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第5話:危険な香り

*** シトラスの爽やかな香りが鼻に残ったまま、下校時間になった。 僕にとってノアルがつけている香水のあのシトラスの香りは魅惑的となった。彼がつけているせいなのかただ自分がシトラスの香りに敏感なだけなのか。分からない。 頭が…体が支配されていく感覚は正直嫌いじゃない。 「タケト!」 支配されていた脳内に通る声が靴を履いている後ろから聞こえてきた。声の主はフォルトだ。僕は立ち上がりながら振り返り「どうしたのフォル……ト。」聞きながら並びにいる人物に驚いた。 てっきりそこにはフォルトだけだと思っていたから余計と驚いた。 「いや、それが俺、今日から部活に行くんだが、ちょっと一緒に先生に頼まれた書類の束を職員室まで運ぶのを手伝ってくれないか?この山はどうにも一人では無理でな。そしたら偶然通りかかった彼も手伝ってくれて。」 手を挙げ隣を指さすとポカンと口を開け僕を見た。 『タケト、なんか固まってしまっているようだが、大丈夫か?』 『まぁ、大丈夫だろう。フリーズしているのは俺が君と一緒にここにいる事だろうから。』 『ノアル、タケトを知っているのか?』 『勿論。』満足気に頷くノアル。 二人の会話はもちろん部分的にしか分からない。 シトラスの香りが気になったのは彼が近づいていたからか。 二人はこちらを見ながら話をしているのに全く会話が耳に入ってこない。ぐわんぐわんと目が回り立ちくらみが起きそうな感じになって足元がぐらついた。 フラっと体が傾いた事に二人は慌てて僕の腕を取った。 右腕にはフォルトの茶色い手、左腕にはノアルの白い手。斜めになった体は二人の逞しい腕により支えられている。 ノアルと距離が縮まると彼は鼻をひくひくとさせた。 (まずい!もしかして匂い出てる!?でも、薬はちゃんと飲んだし……。) こちらを見下ろすノアルの表情が険しくなったように感じた。 「ふ、二人とも、大丈夫だから手を放してくれるか?」 「タケト、顔色がよくないな。貧血か?」 フォルトが心配そうに顔を覗き込んで来た。 「フ、フォルト。君部活だろ。新入部員が遅刻したらまずいんじゃないか?」 『それもそうだ。ここは俺に任せて、フォルトは部活に行くといい。』 「それじゃあ書類の束をタケトとノアルにませてしまう事になるだろう。」 僕を挟んで獣人語と日本語が入り混じった会話が続く。ますます目が回りそうだ。 「たまたま手を差し伸べたんだ。最後までやり遂げるよ。それに俺一人じゃないからな。」 ノアルはそう言って自分が握りしめている僕の腕を持ち上げた。自然とノアルが握りしめている方の腕は高くなりバランスが傾いた。 「ぼ、僕は何も言っていないけど……。」 『そうか!それならこのまま部活動の方へ行かせてもらおう!アメフト部は時間に厳しいと聞いているからな!』 フォルトはノアルと僕に感謝の言葉を何度も言いながら走って行ってしまった。小さな抜けた羽がフワフワと僕たちの前を何枚か舞っていった。 残された僕たちはしばらく彼の後姿を見守っていた。 『さて、と。』 ガルゥと、ため息のような声が聞こえた。挙げられたままの腕はゆっくりと降ろされ、何故かノアルが僕の前に立ちはだかるように仁王立ちになった。 見上げた僕はすぐに血の気の引いた顔を隠すように視線を逸らし、フォルトがかけていった方を向いた。 「甘い香りだ。」 「……。」 やっぱりそう来たか。 「なんの香水をつけているんだ?」 (え?) 「香、水??」 恐る恐る視線を上げると興味深げな表情を浮かべたノアルが若干身を乗り出しているように感じた。 思わず一歩下がってしまった僕を見て「おっと失礼。先にフォルトの頼みを遂行するとしよう。その道中で話をすればいいか。」フォルトが置いて行った山を軽々持ち「タケトはこれを持ってくれ。」とノアルのバッグを渡された。 「僕だって半分持つよ。」 「そんな細い腕でか?俺がもう少し力を入れたらへし折れてしまうそうじゃないか。」 言われて当たり前だけど、華奢な体は自分も気にしている。 ムッとした顔でノアルを睨みつけた。 「あんたと一緒にしないでくれ。」ツンと顎を突き上げながらノアルが持っている上の部分を掴んだ。 『タケトっ、そんな勢いよく引っ張ったら─────』 ノアルが虎語で言わんとする事は理解出来ていたのにムカムカとしていた心情では手を止めることは出来なかった。 案の定ノアルが持っていた書類は崩壊し、散らばった。 「ご、ごめん……。」 流石に申し訳なく思い謝りながら急いで荷物をまとめた。 しゃがみこんで書類の束を手にした瞬間目の前がぐるぐる周りだし視界がどんどん黒く狭まっていくのを感じた。 『むっ。』ノアルが突然口を押さえ込んだ。 なんで、どうして? こんな時に?薬は?効かない?はずはない。 ノアルの存在などお構い無しにポケットに入っている抑制剤を引っ張り出した。 「あれ……。こ、これ……ウソ、だろ……。」 手にしていたのは前に使っていた今より弱い抑制剤だった。 そのせいか妙に後ろが疼き出してしまった。 発情期(ヒート)?そんなことがあるのか……?僕は急いでノアルから離れた。 「い、今は近づかないで。」 『タケトがΩ?まさか……でも、だとするとこれは……。』虎語だが聞き取れた“Ω”というフレーズ。聞きたくない言葉だった。 ノアルはαの獣人だ。彼にだってこの香りは甘い蜜のはず。もうこれで終わり……そう思いながらさらにノアルから距離を取った。 「待って。タケト。」 手を伸ばしながらいうノアルの言葉に首を横に振りながら後ずさる。今は、とにかく急いでうちに帰らないと。 でも、このままじゃ見ず知らずのαやβに侵され孕まされてしまう。 それは何としても避けたい。でもどうしたら……。 「手を貸そう。」 ノアルのがっちりとした白い手が僕の手をしっかりと握りしめている。 ノアルは自分が何を言っているのか分かっているだろうか。 手を貸すってなんだ。結局思い続けた人もただの性欲にまみれたαだったのか。そう思った途端に絶望がおしよせてきた。 それでも……知らないαにヤラれるよりはましか、なんて思考まで働き始めた。 あぁどうしよう。自分の足では歩く事が出来そうにない。 「少し我慢してくれ。」そう言われたのと同時に体がふわりと浮いた。 「すまんが、顔を伏せていてくれ。気休めにしかならんだろうが、他のαたちを引き寄せてしまわないように。」ノアルに言われぎょっとなりながら顔をうずめ、彼の首の後ろに手を回した。 所謂お姫様抱っこ状態の僕は、顔を見られないように必死になった。どこへ連れていかれるのか今はただただ不安と妙な期待が入り交じった感情が浮上している。
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