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カーペットと子猫

麗彪(よしとら)side】 結局、晩飯はリゾットにした。 駿河(するが)の案だ。 チキンとトマトのチーズリゾット。 まあ、消化が良くて美月が好きそうな味ならそれでいい。 マンションの地下駐車場に着くと、俺と美月と時任(ときとう)は降りて、駿河は買い物に行った。 部屋に食材がないらしい。 部屋で食う事なんてなかったからな。 ああ、美月の着替えも買ってこいって言うの忘れた。 まあ駿河なら、言わなくても買ってくるか。 部屋直通の専用エレベーターに乗り最上階へ。 扉が開くとすぐ、部屋の玄関ホールだ。 靴を脱ぎ振り返ると、ブランケットにくるまったままの美月が困った顔で自分の足元を見ていた。 美月がする困った顔は、大きな瞳をおろおろさせながら眉尻を下げる、思わずこっちの頬が緩むような表情だ。 「美月、靴脱ぐんだぞ」 「・・・ぁ、・・・ぅ」 俺の声に顔を上げ、カーペット敷きの廊下へ視線を落とし、泣きそうな顔をして俯く。 今のところ、驚いた顔と困った顔と泣きそうな顔しか見てないが、やっぱりどの表情も可愛い。 ・・・俺は変態ではない、はずだ。 「美月?」 「・・・ょご・・・しちゃぅ・・・」 ああ、ブランケットの時と同じだ。 美月は自分が汚れていると思い込んでいる。 その上、その在りもしない汚れが他に移ることを恐れているらしい。 カーペットに膝をつき、俯いた美月の顔を覗き込んだ。 「美月、大丈夫だから。靴、脱ごうな?」 左手でブランケットの上から美月の身体を支え、右手で靴の踵辺りを掴む。 観念したのか、おずおずと足を上げる美月。 靴のサイズが少し大きかったのか、抵抗もなくするっと脱げてしまった。 たぶん、この靴も服も、オークションに出品するために用意し着せたのだろう。 新品の様だが、サイズもデザインも美月には合っていなかった。 靴を脱ぎ、ふらふらと上げたままの素足。 そっと手を添えてカーペットの上へ下ろしてやる。 思っていた以上に冷たい。 やはり寒かったのか。 駿河、温かい靴下買ってこい、と念を送っておく。 いや、後で電話すりゃいいか。 もう片方の靴も脱がせ、やっと両足でカーペットに立った美月。 じっと動かず、足元を見ている。 ・・・初めてカーペットを踏んで、その踏み心地に困惑する子猫みたいだな。 「大丈夫か?」 そう声をかけながら、下を向いている美月の頭に手を置いた、瞬間。 「っ!ごめんなさいっ──!!」 頭を抱え、屈んで小さくなる美月。 小さな身体を更にぎゅっと小さくして、震えている。 ごめんなさいって・・・。 頭触っただけだろ。 なんでお前が謝るんだ。 寧ろ、いきなり触った俺が悪かったんじゃないのか。 「美月、悪かった、急に触ったからびっくりしたよな。ごめんな」 震える美月の身体をブランケットの上からそっと摩る。 ブランケットの上からなら、さっきも触ったが何ともなかったはずだ。 「・・・ぁ、ごめ・・・なさ、ぼく・・・」 「謝らなくていい。美月は何も悪くないだろ」 (ようや)く顔を上げてくれた。 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて。 ・・・未だかつてこんなに胸が痛んだ事があっただろうか。 駿河時任と3人で、深く掘り過ぎた落とし穴に親父を落とし、ギブアップだ助けてくれと頭を下げる様を見下ろしていた時すら、こんなに痛んだりしなかった。 「ごめん、もう勝手に触らないから、な?」 「ぁ、あの、ちが・・・くて、ぼく・・・」 途切れ途切れ、言葉を選んでいるのか、考えているのか。 黙って、美月が言い終えるのを待った。 「・・・・・ぉ、おかあさん、に・・・ぶたれる、って・・・ぉもった・・・から・・・」 美月は、ここに居るはずの無い母親を恐れていた。 ・・・俺を恐がってるんじゃなくて良かった。 そう思うと同時に、金の代わりに息子を闇に売り払った母親とやらに腹が立った。 「美月いいか、ここにはお前をぶつヤツなんていない。もし、お前の母親がここに来ても、絶対そんな事させねぇから。約束する」 「・・・でも、ぁ・・・ぁなたが、ぶたれたら、や、です・・・」 俺が、ぶたれたら、嫌。 こんなに泣くほど恐がってるのに、俺なんかの心配するのか。 「俺はそんなヤツにはぶたれねぇよ」 安心しろ、返り討ちにしてやる。 お前がぶたれた5倍は殴っておいてやるから。 そんな事言ったら美月が更に怯えそうなので、心の中で言っておく。 「美月、大丈夫だ。ここは安全だから。俺が守ってやる」 「・・・ぅ・・・ん」 小さく頷く美月。 よし、と立ち上がり、カーペットの踏み心地にも馴れただろう美月を連れ、リビングへ進もうとしたが。 「ぅおっ、時任、いたんだった・・・」 空気かお前は。 ずっと、美月の後ろで立ち尽くしていた時任。 こいつは子どもの頃から無口だった。 たまに口を利くのも、俺か駿河が相手の時で、尚且つ他人が側にいない時だけ。 美月がいるから、時任はずっと口をつぐんだままだったんだが。 「ココア、あったと思います」 「あ?」 喋らないと思っていた時任が唐突に口を開いたので、話の内容が頭に入ってこなかった。 なんだって? 聞き返そうにも、こいつは1度言った事は2度言わない。 そもそも、ついさっき出会ったばかりの他人である美月がいる前で、口を利いた事自体が珍しいのだから。 何を言ったのか俺には判らないまま、時任は先に廊下を進み、奥へ入っていってしまった。 「・・・ぁ、の」 「ん?どうした美月」 「ぃ、いま・・・ここあ、あったとおもいます・・・って、言って、ました・・・」 俺の代わりに美月がしっかり聞き取っていてくれた。 偉いぞ美月。 「そうか。いきなり喋ったのに、よく聞いてたな。美月はココア好きか?」 「・・・ここあ、って・・・?」 少し首を傾げ、眉尻を下げ、上目遣いに聞いてくる。 ・・・やっぱ可愛いな。 それより、ココアも知らなかったか。 そんな気はしていたが。 ココアを飲んでどんな表情をするか想像しながら、相変わらずカーペットに馴れない美月を連れ、リビングへ向かった。

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