31 / 76

第12話 決意・2

席に座ると酒を注がれ、会長の隣に座っている初対面の若い女性を紹介された。彼女は会長の、末の娘らしい。 父達は昨今の時事問題について話し始め、高斗は上手いこと相槌を打ちながら、〝本題〟に向かないようにやりすごしていたが、その話題も尽きかけた隙を突いて、会長がにこやかに娘の肩を叩いて切り出した。 「いや、親ばかで恥ずかしいが、この子は自慢の娘でね。小さい頃から語学を習わせてたから実に堪能なんだ。英語はもちろん、中国語もネイティブ並に話せるからどこに転勤になっても問題がない。あ、そうそう。アメリカに留学経験もあるんだよ」 「そうですか。それはご立派でいらっしゃる」 「……ええと、アメリカ育ちの高斗くんとは話が合うんじゃないかと思うんだが……」 「いや、アメリカと言ってもほとんど学内にいたのでどうでしょうか」 「………」 「………」 一見和やかな会食の場に、少しの違和感が混じり始めた。そのあとも、会長は仕切りに娘の話を高斗に向けていたが、受け流し続けていると、焦れたように強引に切り出された。 「どうだろう高斗くん。今日は色々、うちの娘を知ってもらったが、この娘と所帯を持つというのは」 「………」 「お前もそろそろ身を固める時期だろう」 「うちの娘は、以前から高斗くんを気に入っていてね」 「はい。お会いしてますます素敵な方だと思いました」 この場にいる全員が、高斗が頷く前提で話をしていることにゾッとする。 だが、もしこの会食が千早と会う前だったら自分は勧められるまま頷いていたに違いない。 結婚相手など、興味もなかった。子供を作るのに支障がないぐらいの容姿なら誰でも良かった。 高斗は眉根を寄せ、いかにも残念そうに笑いながら言った。 「他に心に決めた相手がいなければ、素晴らしい縁談でした。残念です」 どういうことだというように、会長が父を仰ぎ見た。会長の娘は、恥をかかされたとあからさまに高斗を睨んでいる。 父もまた、眼光鋭くこちらを見たが、高斗は全て気づかないふりをして酒を飲み、その場をやり過ごした。 ◼︎ ほどなくして、重々しい空気の中に沈んだ会食の場が終わった。 外はいつのまにか雨が降っており、加賀谷が半ば強引に送っていくと高斗を車に乗せた。 後部座席に乗り込んだ途端に、父が案の定激高した。 「さっきのはどういうことだ! お前の結婚相手は私が決めると言っただろう。あれはお前の結婚相手になる予定なんだぞ」 「事前に知らされていればもっと気の利いた言い訳が思いついたかもしれませんが、彼女と結婚する気はないので、早めにそういう姿勢を見せた方がよろしいかと」 「……何が不満だ。家柄も経歴も器量も何も申し分ない。探偵を雇って身元調査もした」 「ちょっと派手で、俺の好みではなかったので」 父はふざけた回答に目に見えて苛立ったが、雨に濡れた車窓を見ながら言った。 「お前……つがい相手のΩに随分入れ込んでるそうだな」 「なぜそれを……」 「加賀谷に調べさせた。家に住まわせて、金をつぎ込んでるんだろう。街中まで連れ出してΩと一緒に歩くなど、恥知らずもいいところだ」 高斗はバックミラー越しに加賀谷を睨んだが、彼は相変わらず、感情の読めない顔でハンドルを握っている。 「別のΩに取り換えろ」 「は?」 「お前は今、そのΩに溺れて正常な判断が出来なくなっているらしい。時々いるんだ。そうやって道を踏み外す奴がな。愛人もつがいのΩも、何人作っても構わないが、情に溺れるなら今すぐ違う物と取り換えろ。〝正しい相手〟との結婚は義務だ。義務を果たせ」 取り換える。 その言い方に高斗はかねてより溜め込んでいた父に対する沸き上がるような怒りに火が付いた。 「……Ωはモノじゃない」 「何?」 「Ωはモノじゃない! あんたは俺の母親をそう思っていたらしいが、俺はあんたみたいな人間にだけはならない。なんでもそうやって、自分の思い通りに出来ると思うなよ」 父は初めて自分に逆らった高斗に驚きもせず、呆れたように一瞥しただけだった。 「結婚相手は自分で決める。今後一切口出しするな」 そう吐き捨てると、高斗はシートベルトを外し、信号待ちで車が停車している隙に降車した。あのまま車内にいたら、発狂しそうだったからだ。 窓越しに睨みつけるが父も加賀谷も、こちらを見ることはなかった。 雨は、店を出たときよりも激しくなっていた。 幼い頃、壊れた母と二人で暮らしていた時は、傘も買って貰えず、こうしてずぶ濡れで学校から家まで帰ったことが何度もあった。 寒くて震えながら帰った、あの時の惨めな思いを二度としたくないと思って、今までどんな理不尽なことがあっても一度も父に歯向かわずにここまで這い上がってきた。 だがもう、そんなことはどうでもいい。 あんなに欲しがっていた社会的地位も、出世も、何もいらないとさえ思う。 無性にすっきりとした気分で、この雨も心地がいい。 古い映画で、脱獄に成功した主人公が、歓喜して降り注ぐ雨を受け止めるシーンがあるが、今まさに、そんな気分だった。 それなのに、晴れやかな胸の奥底に張り付いた、一点の黒いシミのような不安は何なのだろう。 とにかく、今は一刻も早く千早のいる家に帰りたかった。

ともだちにシェアしよう!