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 鼻をすすると、ずびっと音が鳴って、膝を抱えたまま腕に顔を擦りつけた。  ふいに、近くでぬかるみを踏む音が聞こえた。 「光希(みつき)!」  名前を呼ばれて縮みあがる。  それは、よく知った男の声だったから。 「染谷……」  顔をあげると、見慣れた顔がこちらを覗き込んでいた。 「お前のお袋から帰ってこないって連絡が来てっ……」染谷はがしがしと頭を掻いた。 「あー、ったく、何してんだよ」 「どうしてここに……」 「お前、いつも家族と喧嘩するとここにくるだろ。成長ないっていうかさ、心配かけさせんなよ」  顔を逸らした染谷は、頭っからずぶ濡れだった。  なげえ前髪が顔に張り付いている。  傘も持たずに、俺を探しに来てくれたっていうのか?  「帰るぞ」  腕を引っ張られると、布越しでもひんやりとした感触が伝わってくる。  顎から滴った粒が俺の頬に落ちた。 「離せよっ」俺は思わずそれを振り払った。  染谷が怪訝そうに「あ?」と眉をひそめる。  俺はこんなにも長く一緒にいるのに、染谷の真意が分からなかった。 「何なんだよお前……いきなりあんな、せ、セックスしたと思ったら急に冷たくなりやがって。俺の事なんて放っておけばいいのに、何で、何で迎えにくんだよ……。お前、訳わかんねえよ……っ」  一度口に出したら止まらなかった。  俺はまくし立てると、鼻水をずっとすすった。 「……迎えにくるに決まってんだろ」  染谷がその場にしゃがみこむと、目線が同じになる。  闇夜でも光を放つアーモンドアイが、俺を真っ直ぐ射抜く。 「光希のことが好きなんだから」  その瞬間、雨音が消えた。  鼓膜を震せた言葉に、俺は耳を疑った。 「へ……?」 「――悪かったと思ってる」染谷は怒られた子どものような顔をした。 「あんな風に実力行使に出たこと。光希は優しいから受け入れてくれたってことも、分かってる。お前が西のこと好きってのは知ってたのにさ。  こんなこと言われても、迷惑だよな。もう話しかけないから。ごめんな、じゃ」  染谷は早口でそう告げると、立ち上がり後ろを向いた。  そのまま雨の世界へ駆け出してしまったので、俺はその背中に向かって叫んだ。 「ふざけんなー!」  肩がびくっと跳ねて、染谷がその場で立ち止まる。 「お前、自己完結しすぎなんだよ! 俺がいつ西のこと好きって言った!?」  染谷を追いかけ、俺もぬかるんだ地面を踏む。  雨粒がしたたかに身体を打ち付けるが、そんなのはどうだっていい。 「前に西のことどう思うって聞いた時、光希『良い奴だよな』って答えた」  こちらを振り返って言い放つ染谷に、頭が痛くなる。  俺たちは、どうしてこんな勘違いをしていたんだろう。 「光希――」  ぐっと距離を詰めた俺に、染谷が身を引く。  染谷の襟を掴み、俺は背伸びをした。  服を引っ張られ、一歩よろめいた奴の唇に噛みつく。  伝わってきたのは、氷のような温度だった。  顔を離すと、染谷の猫目は見たことないほどに大きく見開かれていた。 「どうして。お前、西は……」 「西とは別れた」  わきの下に腕を回して抱きしめると、濡れたシャツ越しにほのかな体温を感じて安心する。  染谷は身を固くして、されるがままになっていた。 「俺はお前が西を好きなのかと思ってた」 「は? 何で」 「お前、いつも西のこと見てたから」 「ライバルを監視するのは当然だろ」 「西と付き合ったのは、お前をとられたくなかったからだよ」  染谷が、小さく息を呑む音が聞こえた。 「……光希、それさ」  頬を包み込まれて、顔をあげさせられる。  染谷の茶色の目が小刻みに揺れていた。   「俺が好きみたいに聞こえる」  俺は、二っと口角をあげた。 「だからそう言ってんだ――ンっ」  言い終わらないうちに、勢いよく噛みつかれて口を塞がれた。   何度も何度も角度を変えて唇を押し付けられる。  薄く口を開くと、染谷の舌が入り込んできて、俺のを絡めとった。  やっぱ染谷の口ん中は驚くほど熱い。  喉の奥に流れ込んできた唾液の甘さに、蕩けてしまいそうだ。  顔を離すと二人の間に透明な橋が渡る。  染谷が真顔で「光希さ……ポテチ食った?」と聞くもんだから慌てた。 「え、まだ分かる?」 「まじ? なんかこっ恥ずかしくて聞いてみただけ」 「何だよそれ、雰囲気ぶち壊し」 「俺の初キス、うすしお味だったぜ。今更だろ」 「俺もだよ」 「普通もっとロマンチックなもんじゃねえ?」 「レモン味とか」 「タバコ味とか」 「染谷の口の中しょっぺえのなんのって」 「お前もな」  俺たちは顔を見合わせて、同時に吹き出した。  二人きりの公園に、笑い声がこだまする。 「行くか」  目の前に差し出された手を、俺はしっかりとつかみ取った。 「ん」  手を繋いだまま、雨の中を走りだす。   「送ってけよ」 「ばか、帰さねーよ」 「染谷のくせにかっこつけてんじゃねー、あほ」 「本当は?」 「……お前が俺ん家に連絡しろよ」 「上等」 <了>
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