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第13話

「苦いっ!」  あまりの苦さに、私は思わず地面へ体をなげうってしまう。そして、ごぼりと口から生温い塊を吐き出した。何も見えない、水音以外は何も聞こえない、真っ暗な中で、私はそれが自分の吐血だと解った。なぜなら私はこの致命的な緊張感をここに来る前に、既に一度味わっていたからだ。 「がはっ……ごほっ」  生暖かい液体が喉を逆流し、舌の付け根を押すように這い上がって、私の口から溢れ出る━━何度も何度もだ。鉄の臭いが鼻をつき、息苦しさに加担した。こんな状態に陥ってものたうちまわる体力も気力もわかないのは、酸欠のせいか、それとも失血のせいか……否、違う。その原因も私は解っている。毒だ。 「若旦那。好きな男に騙されていた気分っていうのは、一体どんな感じなんです?」  私の頭上を人影が覆う。私はかすむ視界に彼の微笑をとらえた。彼は片手に嫌な物を持っていた。無色の液体を閉じ込めた小瓶……硫酸だ。私が息絶えるのを待ちきれない彼は、これより数分後にあれでまだ痛覚のある私の顔や指紋を溶かすのだ。 「な……んで……」  私はそう言ったけれども、その答えも知っている。私はすっかり思い出していた、何故入院着なのかも含めて、今この場面がいつどんな時に起こった出来事なのかも。私は人生最初にして最後の苦い思い出を再度味わっているのだ。 「あんたにはよくしてもらったよ。あんたのこと好きだったと思う。だからこそっていうのかな。俺はあんたになりたくなったんだよ」  彼は白状する。体にあった傷は全て“ツクリモノ”だったと。納屋の一件は上から物が落ちてきた事こそが真実であり、徒党の話は嘘だった。唖然とする私を尻目に、彼は長屋の両親を殺したのは自分だと語りだす。もはや独白に近い口調で、彼は動機や手口を言う。 「意外とバレないんだな、と思った」  違う。冷淡かつ狡猾な気質と、俳優顔負けの演技力を持つ彼だからこそ出来た完全犯罪だ。 「俺を養子に入れたのが、あんたの運のつきだ」  父親が亡くなった折り、私は母に彼を弟として籍に入れるようにと、理由をこじつけて説得した。結婚が許されない二人にとって、家族になる方法はそれしか思いつかなかったからだ。今思うと、父親の死すら彼の仕込みかもしれない。  父の後を継いだ私は多忙を極め、体を壊してしまった。精神的にも少しまいっていたので、サナトリウムを兼ねている山奥の病院で療養を始めた。そこを探してきたのは彼だった。  彼は献身的に付き添いをしてくれていた。頻繁に私の好きな食べ物を持って来てくれた。私は精神を冒す毒が入っているとは知らず、のうのうとそれを咀嚼して飲み込んでいた。私の身体は日々よくなっていくけれど、反比例して幻覚幻聴に惑わされる事が増えていく。  ついに私に近隣の森を徘徊する癖がついたのを見計らって、彼は猛毒を入れた飲み物を用意した。そしてある日裸足で歩き回っていた私を草叢へ招き入れると「喉が乾いたでしょう」と、水筒を渡した。一口飲んだだけで強烈な苦味が私を襲い、生きる自由を奪った。 ━━━━私は何の不自由もない甘い人生の最期を、とても苦い思い出で閉じたのだった。  

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