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第98話 その、尖った肩さきに

98 ー その、尖った肩さきに ー お互い見つめるばかりで立ち竦む凌と俺の間に入り、何も言わずに凌の肩を抱いた剣崎。 そして、剣崎の横に居た安堂に持っていた紙袋を取られると凌は弾かれた様に顔をそちらに向けた。 「 俺、持ちます 」 「 いや、車までだから 」 眉を下げて情けなさそうにする凌を剣崎が促して外に出る。 今にも雨を落としそうだった雲は束の間の秋の陽が差し込む隙間を作っていた。 「 晴れたかな……」 剣崎の台詞は凌のその先を危惧したものにも聞こえてしまう。 駐車場に向かってゆっくりと歩きながら剣崎が凌に今後の予想される事を事細かに伝えている。 頷く凌の項は少し白くなったよな。留置所じゃ陽に当たる事も出来なかったのか。 剣崎があらかた話を終えて足を止めると、 「 安堂さん、よろしくお願いします。 不起訴か起訴猶予か検事に確かめてからまた連絡します。 起訴猶予だと平田容疑者の捜査が続いている期間は行動制約されるかもしれない 。 とにかく確認しておきます。 私はこれで失礼します 」 俺が居ることを忘れた様に帰ろうとする剣崎を俺は止めた。 「 凌と話をしたい 」 ハッと俺を見つめ、涙を堪えた様な表情になった凌の側に寄る。 「 帰るのは、俺のうちだろ?」 と伝えると、凌は苦しげな顔のまま目を瞑った。 煩く口を挟んでくるかと思った剣崎は黙ったまま、安堂は俺の言葉を聞こえなかった様に車のキーを解除する。 そのカチャリという音が四人の間に酷く鮮明に響いた。 バンのスライドドアを開けた安堂は凌から取り上げた紙袋を二つ後部座席に乗せる。 俺は込み上げてくる何か掴みきれない衝動を耐えた。 ここで感情をぶつける様に言葉を繋いでもそれはきつい生活を強いられた凌には重すぎる。 安堂がドアを閉めた音がまた響いた。 「 凌 」 と俺は目を瞑りうな垂れたままの凌の両肩に手をかけた。 僅かに震えている肩。 この何週間かで痩せて尖った肩さきが俺の掌に凌の苦しかった日々を伝えてくる。 「 ごめん 」 溢れたのは耳を口元に傾けないと聞こえないくらいの小さい声。 「 なんで謝る?」 「 おれ、俺社長の所に行くから 」 「凌、 帰ってこい。 お前と俺の家に帰ってこい 」 僅かに頭を横に振ると凌は目を開けしっかりと俺を見つめた。 「 マサキさん、俺の家って言ってくれるのは嬉しいけど…… 俺、 安堂さんの所に行くから 」 憤って言葉の出ない俺の代わりに剣崎が凌に尋ねた。 「 高光さん、それでいいのか? 本当に菅山さんは本気で帰ってきてくれって言っている。 君はそれでも安堂さんの所へ行く? 」 「はい、 社長に身元引受人をお願いしたのは俺です。 事件で仕事も放り出したまま、こんなにたくさん迷惑かけて。 できるなら明日からまた仕事に戻りたい。 マサキさん、ごめんなさい。 折角、来てくれたのに。 心配もしてもらって、本当に。 本当にすみません 」 凌の詰まりもしないで言い切った最後のすみませんという言葉に俺は悄然とした。 遠慮?迷惑?どの言葉も当てはまらないほどそれは凌の明確な意思に聞こえた。 「 菅山さん、 今日は高光さんの気持ちを優先させてやって欲しい。 慣れない留置所内の生活で疲れ切ってる身体を休ませたいし、何よりあの狭い辛い環境だ。 その中で必死で自分で考えて決めた事を大切にして上げて欲しい。 私からも頼む。心配してる気持ちは痛いほどわかるがここは引いてくれないか 」 剣崎の他人行儀なまるで凌にとって俺はただの知り合いだという様な言葉が空虚に頭を通り過ぎて行く。 俺には凌の言葉を咀嚼する方法がわからなかった。 俺を残してバンは駐車場を出て行く。 俺の手を凌の肩から外したのは剣崎だった。 車の助手席に乗り込む凌を遮る事も出来ずに俺は呆然と見つめる。 俺の方を見ずに俯いた凌の横顔にもう会えないかもしれないのか?と、不意に襲って来た恐怖に俺は唇を強く噛み締めた。 「 凌!」 強く叫んだ俺の声に、両手で顔を覆った凌。 その映像が脳裏に残る。 俺はそれからどうやって家まで帰ったのか全く記憶がなかった。 自分が家に帰って来ていたのを知ったのは青木からの連絡だった。 「 おい、今どこに居る?」 俺は周りを見回すと、僅かに光る外のデッキの灯が床に差し込んでいる。 「 家、らしい……」 と応えると、 「 馬鹿!何やってんだ。 飛び出して行ったまま、仕事を放り出しやがって、連絡ぐらい入れろ 」 怒鳴る声が闇の中でやけに明るい画面から聞こえてくる。 「 あぁ、そうだったな……申し訳ない。今から行くから 」 「 馬鹿!何時だと思ってる。もう11時だ。何回連絡しても返事もない。 今、やっとお前を捕まえた所だよ 」 「 そうか、もう夜中か 」 「 おい、大丈夫か?何があったんだ?迎えに行ったんじゃなかったのか 」 「 ……悪いな、今はわからない。 頭が、はっきりしないんだ 」 「 おい、本当に大丈夫なのか?」 「 あぁ、大丈夫だ。本当に悪かった。明日きちんと出勤して仕事は片付けるから 」 青木は暫く無言だったが、分かった無理はするな。来れるなら明日待ってるからな、と言って通話は切れた。 冷たい床に下ろしていた腰を上げると、何時間そこに座っていたのか腰がギシギシ音を立てそうなほど固まっている。 身体をほぐしがてらテラス窓を開け雨の後の残るデッキに出ると、外は未だ小雨が降っているせいか薄いベールの様な夜の帳を降ろしていた。 こんなに静かな夜も珍しい。 行き交う車の音、 遠くの電車の灯り。 普段の喧騒も今夜はまるでスクリーンの中から僅かに聞こえてくる音になっている。 暫くぼんやりとその中に身を置き僅かに触れる小雨で痛む頭を冷やしていると、 不意に明瞭な音が聞こえて来た。 すぐ先の通りの角で車の停車した音。 人が降りる音。 ドアの閉まる音。 静かな闇夜の中こちらに向かってくる靴音に俺の耳が傾いていく。 痛む頭にその音は妙に溶け込み、 俺はその正体を知った。 エレベーターを待つ時間ももどかしく階段を駆け下りる。 玄関の扉に手をかける時、小さくカチッと鍵の開く音がコンクリートの床に響いた。 扉を開けた手は、外か中か。 開け放った扉の外には、 拭っても拭っても俺の頭に居座ってこびりつき、 そして俺を世界最高に翻弄する男が立っていた。 開いた扉に驚いたその人の腕を掴む、その無抵抗に落ちてきた身体を俺は夢中で抱きしめる。 さっき確かめた少し尖った肩さきを、さらに細く固くなった男の体躯を掌で辿り、確りと指でそのラインを探りながら、頸にそして冷たい耳に唇を当てる。 馴染んだ匂いその体臭にわだかまっていた気持ちが蕩けていく。 何度も何度も愛してると 宥めるように紡ぎながら、 乾いた凌の心にこの愛が流れ込んでいくように。 俺は何度も言う、 凌の心を満タンの愛でに溢れさせるように、 愛してると。

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