3 / 33

2 友達から②

「……ン、……レン!エレン!」  誰かが俺の名前を呼びながら、揺さぶってくる。次第に暗闇に光が差し、ゆっくりと目を開くと、目の前に精悍な男の顔があって、俺を心配そうに覗き込んできていた。 「レオ……さん?」 「ああ、よかった。急に倒れるから心配し……」 「……?」 言葉を不自然に切って、レオが真剣な面持ちで俺の頬にそっと触れる。またキスをされるのかと身構えたが、伝っていた涙を拭われただけだった。そして、すっと立ち上がると、ローンの方を睨むように見る。 え? あのローンが狼狽えたように見えて、先ほども感じた疑問が頭を掠める。 「あの、お二人は知り合いなんですか?」 ローンから叱責を食らうかもしれないと思いつつ、おずおずと尋ねると、二人はまた意味ありげに目配せしてわざとらしく咳払いをする。 「?」 「そんなことより。ローン団長、少しお話があるのですが」 「………分かった。エレン、お前は戻れ」 「は……、はい!失礼します」  苦虫を嚙み潰したような顔をしたローンに命じられるまま、急いでその場を後にした。後ろ手にドアを閉めながら息をつき、歩き出そうとしたところで窓の外に視線を向ける。  広場で走り込みや鍛錬を行っている団員の向こう側には城が見えて、少し視線を上向ければ曇天の空が広がっている。孤児院にいた頃、高齢のシスターが昔は曇り以外の天気があったらしいのよと話していたが、真実は定かではない。  ただ一つ言えることは、この空を眺めていると胸が詰まるような思いがして好きではないことだけだ。   空から目を逸らすと、いつの間にか窓辺に寄っていたせいか、窓ガラスに暗い表情をした自分が映り込む。他の人もそうかは分からないが、じっと眺めれば眺めるほど、自分が自分でないような錯覚に陥っていく。 「……っ」  ぎゅっと目を閉じ、息をついて錯覚から逃れた途端、男の声がするりと滑り込んできた。 「ずいぶんと情けない面を晒してるな?」  背中にごりっと音がするほど強く硬質なものを押し当てられているのを感じる。 「テラ……」  名前を呟くと、低く笑う気配と共に、背後でかちりと音がした。冷や汗が背中を伝う。 「こんなところ、ローン団長に見られたら」 「へえ?俺の心配なんてしてる余裕があるなら、撃っても平気だよな。それとも」  背中に当たる感触が消えたかと思うと、今度は喉元に鋭い何かを押し当てられた。窓ガラスに情けない自分の顔と、喉仏を切り裂こうとしている剣先が映り込む。 「こっちの方がお望みか?」 「テ……っ」 「いちいち俺の名前を呼ぶんじゃねえ」  苛立ったテラが剣先を動かし、喉仏にちくりとした痛みが走る。ざっと血の気が引いた俺の顔を見たテラは、馬鹿にしながらせせら笑う。 「本当に情けない奴だな。この程度で怯えておきながら、よく入団試験に合格したものだ。団長も、なんでお前なんかを」  ふいに、団長室のドアが少し開くような音がしたからか、テラはさっと剣を仕舞って足早に立ち去っていく。  ほっとした途端にその場に頽れかけたが、なんとか両足を踏ん張って立つ。テラの情けないという台詞がいつまでも耳に張り付き、責め立てるように反響し続けていた。 「あれ。エレン、まだいたんだ。もしかして俺のこと待っていてくれた?」 「……」 「エレン?」  右手を撫でながら呼びかけられ、やっと我に返って目の前にレオが立っていることに気が付いた。 「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてた」  ぎこちなく笑みを浮かべて誤魔化そうとするが、レオは俺の目をじっと見つめたまま、右手を再びゆっくり撫でる。そこでようやく右手を強く握り締めていたことに思い至って、手を開いた。 「っ……」 「あーあ、切れてる。すぐに手当てを」  手のひらに走った細かな切り傷を見て、痛ましげにそんなことを言うレオの手を、咄嗟に振り払う。 「エレン?」 「傷は自分でなんとかする」 「なんとかって。さっきの話の続きもしたいからこっちにおいで?」  覗き込んでくるレオの優しい目を見ていられず、ふいと顔を逸して立ち去ろうとしたが、腕を掴まれ引き止められる。 「待って、エレン」 「……」 「ここではしたくない話なんだけど、仕方ないか。あのな、エレン。俺は君を嫁として迎え入れたいんだ」 「………冗談でしょう?俺、男だよ」  唇の端を引き攣らせながらレオを見上げると、予想外に真剣な眼差しがそこにあった。 「知ってる。この国では結婚に性別は関係ないけど、俺の立場上そうも言ってられないことも」 「立場?」  怪訝に思い眉を顰めると、今度はレオが視線を逸して何事かを呟く。 「やっぱり、まだ……」 「立場が何なのかはこの際どうでもいいけど、俺は会ったばかりでろくに知らない相手と結婚するつもりは」 「そうだな、君の言うとおりだ」 「分かってくれたなら……」  この話は終わりだ、と口にしかけた俺を遮り、レオは恐ろしく真剣な表情で言い放った。 「俺のことを知ってもらえば考えてくれるんだな」 「……は?」 「確かに、いくら何でも初対面から求婚は行き過ぎだったな。反省してる。エレン、やり直しをさせてくれないか」 「やり、直し……?」  不安になりながら尋ねた俺に、レオは眩い笑顔をして片手を差し出した。 「俺と友達から始めよう。そしてゆくゆくは将来のことを考えてくれたら嬉しい」  ぽかんとしながらも、整った顔に真っ直ぐ見つめられて思わず見惚れかけた。 「エレン?」  呼びかけられて我に返り、差し出された手をどうするか迷っていると、レオが強引に掴んできた。 「っ……」  熱い手のひらの感触に思わず息を呑んだ瞬間にその手は離れていったが、妙にいつまでもその熱は残った。

ともだちにシェアしよう!