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第四章・無自覚天使の翻弄【2】

「あのね、チカ、考えたの。夕ごはんを食べて、チョコを作って宿題を終わらせて、お風呂に入った後、いっぱい考えたの。それで、やっぱりチカはいっちゃんが大好きだって思うから、『あいのこくはく』はいっちゃんだけにするの。バレンタインじゃなくっても!」  晩飯とチョコ作りと宿題と入浴タイムの後回しにされた結論だったが、壱琉にとって充分すぎる言葉が、曇りなき眼《まなこ》を煌めかせている相手から与えられた。 「そうか。いっぱい考えて結論を出してくれたんだな。サンキューな。考え事のせいで寝不足じゃないか? 大丈夫か?」 「ぜんぜん、へーき。だいじょーぶ。それより、あいのこくはくチョコ、早く食べてー」 「ん、そうする」  ぷるんっと美味しそうなカーブを描く天使の唇が紡いだ『あいのこくはく』は、その真の意味合いをそこに宿してはいない。壱琉は、そんなことは百も承知だ。 「お、旨そうだな」  承知済みで、いつの日か、とろりと甘い色がついた『愛の告白』をチカの声で聞きたいと願っている。  そして、その願いは彼にとって確定した未来。  やっぱ、その日はバレンタインか? いや、俺の誕生日ってパターンもあるな。不意をついてチカの誕生日かもしれねぇが、何にせよ、当日は片時も離さないし、家から一歩も出さない。ずっとベッドに沈めて、俺しか見えねぇようにアレをあーして……。 「いっちゃん。『うまそう』じゃなくて、ぜったいにおいしいよぉ。チカ、まほうのじゅもんをたーくさん、ふりかけといたもん。おいしくなぁれ! おいしくなぁれーって。このじゅもんは、いっちゃんのチョコげんていオプションなの。こうかはばつぐんだよっ」 「うっ!」  なんだ。この可愛い生き物は!  数年後のふたりの未来に爛れたシルエットを映し出していた思考に、ぴゅあっぴゅあな最強呪文が突き刺さった。  「いっちゃん、甘いものが苦手でしょ? でもね、ちゃんと『ほろにが』にしてあるから大丈夫だよ。チカ、そこを一番がんばったの」 「へぇ、ほろ苦か」  胸を押さえて天使の浄化をやり過ごした壱琉は、チカお手製のチョコレートを一粒、口に放り込む。  幼少期からあまりスイーツを好まなかった彼だが、チカが自分のために選んだ物だけは迷わず口にする。 「ん、ちょうどいい。初めてなのに味の気遣いまでサンキューな。けど、お前が作った物なら、俺は何でも食うぞ。なんなら、お前ごと丸飲みにしてもいい」 「キャハッ! いっちゃんってば、おもしろーい。でも、ざんねんっ。チカは食べ物じゃないから、まるっとゴックンはむりだよー」 「そうか。〝まだ無理〟だったな。どこに齧りつくのも〝まだ無理〟か。本当に残念だ」  ましてや、今日は初めての手作りチョコを献上されて『あいのこくはく』の特典まで付与されているため、彼らしくもない軽口がするっと漏れ出る始末だ。  でも構わない。いつもなら一緒にリビングで自分たちと歓談する母は、チカのための買い物に出かけていて居ないのだから、病んだ発言を咎められることはない。   けれど、年齢のわりに聡いチカに警戒されないよう、『まるっとゴックン』の妄想に身体が熱くなったことは秘匿する。  この、罪なほどに愛くるしい赤ずきん天使を丸飲み出来るまで、壱琉はあと十年ほど待たなければならないのだから。  根気強く、気長に、辛抱を重ねて——。 「や、十年? 無理だろ。十年も待てねぇわ、俺。無理無理。せめて五、六年……七年? いや、中高生のうちは駄目だよなー。やっぱ高校卒業まで待つか。おおぅ、最短で九年かよ」  長っ! わかってたけど、我慢の期間、長すぎだろっ!

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