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十六話 返事

 康一と気まずい雰囲気になるかと心配していたのだが、杞憂に終わった。最終日である三日目は、グループディスカッションを行うらしく、なるべく異業種同士で組まされたため、康一とは違うグループになったのだ。普段は聞けない話を聞いたり、専門的な話を聞いたりと、勉強になった。  グループで話し合う最中、何度か康一の方をチラリと見たのだが、目が合うことはなかった。淡々とした様子でディスカッションをする彼の横顔を見ると、口説かれたことが夢だったのではないかとさえ、思えてしまう。  今日こそはと思い弁当を作ってこなかったのに、昼はグループのメンバーで自然と行く流れになり、最後の日だと言うのに、康一とは一言も話せないままに時間が過ぎていった。    ◆   ◆   ◆  告白の返事をする話だったのに、結局話せていない。若い子のようにメッセージアプリで告白するなんて俺には無理だ。かといって、電話で呼び出すのは憚られる。  仕方がなく姿を探すが、会場には見当たらない。すでに多くの人が帰路についているし、会場のスタッフたちは片付けを始めている。 (……どうしよう)  弄ばれているようで、やきもきしてしまう。ポケットを何気なく触ると、タバコに触れた。待つ間、一本吸っておこうか。そもそも、約束らしい約束をしていない。どうしたものか。  階段を下りて喫煙所へ向かう。喫煙所にはまだ、最後に一服してから帰ろうという人の姿がチラホラ見えた。タバコに火を付け、スマートフォンを手にする。  良く考えれば、このままOKしたとして、「じゃあまた今度」なんてことになるんだろうか。俺、何も考えてなかったし、なんなら準備もしていない。  急にソワソワして、無為にニュースアプリを起動する。 (どうしよう)  逃げたくなってきた。胃がしくしくと痛み出す。  もう一本吸おうか迷った所に、喫煙所の扉を開いて、待ち人が現れた。目が合って、ドクンと心臓が跳び跳ねる。 「ああ、居た」  探していたのか、康一はそう言うと入り口で俺を待つ。慌ててタバコを揉み消し、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。 「すみませんっ」 「いえ、こちらこそ。待たせてしまいましたね」  約束した記憶はないが、当然待っていたと思っていたようだ。返事もしていないのだから、当たり前なのだが。 「ここじゃなんですから、外に行きましょうか」 「あ、はい」  康一のあとに続いて回廊を歩く。雑居ビルの中は不必要な明かりが消されていて、昼間とは違う雰囲気を醸し出していた。 「研修終了の連絡を、会社にしていたものですから」 「ああ。俺も報告書書かないと」 「有意義でしたか?」 「ええ、もちろん。普段は話さない業種の方も多かったですし。都内に何店舗も飲食店を持っている社長さんも参加していたんですね。あの人の話、面白かったな」 「中堅と言いつつ、小さい会社だと社長や部長クラスも参加するみたいですね」  何でもない話をしていると、緊張が和らいできた。康一からは、キスを誘うときのような妖しい雰囲気はなく、地味で真面目なサラリーマンにしか見えない。不思議な男だ。 「近くの橋から見える夜景が綺麗なんです。そこまで散歩しませんか?」 「―――男同士で夜景ですか?」  随分ロマンチックだと、思わず笑った。康一が口許に笑みを浮かべる。 「雰囲気に呑まれて、良い返事が貰えるように」 「―――っ」  遠回しに口説かれているようだ。いや、思い過ごしでなく口説かれているのだろう。恋人は居ないと言っていたが、疑いたくなる。手は早いし、押しも強いし、誘惑が上手い。本当は恋人三人を囲ってるって言われたら「やっぱりな」って返してしまいそうだ。  こういう男が恋人が居ないって、どういうことなんだろう。 「……恋人居ないって言ってましたけど」 「はい。候補は隣を歩いてますけどね」 「そう言うの良いんで! どのくらい、居ないんです?」 「ふむ……。正確には、ちゃんと付き合った相手は―――居ないですね」 「……それは、特定の相手を作らないってヤツ、ですか?」  それなら理解できる。理解できないとすれば、じゃあ何故俺なんだ。 「誤解されてるようですが、僕はモテないですし、アプローチしたのは寛之さんが初めてですよ?」 「……」  信じられるわけがない。 「信じてませんね」 「当たり前です」 「まあ―――全く、経験がないわけではないです。僕は三十六歳ですから」  三十六か。八つも上なんだな。そりゃあ、経験あるだろうけど。俺が知りたい答えとは、微妙に違う。たぶん、はぐらかされているんだろう。  康一のこういうつかみ所のない様子は、正直に言うとカタギに見えない。夜の街で出会った偏見かもしれないが、どこか普通の男には見えなかった。 (まあ、サイバーミューズは普通の会社だったし)  そんなわけはないのだが。大吾たちに変な話を聞かされたせいかも知れない。  これ以上の情報を引き出すのは諦め、夜道を歩く。オフィス街は人通りが消えると物寂しい。橋にたどり着くと、遠くのマンションの明かりが水面に反射して、美しく輝いていた。  ホゥと息を吐いて夜景を見る俺の手を、康一が繋いでくる。ドキリとして見上げると、康一夜景ではなく俺を見ていた。 「―――康一さん」 「返事、期待してます」  ぐっと、言葉に詰まる。もう言わなくたって解ってるんじゃないのか。こうやってノコノコ着いてきたんだ。察しているだろうに。  だが、康一は俺が言うのを待っているようだ。握られた手に汗をかく。ドクドクと心臓が鳴る。 「―――お」  言い掛けた瞬間、着信音が邪魔をした。康一は眉を寄せると、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出した。何気なく、画面を覗き込む。 「……」  康一は無言で終話ボタンを押してしまう。だが、すぐに着信音が鳴る。 「すみません。気にしないで下さい。弟ですから」 「―――」  電源を切る康一に、スルリと手を離した。胃がヒヤリとした。重苦しい感情は、鉛を呑み込んでしまったようだ。 「寛之さん?」 「―――すみません」 「え?」 「ごめんなさい、俺―――」  俺はそれだけ言うと、その場を駆け出した。背中に、康一の声が聞こえる。  着信画面に移った文字に、酷く動揺した。 (そうだよ。そうだった)  赤澤康一。そう名乗ったじゃないか。  友人の兄と寝てしまった罪悪感に、指先が氷のように冷たくなった。

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