弁護に時間を割いてるようだな 」
俺はどこまで知ってるんだ?と無言で青木を見やる。
「 剣崎の上司とも知り合いなのか?」
「 あぁ、高校、大学の先輩だからな 」
「 そうか、剣崎とお前も高校からのらの同窓だったな 」
「 離婚の時はその先輩に世話になったしな、腐れ縁は続くよどこまでもだよ 」
と頷きながらコーヒーを一口飲むと青木は徐に話を続ける。
「 剣崎は、
追っかける時はドーベルマンだが探す時はブルトーザーだよ。
今頃躍起になって彼を助けるための証拠を掘り起こして綻びを叩いて探している筈だ。
任せとけ、必ずなにかしら良い結果は持ってくる、泰子なら。
それで?お前の方は何ぼけぼけしてる?
サボってんなよ。
剣崎の助けはお前にはできないだろ、
今はお前にしかできないことをやればいい。
明日は仕事に来い 」
鉛のように重たかった気持ちに少しひびが入る。
ひびが入っては塞ぎまたひびが入るような徒労の一週間を俺は過ごした。
ひたすら、ただひたすら仕事をこなして剣崎からの連絡を待ちながらも凌を思う気は募る。
新聞にもテレビのニュースにもならない事件は、世間からはすっかり忘れられたようだった。
剣崎からの連絡は一回だけ、それも簡単なショートメールで、
凌が留置されている事。そして事件の捜査が膠着状態だと知らされた。
留置って?出てこれるのか?
まさか起訴される?
裁判になるのか?
俺の質問に全て返信はない。
我慢できずに訪れた剣崎の事務所で粘っても事件の内容を今は話すことはできないと剣崎の上司に穏やかに体良く拒否された。
鬱々とした気持ちを溜めきった顔を青木には呆れられ、それでも毎日ニュース欄を隅から隅までなにか載っていないかと調べた。
朝の気温が17度まで下がる9月終わりになってその人からの連絡があった。
「 藤間です。この間はお世話になって 」
「 いや、別に世話した覚えはありませんが、なにか…… 」
気のなさを隠しもせず応答する俺に、
「 実は報告がてら聞いてもらいたい事もあるので、
会えませんか?」
と意外に親しげに連絡の意図を藤間さんは告げる。
「 夜なら構いません。でも、青木もなら都合聞かないとわからないけど 」
「 いえ、菅山さんひとりで結構です 」
「 それなら 」
夜の8時過ぎに今度は私の行きつけの店でと言った藤間さんは、
「 少し遠いんですが絶品のネタを出す店なので、店の場所送ります 」
と言って通話を切った。
なんだろう?光はもう母親と暮らしてると三枝先生から聞いてるし、藤間さんの報告したいことの予想がてんでつかない俺は7時に仕事を終わらせると新橋で滅多に乗らないJRに乗りその指定された店に向かった。
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