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第5話 財産

「どうぞ、狭いですけど」  1DKの我が家に千尋を招き入れると、千尋はすぐさま辺りをキョロキョロと見回した。 「小奇麗にしてんなぁ。感心感心」  ドサッとベッドに沈み込む千尋を横目で見つつ、エアコンを稼働させる。お酒の飲めない客人のために麦茶をテーブルに差し出して、律は淡々と言った。 「普通、許可もなくベッドに寝ます?」 「りっちゃん、ベッドに寝ていいですかぁ?」 「いいですけど!」  寝転んだまま動かない千尋に呆れながら、先ほどコンビニで調達した酒に手を伸ばした。 「律、何か面白い話して」  いったいアンタは、どんだけ厚かましい客なんだ。 「無茶ぶりだな。あー、俺、楓さんにひとつ質問があります」  酒の勢いか、いつもより律が乱暴に笑うと、緩やかにうねった前髪の隙間からぞくりとするような視線を送ってくる。ああ、やめろ。意識すんな。自分で自分を戒め、律はビールの缶を開けた。 「どういう経緯でラブホテルを経営することになったんですか?」  若くしてオーナーをしている千尋の背景を、正直に言うと、前からかなり気になっていた。 「宝くじ当たったから」 「は?」 「七億。いや、マジで」  五年前に当たったのだと、千尋は言った。 「『その日から読む本』を実際に読んだ時は震えたね」 「なんすか……その本」 「高額当選者だけがもらえる幻の本だよ」 「……はぁ。じゃあ宝くじが当たったからラブホ? なんでまたラブホなんか……」 「サラリーマンやってたんだけど、人間関係とかうまくいかなくてさ。そんな時、どどーんと大当たりして、どーせなら思いっきり楽しいこと始めようーって感じで、ホテル建てた。いいでしょ? 愛が生まれるラブホテル」 「愛が……」 「そう、愛」  実に千尋らしい言葉だ。思い切りがいいというか、向こう見ずというか……。  それにしても、この人が。 「……サラリーマンだったんですか」 「うん。ネクタイとスーツ」 「似合わないっすね」 「何言ってんだよ。バリバリ似合ってたし」  ベッドから降りた千尋が、麦茶へと手を伸ばす。律はこめかみから滴り落ちそうになった汗を、Tシャツの裾で拭った。エアコンから流れる冷たい風のおかげで、さっきまでの茹だるような暑さもなくなり、ようやく部屋も涼しくなってきている。 「ていうか、楓さん、そういうこと簡単に話しちゃだめですからね」 「ばか。俺だって人見て言ってるよ」 「人見てるって……俺が極悪人だったらどーするんすか。明日には全財産失ってるかもしれませんよ」  飲み干した缶ビールをガゴッと潰すと、千尋は何を考えているのか、楽しそうに笑った。 「いいよ別に、失っても。俺が律を信じたいんだから」  とても嘘を言っているようには見えないから、なおさら質が悪い。 「アンタのそういうお人好しなとこがすげぇ心配なんすけど」  オーナーに言う台詞じゃなかったが、後悔はしなかった。千尋ならきちんと言葉の意味を受け取ってくれるとわかっていたから。 「全然お人好しじゃないよ、俺」  千尋の顔から笑顔が消える。  あ、と思う。  もう一度と言いたくなった。ネオンみたいにピカピカな笑顔から、一人きりの孤独な素顔へ。スマホでもデジカメでもなんでもいいから記録して、すり切れるまで見ていたい。不思議な衝動が、律の中で渦巻いている。 「りっちゃんだけに本音、言ってもいい?」  律は買ってきた柿ピーを口に放り込んで、ごく真面目にうなずいた。 「奈々ちゃんのことを気づいた時、若い女のアルバイト、入れなきゃ良かったーって心から後悔した。ほんっとに面倒くさい。学生のくせに、なんで俺なんか好きになんだよ。あんな純粋な目で見つめられても、何も返せねぇよ」  それは紛れもない千尋の本音だろう。辛辣な言葉だけれど、所々に奈々への親しみのような、親心のようなものが透けて見えて、他人事ながら切なくなる。それは千尋への同情か、それとも奈々への感情移入かはわからなかったけれども。 「あーあ、ほんとどうしようもないな」  千尋が煙草を口に咥えたので、律は急いでそれを奪った。目を丸くした千尋が、情けない声で聞いてくる。 「煙草、吸いたい。だめ?」 「だめです。ここは禁煙です」 「口寂しいなー。じゃあなんかちょうだいよ、りっちゃん」  その唇に噛み付いてやろうか。律は心で悪態をついて、うるさい男の口に柿ピーを押し込んだ。 「柿ピー辛いから、チータラのほうがいい」  本当にうるさい客だ。律は未だに柿ピーが残っているであろう千尋の口に、チータラを二本突っ込んだ。満足したのか、千尋はもぐもぐと食べている。その飾り気のない呑気な顔を見ていたら、こちらもすべてをさらけ出してみたくなった。 「俺の本音も言っていいですか?」  頬杖をついた千尋が「いいよ。どんとこい」そう綺麗に微笑む。 「前、同じホテルに勤めていた上司と付き合ってました」  驚いたように千尋が顔を上げたが、律は構わず続けた。 「でも、知らないうちに二股かけられてて、その人の結婚が決まって、あっけなく振られました。その結婚した相手は、俺なんか太刀打ちできないくらいすげぇ家柄が良い人で、そりゃあ敵わねぇよって。元々、上司も俺と付き合う前から結婚しろって家族の圧力がすごかったみたいですけど」  明らかな沈黙が流れる。はあ、とため息をついた千尋が、律のことをまっすぐに射抜いた。 「ひどい話だな」  三本目のチータラに手を伸ばした千尋が、怖い顔で言う。怒った顔を初めて見たかもしれない。他人のために怒れる千尋は、やはり優しい男だと思わずにはいられなかった。 「でしょう? 俺もそう思います。……あん時は必死すぎて、何も考えられなかった。別れても、同じ職場で毎日顔を合わせるんです。幸せそうな薬指の指輪を見せつけられて……半月我慢した。でも日に日に嫌になって」  ホテルに行かなきゃと考えると条件反射のように吐いた。律はその時、とうとう自分の心と体の限界を知ったのだった。 「無断欠勤繰り返して、気づいたらクビになってました」  うん、と千尋が優しくうなずく。 「それからはずっと引きこもって、コンビニと家だけの往復生活。でもあの夜、漠然とこのままじゃいけないと思った。フラフラと街に出て、そしたらあそこが……『HOTEL(ホテル) UNIQUE(ユニック)』がばかみたいにギラギラ光ってて……すげぇ腹が立ちました」 「えっ、そこで怒っちゃうの?」  ケラケラと千尋が笑い、律も声を出して笑った。 「そりゃあ怒りますよ。なんでこっちは無職で焦ってて今にも死にそうになってんのに、こんなに笑えるほど光ってんだよって。幸せそうにカップルが何組も入って行くんだよって。出てくるおっさんはなんで肌ツヤがいいんだよって。帰ってからホテル名検索したら、従業員募集してたから、気づいたら履歴書書いて、ここの求人にエントリーしてました」 「ちょっと、ちょっと。志望動機は、御社の経営理念に感心して何たらかんたらじゃなかったの、りっちゃん」  千尋の意地の悪い笑顔に、同じような悪い顔で返した。 「んなの、知りませんよ」  二人で顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。苦しかった過去がシュワシュワとビールの泡に溶けてゆく。なんて夜だろうと律は思った。

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