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第97話 釈放

97 ー 釈放 ー 身体が動かない。目の前に凌が居るのに……手を延ばすこともできない。 そんな夢にびっしょりと汗をかいて起きた。 枕もとの時計を見ると朝の5時。 夜明け前の朝焼けは今朝は厚い雲に覆われて薄いピンクのようなオレンジ色に棚引いている。 凌の閉じ込められている部屋からは陽の光で朝の訪れを知ることはできるんだろうか。 雨の今にも落ちそうなこんな日でも自由な俺たちは太陽が昇ることを知ることができる。 喉が渇いた。 昨夜はあれから青木に呼び出されたおでん屋で酷く酔っ払ったことを喉の渇きで思い出した。 タクシーに乗せられたとこまでは覚えてるが、その後の記憶は曖昧で頭が少し湿っているところをみると、帰ってきてからシャワー迄浴びたんだな。 隣のベッドを見ると脱いだものや乾燥機から取り出したもので服が山盛りになっている。 凌が一緒の時はこんな事はなかった。その山から下着を掘り出しながら苦笑が漏れる。 一人だった時には寂しさをは感じなかった。それが愛する者と一緒に暮らした後だと、一人の孤独が殺伐とした生活と空間を持ってくる。 「 よし!」 俺は一人の部屋でわざと声を出す。 「 凌が帰ってくるまでに片付けておかなきゃな 」 俺は半分が暗い一人の部屋で独りごちた。 「 暇さえあればカレンダー睨みつけてるな 」 外回りから帰ってきた青木が、 腹が減った昼飯まだだろ?外に食いに行こうと俺に声をかける。 ちょうど切りが良かった俺とスタッフと何人かで青木が美味いと絶賛してる蕎麦屋に向かう。 隣を歩く青木から、 「 泰子から連絡ないのか?」 と聞かれた俺は、 「 最後に剣崎と会ったのは三日前、 凌が勾留されてから三週間だ。 もうそろそろだと思いたいんだが 」 と思わず弱音を吐いてしまう。 「 お前、本当に変わったな。 前は他人のことで憔悴見せるような男じゃなかったのにな 」 「 憔悴?してるように見えるか?」 「 鏡見てみろよ。髭も剃り残しがあるし、猫背になってるぞ。 最初はカッコいい〜なんてピンクの悲鳴あげてたスタッフの女史も今じゃ勘違いだったわ〜なんて言ってたり 」 「 するのか?」 「 いや、未だ聞いてない 」 青木とするバカっぱなしは俺をそれなりに元気にしてくれる。 交差点を渡り街道沿いから路地裏に入ると、一軒家の様な表を見せる長い縄暖簾の蕎麦屋に入った。 囲炉裏を廻るカウンターの空席に腰を下ろした時にスマフォにメッセージ着信の音が鳴った。 「 お前、ざるの大盛りでいいか? 玉子付きだろ?」 という青木の言葉に曖昧に頷きながらメッセージを見る。 剣崎からだ。 『 今日の昼過ぎに高光さんが釈放の予定です 』 俺は店の外に出て急いで剣崎に電話した。 「 釈放なのか?凌は帰れるんだな!」 勢い込んだ俺に、 「 高光さんが今日午後釈放になると、連絡があった 」 「 時間は?時間は何時なんだ?」 「 時間は詳しくはわからないがおそらく午後2時過ぎだと思う 」 「 わかった、警察署でいいんだな。凌の入ってる警察で 」 「 そうだが、安堂さんが迎えに行くはずだ 」 「 え?なんで、どうして!」 「 安堂さんが身元引受人になっているのを話したと思うが。 多分……いや、高光さんの口から昨日聞いてるから確かだが高光さんはもし出られたら安堂さんの家に行くと言っていた 」 「 なんだって?そんなわけないだろう! 俺は迎えに行く、必ず。 今から行くから 」 俺は荒すぎるほど強く通話を切る画面をタップした。 そんなわけはない。凌は俺の所に帰ってくるんだって。 店の中の青木に二人分食べてくれと声をかけるとわけも説明せず俺は凌の居る警察に向かうために大通りでタクシーを止めた。 警察の一階待合のベンチに、座ってる事も出来ないくらい心と体がイライラと落ち着かない。 入れ替わり立ち代りベンチに座る人達に邪魔だという視線を浴びながら俺はひたすら廊下の先のエレベーターを睨みつけていた。 「 おい菅山さん、そんな所に立ってたら他の人に邪魔じゃないか 」 その声に振り向くと、 相変わらずの黒のスーツを着た剣崎とその隣には安堂が立っていた。 安堂が軽く俺に頭を下げる。 その安堂に俺も挨拶を返したが、 「凌は釈放されたらうちに連れて帰ります 」 と畳み掛けるように言葉を放つ。 「 いや、それは……」 と、反論しかけた安堂を遮り剣崎が割って入った。 「 菅山さん、高光さんの意思だ。彼の気持ちを尊重してやってくれないか 」 「それは違う、凌は何か、きっと何か余計なことを考えるんだ。あいつの気持ちをもう一回俺が確かめる 」 声を強めた俺を押しとどめるように剣崎が声を低くし威嚇した。 「 とにかく、座って大人しく待って居てください。ここで騒いでも高光さんにとってはマイナスにしかならない 」 その言葉に少し冷静になった俺が 周りを見回せば何事かとカウンター内の婦警がこちらを見ていた。 空いているシートに剣崎と安堂さんが並び、俺はその後ろにと別々に腰掛ける。 俺とは会話もなく目線も合わせず待つ間、剣崎さんは安堂さんに今回高光の望み通り身元引受人を受け入れたことに重ねて礼を言っている。 「 処分の確認は今からだが、おそらく起訴猶予の釈放だと思います。身元を引き受ける人が居ることが検事にも印象が良かったと思います」 と話す声が聞こえてくる。 「 起訴猶予? 不起訴じゃないのか? 」 その言葉に戸惑う俺の様子をちらりと見た剣崎が、 「 後で検事に確認して処分の内容は説明するから、今は黙って」 と再度念押しした。 警察の時計は2時半を回った。 もう何回見たからわからないほど眺めたエレベーターの扉が開くと、 警官と紙袋を下げ髪の毛を後ろで一つに縛った凌が出てくる。 駆け寄りたい足を必死で留めて近づいてくる凌を見つめる。 俺たちの数歩前で警官に何か言われて頭を下げる凌。 そのまま肩を押され俺たちの方に歩み寄る。 疲れきった眦が細められ、目元にうっすらと糸のような涙が溜まっている。 剣崎に頭を下げた瞬間、警察のタイルの床に涙の雫が落ちた。 凌…… 喉から溢れるのは俺の悲鳴のような音。 その音が聞こえたのか凌がゆっくりと頭を上げて濡れた瞳で俺を見つめる。 たわんだ口元からマサキさん、と凌が呟いた声が聞こえてくるような気がした。 他の音は何も耳に入らない、でも声のない凌の声はたしかに俺には聞こえる。 会いたかったと確かにその口元は俺に囁いた。

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