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十五話 止まった時間

 運命なんて軽々しく口にするヤツを、信じてなんかいないし、なんならそう言う男を軽蔑さえしていた。だが、いざ自分が言われたらどうだ。舞い上がっている。心が歓喜に震えている。運命なのだと自惚れたい。  ベッドのなかに潜り込んでも、興奮で目が冴えて寝つけなかった。唇に指で触れ、感触を思い出す。  あまやかで、魅惑的で。康一のキスは俺の心をとろかしてしまう。 (明日……)  明日、返事するのか。返事はもう、決まっているようなものだ。  愛人のような扱いは嫌だ。恋人じゃないなら付き合えない。そう言った俺に、康一は当然のように付き合って欲しいと言って来た。  断る理由など、あるはずもない。  まだ、何も知らないに等しい男。  趣味も好きなものも、何も知らない。けれど、惹かれてしまう。 (徐々に、知っていけば……良いよな……)  微睡みが夢に誘い込む。  期待と希望に満ちて眠りに落ちたのに、何故か夢見は悪かった。    ◆   ◆   ◆ (嫌な夢見た……)  寝不足のせいで目が赤い。トイレに設置された鏡を覗き込み、ネクタイを整えた。研修最後の日だ。気合いを入れなければ。  研修会場のある雑居ビルのトイレに入って、先ほどからにらめっこばかりしている。換気のために開けられた窓から、生ぬるい風が吹き込んで来た。 「―――……」  鏡に映る自分に、溜め息を吐く。なんであんな夢を見たんだろうか。胃の辺りがチリチリする。もう、芳明だって許してくれたのに。  俺はかつて、親友だった芳明の恋人を、寝取ったことがある。もちろん、そんなつもりはなかった。相談にのって欲しいと言う彼女と一緒に飲んで、気がついたら一緒のベッドで目覚めた。記憶はなかったものの、当然、男女が同じベッドの中に裸でいて、そうならないなんて思わない。言い訳はどうあれ、俺は芳明を裏切ったのだ。  それから、多分俺は恋をしていない。女性不審になったし、芳明のことを随分引きずってしまった。  だから、康一の手を取ると言うのは、俺にとってかなり大きな意味を持つ。  芳明が赤澤に出逢って時を進めたように、俺もその時が来たのだ。  なのに、どうして今日に限ってあの夢を見たのだろう。  ベッドの上で笑う彼女の赤い唇が、俺を拒絶して冷ややかな顔をした芳明の表情が、ベッドの感触と、天井の風景。どれもが昨日のことのように鮮やかに、やけに生々しく思い出された。 (不安……なのかな……)  自分でも気がつかないうちに、臆病になっているのかも知れない。 (大丈夫。大丈夫だ)  康一は、俺が良いと言ってくれた。きっと大丈夫だ。俺だって、幸せになれる。  俺は、全てを変えるために、あの街に行ったんだ。自分と言う存在を見つめ直して、本当の自分を知りたいと思った。  そして出会ったのが康一ならば、もしかしたら本当に運命なのかもしれない。  進み出す。  変わる。  古いアンティークの時計だって、手をかけてやれば動き出す。手入れをしなければ、どんな時計だって動かなくなる。  動かすために、俺は出来ることをするのだ。  あの日止まった時間を進めるために、俺は―――。

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