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第8話

 二杯目に口をしめらせながら、私は初めて彼を抱いた時の事を思い出していた。あれは彼と祭りで花火を楽しんだ日から、幾日も経っていない夜だった。その夜は、彼が私の呼びつけに初めて背いた日でもあった。最初は使用人としての仕事が遅くまで残ってしまっているのだろうと、呑気に考えていた。けれど、虫の知らせというやつなのか、何故かそわそわと落ち着かなかった私は彼を再度呼びつけてみた。  間もなく、先代から家令を勤める男に突き出されるようにして、彼は私の部屋へ入ってきた。家令が襖を閉め、廊下の角へ足音を消してもなお、彼は縮こまるように背を丸めて正座をしていた。元々借りてきた猫のように小さくなって過していた彼だが、私と二人きりの時だけは年相応の笑顔を見せる迄にはなっていたのに。数秒の沈黙の後、私は彼の左腕の包帯に気付いた。 「どうしたんだ?」 「納屋の片付けをしている時に、うっかり……荷を崩してしまって」  挟んでしまいました、と彼はうつむいたまま、ぽそぽそと応えた。爪が割れ赤い身が剥き出しになっており、指の何本かはおかしな方向へ曲がりもしたという。そんな大事(おおごと)が何故、私の耳には入らなかったのだろう。私の家人は使用人に身分の差別を多少持ってはいるものの、きちんと一人の人間として扱ってはいる。現に包帯の巻き方は、我が家が長く世話になっている医者のそれだ。かかった費用をお給金から引くような真似もしないだろう。 「黙ってもらっておりました。若旦那に心配はかけたくなくって」  彼は包帯を隠したいのか、袖を今以上に無理に引っ張る。健気な所作へ、私は一つ、大きなため息をついた。 「誰かの仕業だろ」  そこで初めて、彼は私を見た。開きかけた唇がわなわなと震えている。 「ただの失態なら、もっとあっけらかんと笑っているだろう? 君って人ならば」  彼は一度口を強く結ぶと、そのまま声にならない嗚咽を漏らし始めた。肩が震える度に、目尻から溢れた涙が頬から顎へ、顎から畳へとぼたぼたと落ちていく。私は膝でにじりより、そっと彼を抱き寄せた。

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