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第9話 ヒートが始まる・3

「作ればいいだろ。顔広いんだから」 「いやー、そうは言っても、誰でもいいって訳じゃないんだよ。いいな~千早ちゃん。俺とつがいにならない?」 「はぁあ?」 お前はストレートだろうと言おうとしたが、どうせいつもの冗談だろうと思い止めた。 千早は高斗の空いたグラスにシャンパンを注ぎながら、笑って言った。 「僕は一応、綾鳥さんのつがいですよ?」 「書類上だけだから無問題。解消届出せば一日で受理されるし」 「おい」 「千早ちゃん、本物のつがいって、欲しいと思ったことないの?」 「いい加減ぶん殴るぞ」 まだ半分ほど中身の残ったシャンパンボトルを掴みながら言うと、青山は降参というように両手をあげた。 千早は少しだけ俯き、どこか寂しそうに笑った。 「……ないですね。僕は身軽な方がいいです」 「そっかー残念。振られちゃった。でも、気が変わったらいつでも連絡してね。俺、チャラく見えて好きになったら一途だし、一生大事にするから」 もうその言い方がチャラい、軽い、と思ったが、千早は冗談として笑ってその言葉を受け取った。 「ふふ、ありがとうございます」 「その千早ちゃんてやめろ。馴れ馴れしい。俺は文月さんってちゃんと苗字で呼んでるんだぞ」 「じゃあ高斗も名前で呼べばよくない? あ、俺のことは駿ちゃんか駿太って呼んでね!」 「では駿太さん、で……」 なんで自分より先に二人が名前呼びになってるんだと、高斗は癪全としなかった。 青山は食事中に千早に対して軽薄な質問を繰り返したが、やはり器用な男で地雷となるような質問は一切しなかった。 千早は賑やかな食卓をとても楽しんでいて、終始隣で笑顔だった。 自分以外に向けられるその微笑みを、高斗は少し面白くないような気がして、複雑な顔で見つめていた。 (ま、でも、たまには来客もいいか……) ■ 青山が帰ってしまうと、一気に静寂が訪れた。 千早が洗い終わった皿を布巾で拭いていると、それに気づいた彼は慌てたように言った。 「僕の仕事ですからいいんですよ」 「いや、来客のもてなしまではさすがに契約外業務だし……」 「多すぎる給料もらってるんですから仕事量足りないぐらいですよ。僕の仕事取るの禁止です。ソファで休んでてください」 高斗はそれでも皿を拭く手を止めずにいると、千早は諦めて皿洗いを続けた。 スポンジの擦れる音と水音だけの空間は先程までの騒々しさが嘘のように静かで心地良い。 「……今日は、本当に色々ありがとな」 「いえ、すごく楽しかったです」 「あいつ、うるさかっただろ」 「いいえ。駿太さん、本当に聞いていた通り面白い人で、楽しかったです」 (駿太さんだと……) 早速名前で呼んでいることが面白くない。 〝高斗もそう呼べばいいじゃん〟 「………なあ、俺も千早って呼んでいい?」 「えっ……?」 千早は驚いたようにスポンジを握る手を止めて、長い睫毛に覆われた形の良い目をぱちぱちとさせた。 先程二つ返事で青山の名前呼びを許していたというのにこの差はなんだろう。 「悪い。なれなれしいよな」 「いえ……全然構いません」 千早はしばらく黙り込んだ後、思い切ったように言った。 「あ、あの、では僕も、高斗さんって、呼んでもいいですか?」 「ああ。もちろん」 「では、…………高斗さん」 「………千早」 お互い呼んでは見たものの、あまりに照れくさくなり、顔を逸らした。 静寂のキッチンに心臓がうるさく早鐘をたてる。 思春期でも、こんな気持ちになった事はなかった。 その時だった。 ガシャンッと、食器がシンクに落ちる大きな音がして高斗は驚いて隣を見た。 千早が食器を落としたようだ。 よく見るとその手は微かに震えており、俯いた頬は熱があるように赤く、息も少し荒い。 「!? おい! 大丈夫か」 肩を掴むと、千早は過剰に体をビクつかせて後ずさった。 「ち……」 「すみません、始まってしまいました」 「え?」 何が、と聞き返そうとした時にその顔を見て全て察した。 蕩けたような目は物欲しげに潤み、緩く開いた唇からは熱い吐息が漏れている。 (うわ、やば……) ヒートだ。 ヒートが予定より早く始まってしまったのだ。

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