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第3話

 私は夜目はきく方だったけれど、それが夢の世界でも通じる理(ことわり)なのか、一歩足を出すと一寸先が見えた。見えたといっても、先述の通り、悪戯をして濃淡をおかしくした水墨画の様な黒い草木(そうもく)の風景がうっすらと視界に広がるだけ。そして背後は闇に戻っていくのが振り向かずとも解った。まるで私自身がほんのりと光っているかのようだ。  私を呼ぶ声が薄れ、代わりにちょろりちょろりと水の音がハッキリと耳へ聞こえ始めたので、私は大股で草むらを突っ切った。するとどうだろう、ぽっかりと空が見える川辺へ出た。この丸みのある空間には既視感がある。今となっては何という名前だったか忘れてしまったけれど、小さい頃神社で買ってもらった瓢箪の小細工に似ている。子どもの親指もない大きさの瓢箪をのぞくと、わざわざ黒塗りを施してあるのか、真っ黒な空洞になっている。けれど瓢箪の尻を傾けて陽光を透かせば、奥に小さく丸い写真が浮いた。浮彫りになる写真は青空を背景に鳥居を写した物一枚きりだったけれど、いつかは鳥居の向こうから何かが出てきそうな興奮を覚え、何度も覗いて遊んでいたものだ。 てっきり私は産まれる前の世界へ戻っているとばかりに意気揚々と歩いてきたけれども、実は化けの類の悪戯で瓢箪の奥底(おくぞこ)へ仕舞い込まれてしまったのだろうか。  森をくり抜いて出来た川辺は優しく蒼い。空には天の川が斜めに筋を作っており、月の姿は見えないけれど月明かりは差し込んでくる。足元の草叢にはほわりほわりと蛍が光っていた。無数に散らばるそれらは、天の川から零れ落ちた星屑みたいだった。  懐かしい田舎の風景と重ねながら、のんびり川辺を眺めていた私はびくりとした。いつの間にか老爺が一人、ぬっと立っていたのだ。昔畑で祖父が着ていたような野良着なのに、頭には菅笠で肩には天秤棒と時代に統一性が無い。草鞋なのか長靴なのか確認しようと視線を落とすも、うっそうと茂った草のせいでよく見えず、老爺はそこから伸びる植物のように思えた。 「わっ……」  私は驚いた。老爺の片頬が黄色く光ったのだ。かと思えば、元の乾ききった茶色い肌に戻る。私が凝視している数秒の間に、老爺の頬はほわほわと点灯を繰り返した。光る場所は微妙に位置をかえていく。  ━━━━口の中に何かがいる。蛍か?  客寄せ人形の様(よう)で滑稽にも見えていたはずなのに、カラクリの正体に気づいた途端に背筋がゾっとした。この老人は虫を口の中に押し込めているのだ。両の頬が同時に光る瞬間もあったので、一匹ではないのだろう。私は自分の口内に黒光りの小虫が這っては、天蓋をカサコソと触角で悪戯されている錯覚を覚え、軽く嗚咽した。そんな私をあざ笑うかのように、老爺はニタリと表情を緩めた。

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